2-25.ハシバミのメダル【挿絵】
そこから三十分ほど歩くと、森の小屋に到着した。アミュウはジークフリートを小屋に招き入れた。
「ちょっと待っててね」
アミュウがランプとかまどに火を入れ、作業台の引き出しを探っているあいだ、ジークフリートは玄関口で物珍しげに部屋の中を見回していた。壁一面の棚にしまわれた大小さまざまの瓶や、鉱石の数々、天井からぶら下げられた薬草の束など、あちこちに目を奪われているようだった。
「いかにも、魔女の家って感じだな」
「その通りだもの」
アミュウは水瓶の水をケトルにうつし、火にかけた。その様子を見てジークフリートはぶっきらぼうにことわった。
「おい、茶なんていらねえぞ」
「あら。お酒にする?」
「さっき飲んだろ」
「冗談よ――これを」
アミュウはテーブルに何かをコトリと置いた。ジークフリートはそれを指先で拾い上げる。銀色の組み紐の先に、木製のメダルがくるくると回っている。
「水難除けのお守りよ。二度あることは三度――訪れないように」
アミュウがその護符をジークフリートの首にかけようと背伸びをすると、ジークフリートはぎこちなく身をかがめた。
新月のみちびく 縄をたどれ
見上げれば ポラリス
不動の星の投げかける 運命の網は
怒涛の怒り 悲しみ 恐れ 寂しさから
あなたをすくい上げるでしょう
縄をたどり森へ帰れ はしばみの木のもとに
アミュウの言霊の力が流れ込み、軽かった木のメダルがほんの少しの熱と重みを得た。不思議な温もりがジークフリートの胸に伝わり、やがて元通りに冷めた。ジークフリートはハシバミのメダルに指先で触れた。
「……なんか、小っこいのに、母ちゃんみたいだな」
ジークフリートの視線は、自分の胸元を見ているようで、とても遠くを泳いでいるようでもあった。
「ガキの頃、母ちゃんにマフラーを巻いてもらったときみたいだ」
ジークフリートは礼を言い、森の小道を町へと戻っていった。アミュウはその背中を見送った後、せっかく沸かした湯で茶も入れず、着替えもせずにベッドへ飛び込んだ。ごく小さく組んだかまどの薪は、アミュウが寝入ってからすぐに燃え尽きた。
翌朝は忙しかった。古くなった水瓶の水を捨てて新しい水を汲み、溜まった洗濯物を片付け、依頼に足りない諸々の品を工面し、まとめ上げたころには、とうに昼時を過ぎていた。そろそろ聖輝のやってくる頃か。
アミュウは時計を見ながら、固くなったパンをマルメロのシロップに浸して噛んだ。去年の今時分に仕込んだシロップは、捥いだときとまったく同じふわりとまろやかなマルメロの香りを残している。
ドアを叩く乾いた音が響く。アミュウは口の中のパンを水で流し込んで、玄関のドアを開けた。聖輝だった。
「不用心ですね。誰かが来たかくらいは確かめないと」
聖輝は開口一番に苦言を呈した。アミュウは皿を下げながら反論した。
「今日約束してるの、聖輝さんだけですもの」
「……まぁ、いい。以後気を付けてくださいよ」
椀に残ったシロップにコップの水を流し込んで飲む。薄めてもなお、マルメロの香りは豊かに喉の奥から立ち上ってきた。
羊雲が空の一角に広がっていた。
「さてアミュウさん、あれはどんな天気のサインでしょうか」
農道を歩きながら、聖輝がのんびりとクイズを出してくる。アミュウはややうんざりしながら答えた。
「槍でも降るんですか」
「惜しい。雨が降りますよ。夕方か、夜頃からですかね。洗濯物は早めに取りこんだ方がいいでしょう」
「女の洗濯物なんか見ないでくださいよ」
「見ていません。一般論としての話です」
アミュウは、天気の話などをしたかったわけではない。昨晩ジークフリートが物書きになると豪語したときに語った、あの話について聖輝の意見を聞きたかったのだ。タイミングを計りかねているうちに、タルコット家の畑に差し掛かった。ジークフリートが鋤で畝を立てているところだった。
「精が出るわね」
アミュウが声をかけると、ジークフリートは腰を片手で叩きながら伸びをした。
「おう。そろそろ麦播きだからな、その準備だ」
「今晩は雨が降りますよ」
聖輝が空を見て言った。ジークフリートも高く晴れ上がった空を見上げた。
「何言ってんだ。こんなに晴れてるのに」
「聖輝さんの天気予報は当たるわよ」
「ふぅん……雨が降るなら延期かな」
アミュウは、昨日イアンの伯父が積み上げていった葡萄カスの山を見た。
「これ……どうするの?」
「俺に訊くなよ。イアンのやつに訊いてくれ」
ジークフリートは、まだ畝を立てていない側の地面に鋤を放り投げて、腰を捻ってほぐした。聖輝はジークフリートに訊ねる。
「イアン君は?」
「まだ学校だろ。もうそろそろ終わるころだと思うけど」
「そうですか。そのあと畑ですかね」
「ああ。なんだ? イアンに用か?」
「いえ――用があるのは、あの子の父親ですよ」
ジークフリートは首を捻った。
「病気で寝込んでるっていう?」
「そう――それからもう一つ。この畑に、麦藁はありますか?」
「あ? ああ。あっちの倉庫に目一杯詰まってるぜ」
アミュウが見上げると、聖輝は頷いて見せた。
「それじゃ。いきましょう、アミュウさん」
「え、ええ……」
聖輝に促されて、アミュウは農道を歩き始めた。しばらくジークフリートの視線を背中に感じたが、すぐにそれも気にならなくなった。ちらりと横目で見てみると、ジークフリートは鋤を拾い上げて畝立てを再開していた。




