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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第二章 銀の匙で海をすくう

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2-28.助言【挿絵】

 次の日には雨が上がった。太陽がかなり高く上るまで、アミュウは小屋から出ることができなかった。もういくらかで昼時という頃になってようやく、地面に落としたままになっていた洗濯物を回収し、泉へ再度洗いに行くことができた。

 ムクロジの実をばらばらと桶の水に入れて、揉みしだく。細かな泡が立ち、繊維に入り込んだ泥の汚れを浮かしてくれた。ムクロジの泡にのせて、アミュウの心に折り重なってこびりつき、混沌としていた疑問が、ひとつずつ剥がれていく。

 昨日の男は何者か。どうして聖輝に近付くなというのか。なぜアミュウが狙われたのか。小屋の場所をどうやって知ったのか。


(そういえば、ここ最近、ときどき妙な視線を感じていたっけ)


 洗濯しながらアミュウは昨日の男の言葉を思い返した。


(御神楽卿の息子、と言っていた)


 含みのある言い方だと感じた。御神楽卿に重心を置いた言い方だ。


(教会関係者? ――または王都ソンブルイユの人?)


アミュウは水を泉に流し、清水で洗濯物をすすいだ。桶の中で下着が泳ぐ。


(聖輝さんに近付くなって――どういうこと?)


 踏み固められただけの狭い道を、小屋へと戻る。ロープに全て干してしまうと、アミュウは家の周りの結界の強化に取り組んだ。

 外敵の侵入を物理的に拒むほど強力な結界は、顕現している間じゅう魔力を注ぎ続けなければならない。対して、アミュウが小屋の周りに施している定置型の結界は、人などの侵入を防ぐことはできないが、害意そのものを遠ざける作用がある。設置するときに魔力をそそぎ込めば、あとは勝手に結界内で魔力が循環する。

 アミュウは引き出しの鍵を開け、ナイフを四本取り出すと、刀身に紋様を書きつけた。次に脚立を持ち出し、梁から吊り下げれた薬草の中からヘンルーダとホワイトセージの束を持ち出し、小屋の外へ出た。

 小屋を中心とする半径数十メートルの円の円周を四等分する地点の地面に、ナイフを深く突き立てる。刺したナイフの手前の落ち葉を丁寧に払いのけ、下草をむしり取り、露出した地面に乾燥したヘンルーダをひとつかみ置いた。東、南、西、北――四本のナイフを狙った位置に設置し終わると、今度はヘンルーダに火を着けて回る。そうして全てのポイントから煙が立ち上ると、アミュウは中央の小屋の玄関の手前で、香炉にホワイトセージを突っ込んで焚きつけた。芳香を含む煙が風で四散する。

 アミュウは蓮飾りの杖を掲げて言霊を紡いだ。


「星々の戦車チャリオット理解ビナーから峻厳ゲブラーへ至れ、凱旋の楽の音は永遠に、オリオンからシリウスへ連なる道を激声で埋め尽くせ! 来たれ、マディミエル、バルザキアム、エシエル、イシュリエル、星の道を巡回せよ‼」


 アミュウが蓮飾りの杖の石突で地面を突くと、四方のナイフから魔力の光が立ち上がり、アミュウの小屋の真上に軌跡を描いて収束し、やがて消えた。スマッジングの火も消え、煙も薄れ、元通りの森となった。

 静かな森に、コゲラの鳴き声が響く。木々のさざめきも、踊る木漏れ日も、行き交う小鳥や小動物の影も、いつもどおりの元の森だ。

 アミュウは結界を張り直したいま、今朝とは打って変わって、自分の心が凪いでいるのが分かった。だから、木の影に誰かがいると分かっても、動揺せずに済んだ。アミュウは冷静にその方向へ声を投げかけた。


「――そこにいるのは、誰?」

「ばれてたか」



挿絵(By みてみん)



 町へ伸びる道の脇、葉のすっかり茶色くなったとちの木の影からジークフリートが姿を現した。軽装の革鎧の腰に剣を提げていた。カーター・タウンに漂着したときの姿だ。


「隠れるほどのことも無かったんだけどよ、その……取り込み中みたいだったから」

「その格好は?」


 アミュウが警戒しながら訊ねる。ジークフリートは右手を振った。


「怖がらないでくれ、ナタリアに口添えしてもらって、ようやく町長さんから返してもらえたんだ」

「あの家を出たの?」

「ああ。とりあえず聖輝の泊ってる宿に落ち着いて、仕事を探そうかと思って。それで、挨拶というか、世話になった礼を言いに、な」


 アミュウは感心した。その一言のためだけにわざわざ森まで足を伸ばすとは、ジークフリートは案外義理堅いらしい。

 アミュウはジークフリートを小屋へ招き入れた。



 ジークフリートの態度にあまりに表裏が無いので、アミュウも包み隠さずに、昨晩の出来事を打ち明けることができた。暴漢が襲ってきたこと。刃物を突き付けられたこと。男は、聖輝に近付くなとの警告を残して去って行ったこと。ジークフリートは足を組んだ上に腕まで組んで、頭を捻って考えていた。


「おいおい……あの聖輝って兄さん、何者なんだよ」

「偉い人の息子さんよ。教会にも派閥が色々とあるみたい。私にはよく分からないけど……」

「じゃあ、アミュウは権力目当てで聖輝に近付いていると思われたってことか」

「分からないんだってば」


 アミュウは大きく頭を振って頬杖をついた。


「これからどうしよう……」

「どうしようって……脅されてんだろ、ヤッパまで出されて」

「……そうね」


 ジークフリートは頭を掻いた。


「――俺はお前らのことよく知らねえから分かんねえけどよ。他に相談できる相手はいないのか? ナタリアとか、町長の親父さんは?」


 アミュウの頭に二人の顔が浮かんで、消えた。


「駄目よ。心配かけたくない」


 ジークフリートの目はありありと「そんなこと言ってる場合かよ」と語っていたが、彼はその言葉を飲み込んだようだった。


「じゃあ、他にはいないのか」

「他って…………あ」


 アミュウは、うんうん唸って考えこんだ末に、これ以上ないほど頼もしい相談相手を思いついた。



 アミュウとジークフリートは、ありあわせの昼食をとってから、カーター・タウン東部の古い住宅街を訪れていた。海へと緩やかに下っていく道の途中を脇道に入り、右へ左へ蛇行しながら奥へ進んでいく。山査子の木が目印だ。アミュウは黒ずんだ傷だらけの扉を叩きながら師を呼んだ。


「ごめんください。メイ先生、アミュウです」

「おい、おまえさん」


 しわがれた声はすぐ後ろから聞こえた。ジークフリートは「おわっ」と間抜けな声を上げて飛び上がった。


「この家に武器を持ち込むとは、いったいどういう了見だい」

「先生、剣は彼の唯一の財産なんです。見逃してあげてください」


 メイ・キテラは目を細めてジークフリートを睨みつけた。


「……ふん。玄関に置いておきな」

「ありがとうございます」


 メイ・キテラは先に家に入り、木の実の暖簾の奥へ進んで行った。ジークフリートがアミュウに耳打ちする。


「あのばあさん、どうやって俺らの後ろに回ったんだ?」

「聞こえてるよ」


 部屋の奥からメイ・キテラの声がジークフリートを突き刺す。ジークフリートはまたもや飛び上がった。アミュウは苦笑して、師の、樟脳とパチュリーのにおいの沁み込んだ家へ上がった。

 ことの顛末を話すと、メイ・キテラは即答した。


「そりゃおまえ、ミカグラ卿を良く思わない輩なんて山ほどいるだろうし、逆に擦り寄りたい連中だって山ほどいるだろうさ。今、おまえにできるのは、そいつの言うことをよぉーく聞いて、そのボンボンに近寄らないでおくことだけさね」

「そんな」


 アミュウは戸惑いの声を上げた。メイ・キテラは嘆声まじりにアミュウに言う。


「そんなとは何さ。そんなにそのボンボンと一緒にいたいのかい」


 アミュウは答えに詰まった。聖輝と一緒にいたいのか? アミュウは、遠く感じた聖輝の背中を思い出して、首を横に振った。


「違います――こっちが逃げたって、その人は私に付きまとってくるんです」

「なんだいそりゃあ。じゃあ、こっちの小僧に言伝ことづてしてもらえばいいじゃないか。その程度のおつかいならできるだろう、なあ?」


 ジークフリートは突然自分に話が振られたのに驚いて、うんうんと大きく首を縦に振った。メイ・キテラはよく光る眼でアミュウをにらみつける。


「おまえに何ができる? その男に襲われたとき、おまえに何ができた? 魔術で撃退できたか?」


 アミュウは何も言えなかった。師の言うとおり、あの時、アミュウは何もできなかった。愛用の杖は手元に無かった。結界を張る暇も無かった。一瞬のうちに、羽交い締めにされたのだった。


「あたしがおまえに教えたのは、空を飛ぶこと、言霊を紡ぐこと。儀式魔術に薬草学。それだけさ。いいかい。おまえはいっぱしの魔術師のつもりかもしれないがね、精霊魔術の使えないおまえは丸腰なんだよ。相手に悪意を向けられても、返す刃を何も持っていやしないんだ。今はボンボンから離れて、ほとぼりが冷めるのを待つしかないよ。分かるね」


 師に迫られて、アミュウは他にどうしようもなく、頷くしかなかった。

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