2-26.あの柿の木に【挿絵】
タルコット家の雑草だらけの庭には洗濯物が翻っていた。庭に面した大窓が開いていて、ジョンストンが外を眺めていた。その視線の先には柿の木があった。アミュウと聖輝が家に近付くとジョンストンの方も気が付いて、片手を振って挨拶すると、玄関の方を指さした。
アミュウと聖輝が玄関の扉を開ける前に、内側からドアが開いた。扉を開けたのは、ジョンストンではなくイアンだった。
「あれ、カーターさん! それに聖輝さん。どうしたんですか」
イアンは野良着に農具を担いで、いかにもこれから畑仕事に出るところだという出で立ちだった。
「お父さんに、ちょっとね。ジーク、もう畑に来てたわよ」
「わ! 待たせちゃ悪いから、おれ、行きますね」
イアンは慌てて二人の間をすり抜けて、畑の方向へと走り去っていった。
居間ではジョンストンが取り繕うように部屋を片付けていた。以前この部屋に来た時はひどい荒れようだったが、今はだいぶましに見える。少なくとも、脱いで丸まったままの靴下の上に座れと言われることは無かった。
アミュウと聖輝が椅子に掛けると、ジョンストンはその真向かいに座った。ジョンストン自身も、むさくるしい印象だった髭を全てそり落とし、多少の無精ひげは残っていたが、随分とさっぱりした印象になっていた。伸び放題の髪はうしろで束ねてあった。頬も丸みをやや取り戻しつつある。
「さて、ジョンストンさん」
聖輝が穏やかな笑みを浮かべて口を開く。アミュウはその笑顔にどこか不穏なものを感じながら、胸中で自身の役割を確かめた。
(ジョンストンさんは私の顧客であり、呪詛事件の被害者でもある――今回、呪いのナイフの謎を追っているのは、よそ様のゴシップを暴くためなんかじゃなくて、あくまでも、ジョンストンさんとイアン君のためなのよ。せっかく快方に向かっているジョンストンさんを、再び奈落に突き落とすようなことは、あってはならないわ)
「お庭の柿の実を切り落としたということは、あの木に何があったか、ご存知ですね」
ジョンストンは頷いた。
「……動物の死骸が埋まってたとか」
「悪質な嫌がらせです。巧妙な呪いまで仕掛けてありました。お心当たりは?」
「……特に、何も」
ジョンストンは目線を手元に落とした。聖輝はくたびれた革の鞄から、例のナイフを取り出した。
「これが、死骸とともに埋められていたものです。お恥ずかしい限りなのですが、これは教会の支給品でしてね。気になったので調べさせてもらったのですが、どうも、スタインウッドで使われていたもののようでして――いかがでしょう、気になる点はありませんか」
(取り調べでもしているみたい)
アミュウは、聖輝の発言にいつ毒が塗りこめられるか、冷や冷やしながら見守った。ジョンストンは、窓の外の、葉ばかりとなった柿の木を暫く見つめていたが、やがてため息をついて言った。
「――死んだかみさんが、スタインウッドの出身です。もう随分になるが、あいつは――その、自分で」
そこでジョンストンは言い淀んだが、アミュウが助け舟を出す前に、次の言葉を語った。
「自分で、あの柿の木に、首を括ったんです――そんなことがあったもんだから、かみさんの家族は俺を良く思っていませんね……」
「しかし、ジョンストンさん」
聖輝は質疑の手を緩めなかった。
「呪いには、教会絡みの者でないと使えない業が仕込まれていましてね。奥さんのご家族だけでどうこうできる代物ではありませんでした」
聖輝は「どうでしょうか」と、ジョンストンの様子を窺う。ジョンストンは再び手元に視線を落としたが、やがて重い口を開いた。
「かみさんは――イアンを産んで間もなく、どこかへ消えちまいましてね。亡くなったのは、それから二、三年経った頃に――あまりに、突然だったんです。ある朝、その窓の鎧戸を開けたら――」
窓を指さしながら、ジョンストンは指先で目じりをぬぐった。
「いなくなってからずっと音信不通でした。その間にあいつに何があったのか、自分にもさっぱり。スタインウッドの教会といったら、かみさんの葬儀を挙げてもらったばかりで、その葬儀にすら俺は出られなかったんだから、何も確執はありませんよ」
聖輝はジョンストンの昂った気分が落ち着くのを待ってから、質問を重ねた。
「どうして奥さんは出て行ったんです?」
(お前、何だってあんな男のところへ嫁いだんだい)
アミュウはキンバリーの妄言を思い出し、聖輝の追及を止めるべきか迷った。アミュウが聖輝を窘めようとしたとき、ジョンストンは重い口を開いた。
「……あれは思い込みの激しい女で、誤解があったんだろうと思います。俺には許嫁がいましてね。それを無視して無理やり結婚を押し通したものだから、許嫁は激怒して、この家にも何度か押しかけてきましたよ。俺なりの誠意で話したが、なかなか諦めてもらえなくて、散々でした。かみさんにも何やら相当言っていたみたいだが……いなくなったのも、本当に突然で」
「奥さんのこと、追いかけなかったんですか」
今度はアミュウが問いかけた。ジョンストンは首を横に振った。
「俺らは、見限られたんですよ。駆け落ち同然の結婚だったのに、あんなザマでね。あっちの家族に合わせる顔がなかった。それからは、イアンを守るのに毎日必死で――あいつがようやく人間らしい言葉を話し始めたころ、突然。本当に突然、あそこで死んでいたんです。イアンがあれを見ないよう、まずは木から下ろして毛布で隠して。駅馬車に伝令を頼んで、スタインウッドに連絡して、棺を送りました。見送ってやることもできなくて、そりゃあ冷たいやつと思われただろうが――当時は俺の実家とも険悪で、イアンを誰かに預けることもできなかった。かといって、参列して、母親のぬくもりを知らないチビに、弔わせるなんて――死に顔だけ見せるなんて真似、俺にはできなかった」
そこまで語ると、ジョンストンは虚空を見た。柿の木の上では、啄む実も無いのに、数羽の烏が縄張りを争って鳴いていた。烏が羽を広げるたびに枝がたわむ。烏はしばらく喧嘩を続けていたが、やがてどれからともなく南の森へと去っていった。
アミュウは確認を求めた。
「それじゃ、イアン君はお母さんのこと」
「ああ。自殺であることは知りません。あいつが生まれてすぐに病で死んだことになっています」
「イアン君は、今回の件は本家の方々がやったことだと考えているようですが」
「本家が?」
ジョンストンは眉を集めた。
「いや、婚約破棄したことで、確かに実家との折り合いは悪くなりましたがね。あの人たちは、イアンにまでは危害を及ぼしませんよ。親父が死んで、兄貴が継いでからは特に、以前ほどの摩擦はありません」
そのとき、アミュウの頭の片隅に引っかかっていた、喉に刺さった魚の小骨のような疑問の輪郭が、急に露わになった。
「そう――イアン君。この家にはイアン君がいるのに、どうしておじいちゃんおばあちゃんが呪いを仕掛けるの? 父方であれ、母方であれ、普通の感覚なら、孫まで巻き込まないんじゃないかしら」
アミュウの発言に、聖輝も顎に手を当てて考え込む。
「――確かに。あの呪いの仕掛け方では、柿の実を食べた者の身体にその分だけ呪いが蓄積していく。孫まで道連れにするとは考えにくいな……」
聖輝は顎から手を外してジョンストンに問いかけた。
「イアン君は、お庭の柿を食べていましたか?」
ジョンストンは首を横に振った。
「いや。あいつは小さい頃から柿が嫌いで。庭の柿は渋柿だし、もっぱら俺が干し柿にして食うだけでした」
アミュウはほっと安堵の息を洩らす。
「そう……だからイアン君は呪いの影響を免れたのね」
「……いや待てよ。イアンも、赤ん坊の頃は柿を食ってました。ちょうどかみさんが死んだ頃を境に食わなくなって、驚いたんだった」
聖輝が首を捻って言った。
「子どもは妙に敏いところがありますからね。柿の実に溜め込まれた負のオーラを感じたのかもしれませんね」
アミュウはゆっくりと首を振った。
「いずれにしても、イアン君は何も知らないまま、疑心暗鬼から、本家の方々のことを憎んでいます。誤解を解いた方がいいのでは……?」
ジョンストンは深くため息をついた。
「……そうですね」
窓の外は既に暮れなずんでいた。烏の数がさっきより増えていて、カァカァとうるさいことに、アミュウは今初めて気が付いた。ジョンストンは「ちょっとすみません」と立ち上がると、洗濯ものを取りこみに庭へ出て行った。
聖輝が椅子の背もたれに上半身の体重全てを預けて、こちらもため息をついた。
「……なんだか今一つ見えてきませんねぇ」
「そうですね」
「教会の手の者が関わっているのは確かなのですが、誰が、何のために? 教会が私怨に加担することなど無い――と思いたいのですが、スタインウッドの教会の規律の乱れようを見るに、どうも信じがたい。しかし、どうして――」
そこで、洗濯ものを細長い腕の中に収めたジョンストンが戻ってきた。ジョンストンはソファの上に乾いた洗濯物をぶちまけると、再び食卓の元の席に戻った。
「そろそろお暇しますが、最後に三つ」
聖輝が口火を切った。
「まず、昨日イアン君の伯父を名乗る男性が畑に現れて、葡萄カスを置いていきました。イアン君はこの葡萄カスにも呪いが仕組まれているのではないかと疑っていますが、我々が見たところ、安全そのものです」
「そうですか――イアンが」
ジョンストンは頭を抱えた。
「本家では葡萄を作っているんですがね。ここ数年、肥料の材料にと寄越してもらっているんですよ。あれは堆肥と混ぜて熟成させなきゃなりません。イアンに堆肥を扱わせるのは酷だ、俺がやりますよ」
「大丈夫ですか」
アミュウは心配してジョンストンの顔を覗き込む。
「はい。だいぶ調子も戻ってきたし、ちょうどそろそろ畑に出なければと思っていたところです」
聖輝が次の質問に進む。
「ふたつめ。今年収穫した分の麦藁が倉庫いっぱいに残っていますが、これはどうするおつもりです?」
「……麦藁は、かみさんの生前からの習慣で、毎年かみさんの実家に送っています。今年は、配送の手配が遅れています」
「……もしよければ、私がやりましょうか」
アミュウが申し出ると、ジョンストンは顔を上げた。
「……いえ、そこまで世話になるわけには」
「ここまで首を突っ込んだからには、やらせてください」
ジョンストンはアミュウに流されるように、紙切れにシンプトン家の所在を書いてアミュウに寄越した。アミュウが手帳にそのメモ書きを挟み込むのを見届けてから、聖輝がみっつめの言を発した。
「最後に――これはお耳に入れておきたいだけなのですが。今、イアン君の畑仕事を手伝っているジークフリートという男がいます。イアン君から彼のこと、聞いていますか?」
「手伝い……? いいえ、俺はなにも」
「この男、なかなか気の良いやつなので、心配することはありませんよ」




