2-31.老獪【挿絵】
麦藁の件を両親に言伝るようジゼルに頼んで、アミュウとジークフリートはシンプトン牧場を後にした。村の中央の広場へ向かいながら、アミュウはジークフリートに早口で説明した。
「あの家の人たちは、イアン君の存在を知らない――マイラさんはきっと、イアン君を産んだことを隠したまま、あの家へ戻ったのよ」
「どうして」
「言えなかったんでしょう。子どもを嫁ぎ先に残してきたなんて」
「まぁ……そりゃ言いにくいのは分かるけどよ。でも、実家に知られずに子どもを産むなんて、できるのか」
「村から離れてしまえば、あるいは。あんまり良い関係じゃなかったみたいだしね」
眠たげな光を投げかける太陽は、真上を通り過ぎたところだった。アミュウは昼食を取っていないことを思い出した。
村の中央広場に出ると、アミュウは商店に入った。店主の女主人は、革鎧を身につけたジークフリートを見ると、不信感をあらわに、じろじろと眺めた。店主の視線がジークフリートを縫い付けている間に、アミュウは店頭に並ぶ品々を物色した。奥に衣類の見本が並び、その手前のテーブルには石鹸やタオルといった雑貨品が、テーブルの下には金物やロープが陳列されていた。店主の座っているカウンターには、朴の葉に包まれた弁当らしきものがいくつか並んでいた。アミュウは中身の分からないその包みを二つ手に取り、店主に金を渡した。女主人は金を受け取るとき、無遠慮な目つきでアミュウを覗き込んだ。アミュウはジークフリートを伴い、無言で店を出た。
広場の一角、欅の木の下に、駅馬車の待ち合い用の長椅子が据えてあった。アミュウとジークフリートはその長椅子に掛けて昼食を取ることにした。
「……ね? よそ者に対してはこうなのよ、この村は」
「ああ。居心地わりいぜ。そんなに変かな。この格好」
「西部じゃどうか知らないけど、このあたりでは武装している人なんて殆ど見かけないわ」
アミュウはきれいに畳まれた朴の葉を開いた。塩豚と茄子の大ぶりのキッシュが二枚。一口かじると、豚のしょっぱさが後を引く味わいだった。ジークフリートはぺろりと平らげた。
「どうぞ」
アミュウはジークフリートの膝の上の朴の葉に、自分のキッシュを一枚載せた。
「いいのか」
「そんなにお腹、すいてないから」
ジークフリートはキッシュをほんの三口ほどで食べきった。風が吹いて、欅の葉がはらはらと落ちる。その葉の一枚がジークフリートの赤毛の上に落ちかかったのを払ってやり、アミュウは先刻の話題を続けた。
「あの家には、三人の子どもがいて、末の男の子はイアン君と同い年なの。マイラさんがタルコット家を出たのは、イアン君がまだ赤ちゃんのころでしょう。出戻ってみたら、実家では兄夫婦がよろしくやっていた。そんな中で、我が子と同じ年ごろの子を見ているのは、つらかったんじゃないかしら。
それにね、享年二十五歳――そんな年ごろの美人が出戻ったとなったら、どう見られるかしらね」
「まぁ、針の筵っていうのも、分からないでもないか」
「それもあるけど、牧師の息子に色目を遣われていたっていうのが、どうも気になるの」
ジークフリートはアミュウの膝の上の朴の葉をひょいとつまみ上げると、欅の木の根元に放り投げた。アミュウは眉を寄せて言った。
「ごみはゴミ箱に」
「どうせ葉っぱだろ」
ジークフリートは立ち上がった。アミュウも首をひねりながら立ち上がる。
折しも、鐘の音が鳴り響いた。午睡の時刻を知らせる鐘だ。アミュウが教会の石段を駆け上がると、フェルナン牧師が鐘楼の梯子を降りてきたところだった。ジークフリートはアミュウに耳打ちして訊ねる。
「牧師の息子って、こいつか」
「いいえ、キンバリーさんが言ってた牧師というのは、たぶん先代のことよ――こんにちは、フェルナン先生」
「おや――アミュウさん、こんにちは。またこちらへ来ていたのですね」
フェルナンはジークフリートを見て一瞬怪訝な表情を浮かべたが、すぐにアミュウに向かって微笑んだ。
「今日はミカグラさんとは一緒ではないのですね」
「ええ。エヴァンズ先生はいらしてます?」
「この時間ならご自宅かと」
アミュウは礼を言い、石段を下りると、さっき弁当を買った商店のほうへ向かってずんずんと歩いて行った。ジークフリートが後を追いながら問いかける。
「寄り道ってさっきの教会のことじゃないのか?」
アミュウは頷く。
「せっかくここまで来たんですもの、例の先代牧師に会っていくわ」
商店の裏手、栗の木に囲まれた小さな家を訪う。道の真ん中にいが栗が転がっているのを、ジークフリートは「もったいねえ」と言いながら足で蹴った。
アミュウは小さな扉をノックする。間もなく扉が開き、グレゴリーが姿を現した。
「おや」
グレゴリーはアミュウとジークフリートを見比べて、眼鏡の奥の目に緊張の色をにじませた。
「アミュウさん――こちらは?」
アミュウが紹介する前に、ジークフリートは自分で名乗った。
「ジークフリート・ヴィルヘルムス。傭兵だ」
グレゴリーは困ったようにアミュウを見た。ジークフリートの鎧姿に戸惑っているらしい。
「護衛を雇われたのですかな」
「まぁ、ちょっと色々とありまして」
アミュウは曖昧に笑って誤魔化した。
グレゴリーは困惑しながらも、アミュウとジークフリートを部屋に招き入れた。簡易のかまどに火を起こし、水瓶の水をケトルに入れて火にかける。前に訪れたときと同じように、アミュウはまた行李の上に腰かけ、ジークフリートは聖輝が座った椅子に腰を下ろした。湯が沸くまでの間、グレゴリーは寝台に掛けて、アミュウに向かって訊ねた。
「さて、アミュウさん。またこの村へ来るとは、何用で?」
「あの呪いのナイフのことでお話を伺いたく、ここへ来ました」
「ほう」
グレゴリーは顎を撫でた。
「この間の話の続きですか。まだ、何かありますか」
「エヴァンズ先生。息子さんについて聞かせていただけませんか」
「せがれ……ですか」
グレゴリーはやおら立ち上がり、炊事場に行くと、茶を淹れ始めた。
「あれは、ラ・ブリーズ・ドランジェで学んだあと、ここで私の手伝いをしておりました。いずれ私の跡を継がせるつもりだったのですが、ちょうどマイラが亡くなったあたりから、ちょくちょくと王都に入り浸るようになりましてな。さっさとあっちの教会に移籍してしまったんですよ」
グレゴリーは八分目まで茶の注がれた木の椀をアミュウとジークフリートに渡す。
「さあ、どうぞ」
「ありがとうございます」
フェンネルとアニスの甘い香りが、ハーブの青臭さを包み隠した、優しい口当たりのスパイス・ティーだった。二人が木の椀に口を付けるのを見てから、グレゴリーは話を続けた。
「五、六年前だったか。ようやく申請が通って、ラ・ブリーズ・ドランジェからフェルナンを派遣してもらうことになりました。そのころせがれはもう良い歳でしたが、ずっと王都で下働きでしてな。向こうで嫁さんをもらいましたが、なかなか暮らし向きは大変だったようです。しかしまぁ、苦労が実って、おととしようやく拝聖が叶いましてね。今は無事助祭としてやっております」
そこでグレゴリーはジークフリートを椅子から立たせると、自分がそこに座って何やら短い手紙を書き、糊で簡単な封をするとジークフリートに渡した。
「悪いが、これをフェルナンに渡してもらえませんか。そして、ここへ来るよう呼んでください」
「お、おれですか?」
ジークフリートは困ったようにアミュウを見た。無理もない。ジークフリートにとってここスタインウッドは初めての土地だ。
「さっき教会で話した牧師さんよ。わかるでしょう」
「頼みましたよ」
「あ、ああ……分かった」
ジークフリートは渋々といった様子で部屋を出て行った。
「さて、アミュウさん。それで、せがれの何をお聞きになりたい?」
「息子さんとマイラさんの関係について。お父さんでいらっしゃるエヴァンズ先生なら何かご存じなのではないかと」
グレゴリーは書き物机の椅子に腰かけ、ふぅっとため息をついた。
「どうしてそんなことを訊ねるんです」
「マイラさんと息子さんが……その、懇意だったと聞いたものですから」
「はっ――懇意、ですか」
グレゴリーは鼻で笑った。
「何を、笑って……?」
アミュウは舌先に妙な痺れを感じた。舌先だけでない。痺れはあっという間に、手足へと広がり、強烈な眠気がアミュウを襲った。木の椀はアミュウの手から滑り落ち、茶が床へとぶち撒けられる。よろめいて床に倒れ込んだアミュウを見下ろすグレゴリーの眼鏡の奥の視線は、氷柱のようだった。それを危険と感じる意識すら、唐突にやってきた眠気の濁流に押し流され、アミュウの手元から離れていきそうになる。




