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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第二章 銀の匙で海をすくう

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2-33.幕切れ【挿絵】

 舌打ちをひとつ飛ばした聖輝は、部屋の片隅に転がっていた蓮飾りの杖を拾うや否や、アミュウを抱え上げ、表へ飛び出た。アミュウは驚き、聖輝の体温をじかに感じて、思わず目を閉じる。せめて聖輝の負担を少しでも減らそうと、痺れて重い腕を彼の肩に回してしがみついた。

 聖輝はアミュウを担ぎあげたまま、誰もいない午睡時の広場を、教会へと走り抜ける。ほんの四日前、スタインウッドへの道中で遭遇した狼に立ち向かったときは、彼の鈍足ぶりにやきもきしたが、いざこうして自分が抱えられてみると、彼の意外なほどの底力にただ圧倒されるばかりだった。いつも重い荷物を持ち歩いているために鍛えられているのか。

 石段を駆け上り、礼拝堂への扉の前を素通りし、管理棟へと進むと、入口の扉は大きく開いていた。屋内へ飛び込むと、寸詰まりの廊下の先に、フェルナンの執務室があった。内側から蹴破られたドアを踏ん付けて、ナタリアが室内に向けて弓を引き絞っている。部屋の中には、右手にナイフを、左手にワイン瓶を握ったフェルナン。そして壁際に転がされたジークフリート。

 ナタリアは横目でアミュウたちの姿を見るや、何か言いかけた。


「ジークが――」



挿絵(By みてみん)



 その隙をフェルナンは見逃さなかった。

 フェルナンは手にしていた酒瓶を大きく揺すり、ナタリアに向けてワインを撒き散らす。弓を取る左腕にワインを受けてナタリアは一瞬怯み、遅れて矢を放つ。矢はあらぬ方向へ飛んで行き、石壁を削って床に落ちた。フェルナンがさっと十字を切ると、ナタリアの左腕を横切るワインの染みが赤く輝き、紐となってナタリアの腕を締め付ける。


「熱っ……!」


 ナタリアは弓を取り落とした。

 聖輝が担ぎあげていたアミュウを下ろし、ナタリアの腕を手に取る間に、フェルナンは執務室の窓を飛び越えて逃げ出した。アミュウは這いつくばって、後ろで束ねたフェルナンの長髪が、猫の尻尾のようにたなびくのを見送った。フェルナンを追う余裕は、その場にいる誰もが持ち得なかった。

 聖輝は鞄から丸パンを取り出して二つに割り、その断面を、ナタリアの左腕に絡まるワインの紐に押し当てた。すると、見る間にワインがパンに吸い取られていく。次に聖輝は、意識を失い倒れているジークフリートに近付く。転がっていた酒瓶に少量残っていたワインを、もう半分のパンにふりかけ、半ば開いていたジークフリートの口に突っ込んだ。ややすると、ジークフリートは派手に咳き込み、意識を取り戻した。

 一方、アミュウの意識は、ジークフリートの無事を見届けると、幕が切れたように暗転した。



 アミュウは「アップルホテル」で丸二日寝込んだ。

 宿の老婦人は、病人の宿泊を嫌がったが、聖輝がロザリオを見せ、再来の客であることを説明すると、渋々部屋を提供した。

 アミュウが寝込んでいる間に、聖輝はラ・ブリーズ・ドランジェの教会へ通報し、派遣されてきたモーリス・ベルモン助祭へ事の次第を説明した。

 ベルモン助祭が教会を調べ上げた際、管理棟に隠し部屋を発見した。中には祭壇がしつらえてあり、捧げられた家畜の心臓は干からび始めていた。祭壇はベルモン助祭と聖輝の手によって撤去された。

 祭壇がいつからそこにあるのか、誰にも分からなかった。ただ、「屠殺した家畜の心臓は、当日のうちに教会へ奉納すべし」という不文律が、かなり前から村人のうちで共有されていたらしいということは、住民への聞き取りにより明らかとなった。証人のロナルド・シンプトンは多くは語らなかったが、息子のケヴィンに、幾度となく「おつかい」をさせていた。ロナルドは首を振った。


「いつからなんて覚えていませんけどね。私らは、村の平和と安寧を祈って、羊の心臓を捧げていたのです。じっさい、奉納を続けている間は、狼やら野犬やらに出くわすことが目に見えて減っていました。私らは、教会に感謝こそすれ、違反だ何だと責めるつもりは少しもありゃしませんよ」


 なお、事件の当日、スタインウッドの駅馬車の厩舎から馬が一頭姿を消していた。逃げたフェルナン・マニュエル助祭の行方は追いようがなかったが、後日、総本山が彼の助祭資格剥奪を決定した。

 一方、グレゴリー・エヴァンズは逃げも隠れもしなかった。グレゴリーの小さな家は、ベルモン助祭の手によりくまなく捜索されたが、茶に混入されていたであろう毒物は見つからなかった。彼は、教会の隠し部屋については、もちろん無知であるとの姿勢を貫き通した。アミュウやジークフリートへの恫喝を含む発言については、被害者ふたりの意識が当時混濁していたため、供述が証言として採用されることはなかった。

 証拠不十分であることに加え、既に引退している身であることも手伝い、グレゴリー・エヴァンズの司祭資格は保持された。あまつさえ、彼はフェルナンの後任が派遣されるまでのあいだ現場復帰し、スタインウッドの祭祀やその他諸々の雑事を取り仕切ることになった。

 モーリス・ベルモン助祭は、諸々の調査ののちに聖輝にこぼした。


「小さな村にはね、案外多いんですよ。今回のようなことが。通報されれば我々は動かざるを得ませんが、まぁ、こういう禁術(手段)が求められる時代であるということは頷けますね」


 ジークフリートは、倒れた翌朝には、吐いて空っぽになった胃袋の中身を取り戻すかのように、よく食べ、よく飲んだ。アミュウも何度か嘔吐したが、既に毒の成分が吸収された後だったのか、あるいはジークフリートとの体力の差のせいか、快復に時間がかかった。

 事件当日、アミュウは意識を取り戻すと、ベルモン助祭による事情聴取から戻ったばかりの聖輝に、痺れる舌先をもつれさせながら訊ねた。


「どうしてここ(スタインウッド)にいると分かったんですか」


 聖輝は眉を寄せて答えた。


「昨日から姿が見当たらなかったので、ナタリアさんに訊いたんですよ。すると、今朝、荷運び馬車でスタインウッドに向けて発ったと。慌てて駅馬車で追いかけました。朝便に間に合ったから良かったものを、危ないところでした」


 窓辺に立っていたナタリアが決まり悪そうに言った。


「ジークから事情は聞いた……勝手に早とちりして、悪かったわね」


 アミュウは枕に頭を預けたまま首を横に振った。ナタリアはアミュウの額を撫でた。


「ねぇ……ほんとにジョンストンさん、浮気してたのかしら」


 聖輝はいよいよ眉間の皺を深めてため息をひとつ吐き出した。


「あなたという人は……この期に及んで、まだそんなことを気にしているんですか」

「だって、あの人が浮気なんかするとは思えないんだもの」


 ナタリアが口を挟む。


「人は見かけによらないよ」

「そうかもしれないけど……」

「それに、本当のところがどっちだったにしろ、浮気の疑いがある時点で、夫婦関係にヒビが入っちゃったんじゃない」

「うーん……」


 アミュウが枕の上で首を捻っていると、聖輝が眉間を指で押さえて言った。


「事実がどうなのか、まさか本人に訊くわけにもいきませんが……いいんじゃないですか。アミュウさんがそう思っているのなら、それで」


 そして眉間から指を話すと、聖輝は誰にともなく呟いた。


「エヴァンズ氏は、いつかこうなると分かっていて、息子ジャレッド王都ソンブルイユへやったのかもしれませんね」


 アミュウは「え」と驚きの声を上げた。


「すると、フェルナン牧師は……」

息子ジャレッドを矢面に立たせるわけにはいかないから、わざわざ身代わり(フェルナン)を呼び寄せたんでしょう」


 アミュウは天井を見つめた。


(ジャレッドという人は、エヴァンズさんの養子だったっけ……)


 やや考えてから、「そうかもしれませんね」と同意し、目を閉じた。

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