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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第二章 銀の匙で海をすくう

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2-29.傭兵【挿絵】

 すごすごと師の家を後にすると、アミュウは途方に暮れた。まだ午後の早いうちだった。アミュウはジークフリートを伴って、何とはなしに、海へと続く道をそのまま下る。ニセアカシアの防砂林を通り抜けて埠頭に出た。波は穏やかに、陽の光を受けてきらめいては、泡に縁どられた水のかたまりを桟橋に投げかけ、ほどけていく。

 アミュウは係船用の杭に腰かけた。ジークフリートはアミュウの後ろを動かない。


「俺が流れ着いたのは、こんなに可愛い港だったんだな」


 ジークフリートがここに来るのは、あの嵐の夜以来らしい。


「そうよ。三十年前に整備されたばかりの、新しい港よ」

「おれの故郷はこの町よりずっと小さかったけど、港はここよりずっと立派だった」


 アミュウが振り返ると、ジークフリートは海のずっと向こう、水平線よりも遠くを見ているようだった。


「なあ。おととい、みんなで飲んだあとに、聖輝のやつ、しつこくアミュウを送るって言ってたの覚えてるか」


 アミュウはジークフリートから目の前の海に視線をうつして、こっくり頷いた。


「あいつ、こうなるって分かってたんじゃないのか」

「私もそんな気がするわ」


 ジークフリートは舌打ちした。


「巻き添え食わせやがって」


 ウミネコがミャーミャーと鳴きながら頭上を舞っている。その声を聞いているうちに、アミュウの心はいくらか慰められていった。


「私と聖輝さんはね、イアン君の家に仕掛けられていた呪いの謎を追っていたのよ。イアン君のお父さんのジョンストンさんは私の顧客だし、あの呪いを解いたのも私。もしもあの呪いを仕組んだ誰かが、今もジョンストンさんを狙っているのなら、見過ごせない――そう思って、聖輝さんとスタインウッドへ行ったの。

 聖輝さんと出会ってからまだ日は浅いけど、それなりの時間を一緒に過ごしたつもりでいた。そんな中で、少しずつ聖輝さんへの信頼のようなものが育っていったけど……それは私だけだったみたい。聖輝さんは、私の持っている情報が欲しいだけで、私自身については何一つ興味がないようなの。なんだかそれが無性にくやしくて……このまま、逃げるように聖輝さんから離れるのは癪だわ」


 ジークフリートは意外そうな顔でアミュウを見た。


「アミュウでも、弱音を吐くことがあるんだな」

「そりゃあ、そんなときもあるわよ」


 アミュウが仏頂面を向けると、ジークフリートは声を上げて笑った。


「ほら、俺が町長さんちで目を覚ましたとき、すごく手際よく介抱してくれたろ。あの、テキパキとしたイメージが強くてさ。いや、脅されて怖いってのは分かるけど、今みたいに、聖輝がこっちを見てくれないって言っていじけてるのは、なんだか意外でさ」


 アミュウは目を丸くした。「こっちを見てくれない」といじけている?

 しかし、スタインウッドで舐めた辛苦の数々を思い出すと、だんだんとジークフリートの言が的を射ているように思われてきた。アミュウはなんとなく決まりが悪くなり、スカートの膝に顔を伏せた。


「ま、聖輝には俺からことの次第を伝えておくし、事態が落ち着くまでは、俺がアミュウのことを護衛してやるよ」


 思わぬ言葉に、アミュウは伏せたばかりの顔を上げてジークフリートを見た。ジークフリートはアミュウをまっすぐに見下ろしていた。


「報酬は、メシと宿代で」

「……いいの?」

「おう。本業だ」


 アミュウはジークフリートの目を見返した。髪と同じく赤みがかった茶の瞳は揺るがない。ランプの灯りのようにぶれず、まっすぐに、アミュウを照らし返していた。アミュウは立ち上がり、ジークフリートへ右手を差し出した。ジークフリートはニカッと笑ってその手を握り返した。



挿絵(By みてみん)



 その後アミュウは、セントラルプラザの荷運び屋で翌朝発の荷馬車をチャーターし、ジョンストンの麦藁をスタインウッドへ届ける手はずを整えた。本当は聖輝と赴くべき行程だが、アミュウはジークフリートと共に用事を済ませることにした。


「はいはい。明日の朝九時に、南部の畑に二頭立て大型荷馬車、振り込み払いっと……はいよ。これが手形ね」


 番頭が手形に割り印を捺して、請求書とともにアミュウに半券を手渡した。アミュウは内容を検め、手形を大事に財布へ仕舞うと、荷運び屋の事務所を後にした。表ではジークフリートが待っていた。


「お待たせ」

「今日の明日で、予約できたのか?」

「ええ。ばっちり」


 アミュウは財布から手形を取り出し、ジークフリートに手渡した。


「ふぅーん……クーデンよりは、運賃が安いのな」


 ジークフリートが手形をしげしげと眺める。アミュウがふとジークフリートから目線を横にそらし、セントラルプラザを行き交う人々を見ていると、その中に姉の見慣れた姿があった。向こうもこちらに気が付いて近付いてくる。


「二人とも、こんなところで何してるの」

「ナターシャこそ、どうしたの」


 ナタリアはふたりに近付くと、重そうな書類かばんをどさりと地面に置いた。


「会議よ、会議。パパの代理出席。長引いて疲れちゃった……報告書も書かなくちゃならないし、面倒極まりないわ」


 肩でも凝ったのか、ナタリアは腕を根元からぐるぐると回している。


「この前、森に大イノシシが出たでしょう。町を柵で囲もうって話が出てるんだけど、紛糾しちゃってね――農耕地帯まで囲むのかどうか、柵から取りこぼれる民家はどうするのか――もう、それぞれの立場で言いたいことばかり言うから、全然まとまらなかったわ」

「柵ねぇ……そんなもの効果あるの?」

「俺の故郷にも柵はあったけど、高さと強度によるってところじゃないのか」

「それよりも、あんたたち二人で何してたのよ」


 ナタリアの質問に答えたのは、ジークフリートだった。


「荷馬車をチャーターしてたんだよ」

「荷馬車?」


 ジークフリートは訝しがるナタリアに手形を渡した。


「イアンのとこの麦藁を、スタインウッドに届けるんだ」


 ナタリアは怪訝な表情でアミュウとジークフリートの顔を見比べてからアミュウに向き直り、低く抑えた声音で言った。


「どうして、ジークとなの? アミュウ。あんた、聖輝さんはどうしたの」

「えっと……それは」


 アミュウはどこまで話したらよいか迷い、咄嗟に答えられなかった。ナタリアの目にさっと怒りの色が差す。


「あんた、ずっと聖輝さんと一緒に行動してたじゃない。何があったか知らないけどさ、聖輝さんを放っておいて、今度はジークってわけ? ちょっとそれは、さすがに節操がないんじゃない?」


 ナタリアの怒りは鮮やかだった。瞬く間に頬に赤みが差し、まなざしは鋭く光り、口元は固く結ばれ、腰の横あたりで握られた拳は、血流を阻害されて白くなっていた。

 戸惑ったアミュウが弁明する前にナタリアは「もういい!」と言ってジークフリートに手形を突き返すと、書類鞄を持って町役場の方へ行ってしまった。


「……なんだあいつ。なに怒ってやがるんだ?」


 ジークフリートが、大股で去っていくナタリアの背中を見送りながら呟く。


「なにか勘違いしてるみたい……ああなったら、何言っても無駄よ。自分で機嫌を直してくれるまで、口もきいてくれない」


 アミュウは言いながら、ナタリアが怒るのももっともかもしれないと思い直した。聖輝はなんといっても、一度ナタリアに求婚しているのだ。断ったとはいえ、そういう相手と妹がつるんでいるのを、ナタリアは甘んじて受け入れてきた。それなのに、アミュウが急に相棒を変えたとあっては、話が違うと思われても仕方あるまい。


(なんだかややこしいことになってきちゃったなぁ……)


 その後、スタインウッド行きに必要なものをざっと買い込み、日の明るいうちに、アミュウはジークフリートに送られて森の小屋まで戻ってきた。


「じゃあ、また明日な」


 ジークフリートは片手を挙げて、森の道を引き返して行った。アミュウはその背中が見えなくなるまで、玄関口で見送っていた。

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