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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第一章 森の魔女と聖霊の申し子
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1-5.見合い【挿絵】

挿絵(By みてみん)


 カーター邸の食堂は、質素ではあったが、居間の機能も兼ねていて過ごしやすかった。暖炉にはまだ火が入っておらず、マントルピースの上にはいくつかの写真立てが飾られ、その上にはパッチワークのタペストリーがかけてあった。暖炉の前には小ぶりの長椅子が二つとコーヒーテーブルがあった。

 大きな一枚板を加工した食卓には、白いランナーと、各自のマットがあしらわれ、庭で摘んできたコスモスと萩の花が活けてあった。籠にはトーストしたパンがこんもりと盛られ、香ばしい香りを放っている。銀のカトラリーに、クリスタルのグラス。デキャンタの赤ワインと水差しが並んでいた。

 家庭的でありながら上品なテーブルコーディネートを見て、アミュウは、セドリックがどれだけこの来客に心を砕いているかを思い知った。

 上座にセーキ、その隣にセドリック、向かいにナタリアとアミュウという席配置だった。ナタリアは腰かけずにセーキとセドリックのグラスにワインを注いだ。慌ててアミュウも娘二人のグラスに水を注いだが、ナタリアに睨まれてしまった。彼女もワインを飲むつもりだったらしい。

 執事のヴィタリーが食事を運んでくる。前菜に、蒸したジャガイモに茄子のペーストを載せたもの、続いてかぼちゃのポタージュが運ばれた。


「すっかり秋の風情ですね」


 セーキが花を見て言った。


「萩は良いです。花の頃の短いのが、また。家にも萩が咲いていまして、このように旅をしているものですから今年は見られないと思っていましたが、思いがけずお目にかかれました」

「萩を植えている家はこの辺では珍しいですからね」


 ナタリアが話を受ける。


「ミカグラ先生は、長い間お家に戻られていないんですか?」

「時々は顔を出しますよ。でも、家を出てもう五年以上、旅が長くなるにつれて、だんだん間遠くなってきています」

「ミカグラ先生は、ミカグラ枢機卿の息子さんで、お忙しい枢機卿に代わって国内各地を見て回っておいでなんだよ」


 セドリックが補足する。枢機卿と聞いて、アミュウは王都にいたころミカグラの名を聞いたことを思い出した。確か、法王に最も近い相談役だという話だったが、それ以上のことは知らない。「偉い牧師さん」との前振りにずっしりと重みが加わった。


「先生などと呼ばないでください。私はまだ助祭にもなっていません。未熟者なので、父からは見聞を広めてこいと家を追い出されました」

「助祭?」

「聖職者の中で一番下の階級ですよ。そこにすら至っていない。だから私はまだ牧師ではないのです」

「それは、敢えてまだ拝聖なさっていないだけで、先生がお心を決めたら、あとは一気に駆け上ることにおなりでしょう」


 きまり悪そうに話すセーキに、セドリックが助け舟を出す。


「拝聖というのは?」


 訊ねる相手がセーキなのかセドリックなのか曖昧な語調で、ナタリアが訊く。


「聖職を拝することです。創世祭の時期に、しかるべき修道士や信徒が助祭の役目をたまわって聖職につらなることとなります」

「ミカグラ先生は、拝聖の対象者名簿に毎年挙がっているんだよ。ただ、辞退なさっているだけなんだ」

「まだ勉強が足りませんので」


 にこやかにセーキが釈明する。

 鹿肉料理が運ばれてきた。芋やにんじん、豆と一緒に鹿肉が、じっくりと柔らかく赤ワインで煮込んである。


「これは美味しい」


 セーキが舌鼓を打つと、セドリックが破顔した。


「自慢のメニューです。こいつはおととい、ナタリアが仕留めたんですよ」

「それはそれは」


 セーキは真っ黒な目を丸くしてナタリアを見た。


「ときどき狩りに行きます。運よく若い獲物に出会えました」

「こんなに清楚なお嬢さんが。見かけによらず勇敢ですね」


 清楚と聞いて、アミュウは肉を吹き出しそうになった。テーブルの下ですかさずナタリアがアミュウの足を蹴る。ナタリアのグラスには、さりげなく自分で注いだ三杯目のワインが残り僅かとなっていた。


「一人で森に入ると、色んなことを忘れて、ただ動物の気配を探すことだけに集中できて、なんだかすっきりするんです。街道の反対側、カーター・タウンの農耕地帯の向こうに森が広がっていて、きのこや果物もたくさん採れるんですよ。春には山菜も」

「活動的なのですね」


 セーキは柔和な笑顔をさらに甘く崩して、ナタリアを見た。ナタリアもにっこりと微笑み返した。すっかり饒舌になっている。


「スタインウッドはいかがでしたか。あの辺りはすっかり開拓され尽くして、家畜のお肉ばかりです。ジビエが気軽に食べられるのは、カーター・タウンならではです」

「確かに、ここは自然が豊かですね。さすが街道の終着点」


 ナタリアのお国自慢をセーキが受け止めたが、アミュウは内心思った。


(それって、ただの田舎ってことじゃない)


 デザートを平らげたところで、セドリックはアミュウを連れて食堂を出た。アミュウが席を立ったとき、セーキとナタリアは、食後の茶を飲みながら和やかに談笑していた。


「なかなか良い雰囲気だったじゃないか」


 廊下でセドリックが満足気に話し、アミュウが頷く。


「ナターシャも、お嬢さん扱いされてまんざらでもない様子だったわね」

「お前は一言も話さなかったなぁ。そういえば、拝聖の話の意味、分かったか?」


 アミュウは首をかしげる。セドリックはあご髭を撫でながら説明した。


「ミカグラ先生は、まだ助祭になる前だって言ってたろう。牧師は、拝聖すると妻帯できなくなるんだ。枢機卿の御曹司の身分で、毎年拝聖を断っているのは、どうしてだろうね」

「……家を継ぐため、拝聖の前に結婚するつもりってこと?」


 アミュウはナタリアから聞いていたとおりに答えた。


「そう」


 セドリックは嬉しそうに続ける。


「ミカグラ先生は今年で二十六歳だ。あの家は特殊家系で血を絶やすわけにもいかないからな、そろそろのはずなんだよ。家を出てもう何年も国中を放浪してるのは、ふさわしい相手を探してるってことだ。結婚さえしてしまえば、あっという間に大司教になる人物だというのがもっぱらの噂だ。ポストももうずっと前から用意されている」


「ふぅん」


 アミュウは王都の喧騒を思い出しながら話す。


「でも、そんなに偉いひとが、こんな片田舎の娘を見初めて結婚までするかしら」

「ナターシャはそれだけの娘だ!」


 セドリックはあご髭から手を離して力強く言い切った。それから、思い出したように付け足す。


「アミュウだって充分魅力的に育っているよ」

「はいはい。私はおまけですよ」


 アミュウは首をすくめて受け流す。


「それに、鉄鉱石の流通の整備に、枢機卿がテコ入れしようとしているという話を聞いたことがある。デウス鉱山掘削の拠点はここカーター・タウンだから、そこまで的外れな話でもないんだよ」


 カーター・タウンは大陸最東端の町で、街道の終着点となっている。先代の頃に小規模ながら港も整備した。町の南にはアミュウの住む森が広がり、西にはデウス鉱山がそびえる。


「なるほどね」


 アミュウは頷く。

 食堂のドアの向こうからは時々ナタリアの声が高く聞こえてくるが、何を話しているのかまでは分からない。手持無沙汰になったアミュウは、店舗で時間をつぶすことにした。

 廊下と店をつなぐドアを開くと、慣れ親しんだ薫香とハーブの香りが暗い店内に広がっていた。アミュウはカウンターのランプに火を灯す。自分のための、背もたれの付いた椅子に深く腰掛ける。見合いの雰囲気は和やかだったが、会食そのものに慣れていないアミュウは終始緊張していた。その緊張の糸が途切れると、徹夜の疲れが一気に押し寄せてきた。カウンターの後ろの戸棚から清涼感のあるにおいのする軟膏を取り出して、痛むこめかみに塗ってみる。手当てをしたという満足感もあってか、少し気分がましになった。

 時間を持て余すと、単純作業に没頭したくなった。アミュウはひきだしから色とりどりの紐を取り出して、色味を合わせた数本を選ぶと、束ねた紐の端をカウンターに固定して編み始めた。



 芽吹きの緑 大地の茶 麦穂の金


 陽だまりにあそぶ みどりごが

 日ごと 月ごと 大きくなるよう


 母のかいなに抱かれて

 眠るごとに 大きくなるよう


 雨に打たれ 風に吹かれ

 倒れた分だけ 大きくなるよう 



 アミュウの口から呪文が紡がれていく。歌うように繰り返されるリズムに乗って、次第に言霊の力が組み紐に蓄えられ、魔法の使い手にのみ見えるほのかな光を放ち始める。二十センチほどの長さになったところで編むのを終えて、糸端を結んだ。


「結べ、豊かな実りをどうかこの手に」


 アミュウは呪文を締めて、余分な紐をはさみで切り落とした。言霊の光は明るさを失い、ランプのあたたかな灯だけが組み紐を照らしている。アミュウはランプの傘を上げて線香に火を灯し、その煙に組み紐をくぐらせた。紐の鮮やかな配色を見つめて、イアン・タルコットのことを考えた。もうすぐ麦の種まきの季節がやってくるが、ジョンストン・タルコットの気力がそれまでに回復するとは到底思えない。彼の病は、焦らず時間をかけることが肝要なのだ。イアンの小さな肩に負われた頭陀袋の大きさを思い返すと、アミュウの口からため息が漏れた。不愛想な態度に苛付いた昼間の自分が大人げない。

 外から声が聞こえてきた。アミュウは、知らない間に腕の間に伏せていた顔を上げて、勝手口へ近づいた。ナタリアとセーキが庭に出ているらしい。後ろめたさを感じながらも、アミュウは勝手口の扉を細く開けてみた。


 コスモスの花壇の近くにナタリアは立っていて、セーキはワインのグラスを片手に持ったまま花壇の周りをゆっくりと歩いている。


「夜風がとても爽やかですね。寒くありませんか?」

「大丈夫、ありがとう」


 満月を一日過ぎた月が高いところまでのぼってきていて、弱弱しいコスモスの花は秋風に絶えず揺れている。ナタリアはその中のひとつに指先で触れる。


「不思議ね、セーキさんと初めて会った気がしないの」


 ナタリアはコスモスの花からセーキの顔へと視線を移す。その表情は真剣そのものだった。ナタリアとセーキは花壇を挟んで右と左に対峙している。


「あなたはどう?」


 セーキは変わらず微笑みをたたえていたが、その目からは柔和なぬくもりが消えていた。値踏みするかのように鋭い視線がナタリアを貫く。アミュウは自分がその視線に射抜かれているかのように身体を硬くした。


「ええ、確かに以前、会っています。覚えていますとも」


 ナタリアの目からも涼やかな快さが消え、北海の流氷のように冷たいまなざしとなった。


「あなたと私は、遠い昔から、運命的に結ばれているようですね」


 言葉の上ではロマンチックだが、セーキの語調からは情熱は一切感じられない。ナタリアも強くセーキをにらみつけている。


(どういうこと?)


 アミュウは息を殺して扉の隙間から二人のやりとりを見守った。ナタリアもセーキと会うのは初めてではない?


「どこで会ったか覚えてる?」

「森の中……小さな泉でした」


 セーキは組んでいた腕をだらりと垂らした。


「そのときあなたは何をしていましたか?」

「そっちこそ、何をしたか覚えているの⁉」


 ナタリアは黒のハイヒールで地団駄を踏んだ。シャンパンゴールドのドレスの裾が派手に揺れる。するとセーキは、枯れ葉で埋もれた底なし沼のように、それと分からないほど薄く空恐ろしい笑みを口元に浮かべた。


「間違いない、その気配。あなたこそずっと探していた女性だ」


 セーキが十字を切り、右手を高く掲げた。すると二人の周囲が輝きの濁流にのまれ、花壇を四角く囲む白い光の柱が立ち上った。光の柱はコスモスの花を焼き、ナタリアとセーキの影を焼き、カーター邸の庭を焼いた。


(結界だ!)


 アミュウは勝手口を飛び出した。この手の魔法は扱いなれているが、今まで見たどんな結界を思い起こしても、出力が比べ物にならない。光に焼かれぬよう目を腕でかばいながら展開されている結界に近づこうとした途端、光は急速に収束しはじめ、アミュウが勝手口からそこへたどり着くまでのわずか数歩のうちに、光の壁は消えた。目に見えない壁の内と外は完全に遮断され、二人の姿も声もかき消された。空になったグラスが転がり、コスモスの花が何事もなかったように夜風に揺れている。

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[一言] えー? セーキの攻撃対象はアミュウじゃあないの?
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