2-22.視線【挿絵】
「ではこのナイフはそのときの?」
聖輝が鞄から錆びたナイフを取り出して見せる。グレゴリーは拡大鏡を片手に手帳を繰る。左手が塞がっているため、緩慢な動作だった。アミュウがもどかしく見守るうち、グレゴリーは「おぉ」と声を洩らす。
「昨日、フェルナンに備品録を当たらせたのですが。当年に受け入れたナイフの管理番号が、3682番、3704番、3712番……」
「それです」
聖輝が頷く。グレゴリーは手帳を閉じて行った。
「その後まもなく、その年の秋に彼女は亡くなりました。カーター・タウンで暮らす元夫の家で、首をくくったのです。彼たっての願いもあって、葬儀はここスタインウッド、私の手で弔いました」
(マイラ・タルコット……ケヴィン君たちの叔母さん。そしてイアン君の、お母さん? ――が使ったナイフ?)
アミュウが質問の声をあげようとするのを、聖輝が視線で制する。代わりに聖輝がグレゴリーに訊ねた。
「タルコット家には、このナイフを使って儀式を行った痕跡がありました。お心当たりは?」
「……いえ」
グレゴリーがちらりと、聖輝の後ろ、書き物机の正面の壁に掛けられた肖像画に目をやったのを、アミュウは見落とさなかった。グレゴリーは押し黙る。アミュウは、訊いてよいものかどうか迷いながら、口にした。
「あの……その、絵に描かれている方は?」
ごく小さな画面の、青年の肖像だった。
「息子の成人祝いの肖像です――と言っても、私に妻はおりませんので、養子ですがね」
聖輝は質問を重ねた。
「ご子息は教会に?」
「ジャレッドと申しまして、王都で助祭をやっております。今年四十を迎えました。ご存知でしょうか、ミカグラさん」
「お見かけしたことは何度か――しかし、ご子息にここの教会を継いでもらわなかったのですか?」
「はぁ。私もそのつもりでおったのですが。手前味噌ながら、あれは、私よりも才覚がございます。ときどき王都へ使いへ出すうちに、いつの間にか向こうで人脈を築いていたようで、引退しようとした矢先に、さっさと籍を移してしまいました。歳が歳なのに、後継者がいなくなって困っていたところを、ラ・ブリーズ・ドランジュからフェルナンを寄越してもらったのですよ」
グレゴリーの話を聞いているうちに、アミュウの胸に苦いものが少しずつ広がっていった。老人の口ぶりは慇懃だが、若者たちを手駒のように考えているのがわずかに透けて見える。ともすると眉間に皺が寄りそうになるのを、アミュウは茶を啜って誤魔化した。
聖輝はアミュウの心のうちを知ってか知らずか、もっと胸の悪くなるようなことを口にしかけた。
「ところで、この教会では供物を集めているようですが――」
「ミカグラさん」
グレゴリーの皺が、大理石の彫刻のように冷たく硬くなった。眼鏡越しの、白い睫毛に覆われたまなざしは樹氷のようだ。
「私は、このとおり老いさらばえ、中央のことには疎いです。しかし、確かに法王派ですよ。どうか覚えていてください」
グレゴリーはそれ以上のことは話さなかったし、聖輝も無理に問い詰めることはしなかった。
その日の昼便の駅馬車に乗り、アミュウと聖輝はカーター・タウンへと戻った。馬車はそろそろ夕刻に差し掛かろうかという頃、町の北部辺縁に到着する。そこからキャンデレ・スクエアの「ザ・バーズ・ネストB&B」までは徒歩で十五分、南の森のアミュウの小屋へは小一時間ほどかかる。アミュウはキャンデレ・スクエアで聖輝と別れようとしたが、聖輝は小屋まで送ると言って譲らなかった。彼を言い負かすだけの気力は、アミュウには残っていなかった。
二人は今、セントラルプラザを抜けて通りを南下している。カーター・タウンの往来は、スタインウッドでは感じられなかった活気がある。夕飯の準備にと買い物に出る主婦、学校帰りの子どもたち、頃合いの作物を担いで畑から引き上げてくる大人たち……アミュウは人とすれ違うたびに、ほっとするような、懐かしいような、不思議な心地を覚えていた。
「結局、肝心なところが分かりませんでしたね」
アミュウはため息といっしょに言葉を洩らす。
「マイラっていう人のナイフだとは分かったけど、誰が、何のためにあんな呪いを仕掛けたのかは謎のまま」
聖輝は、人目を憚りながら応じた。
「大方、あの牧場一家の誰かの仕業でしょう。『誓いの儀式』で使われたナイフは、その誓いを生涯忘れないよう、その人の手に渡ります。形見のナイフを使って、にっくき娘の元旦那に復讐したってところではないかと。
それに、あの教会では違反供物が横行しているようだった……叩けば必ず埃が出てくるはずだが、事情がよく分からない以上、闇雲に追及するわけにもいきません。釘も刺されたことですし」
「釘?」
「あのご老人は法王派と言っていたでしょう。教会も、色々あるんですよ。だいたい、私はまだ見習いです。禁止供物がどうのこうのというのは、私の手に余ります」
「でも、聖輝さんのお父さんは、偉い方なんですよね」
「だから釘を刺されたんじゃないですか」
いつの間にか人通りはまばらになり、タルコット家の屋根が見えてきた。実の落とされた柿の木が、庭の片隅に侘しく佇んでいる。聖輝もアミュウも、足を止めた。
家に近付いたあたり。そこでアミュウは、妙な気配を感じた。
「…………」
聖輝がぐるりと頭を巡らせてつぶやく。
「今、たしかに誰かが」
(このあいだ、イアン君を送っていったときにも、視線を感じたんだった)
アミュウはさっと両手の指を組むと、呪文を三度唱えた。
「化生か魔性か、姿を現せ」
三度唱えると、アミュウの魔力が指のあいだにシャボン玉のような幕となって張られる。片目を瞑り、指の隙間に生じた窓から辺りを覗くと、柿の木のあたりに、何かの気配の残滓がきらめいている。しかし、その淡い光は露と消え、正体を暴くことはできなかった。
「逃げられました」
聖輝は穴が開くほど柿の木を見つめている。数秒の後、彼は目をしばたたかせて首を横に振った。
「いや、確かに何か感じたのですが、私には見えなかった。あまりに弱い気配ですが、場所が場所だけに――」
「気になりますね」
二人はタルコット家の半ば裸となった柿の木を眺めていたが、やがてどちらからともなく田舎道を歩き始めた。考えごとをするには、三時間も馬車に揺られ続けたアミュウは疲れ果てていた。
十分も歩くと、今度はタルコット家の畑が遠目に見えてきた。大小ふたつの影が動いている――近づいてみると、意外な組み合わせ――イアンと、ジークフリートだった。
「おう! アミュウじゃねえか」
ジークフリートが真っ先にアミュウに気が付き、屈託のない笑顔で鍬を振り上げる。彼はセドリックのお下がりのシャツとベストを着ていた。イアンも、手についた土を払ってアミュウたちに手を振った。アミュウは農道を駆け降りる。
「ジークフリートさん、もう起き上がって大丈夫なの?」
「ジークでいい。お陰様でこのとおり――あとは腕さえ戻れば完璧だぜ」
「どうしてイアン君の畑に?」
「ナタリアに教えてもらったんだ。寝込んでても身体が鈍るだけだから、何か仕事をくれって言ったらさ、真っ先にこいつを手伝えって」
ジークフリートは親指でイアンを指す。イアンは決まり悪そうにもごもご言う。
「突然、ナタリアさんからこの人を紹介されて。びっくりしました……」
アミュウは苦笑した。ジークフリートの弾けるような活力に触れ、アミュウの気分はいくら上向いた。
「リハビリってわけね」
「ま、そういうこと。お陰でいつでも麦蒔きできるぜ」
ジークフリートは右腕全体で畑を示して、ニッカリと笑った。笑っていないのは、聖輝だった。聖輝は、彼には珍しく渋面を浮かべている。
「あ、聖輝さんは、ジークふ……ジークとは初対面も同然ですね。こちら、教会総本山の御神楽聖輝さんです。ジークは覚えていないでしょうけど、あなたが漂着したとき、聖輝さんにも来てもらっていたのよ」
「どうも! 遭難者のジークフリートです! ジークって呼んでくれよな」
ジークフリートはお道化て敬礼のような仕草をして見せたが、聖輝はしかめ面を解かずに、小さく頭を下げたのみだった。
そんな風に話し込んでいたので、アミュウは農道を町の方から手押し車が近づいてくるのに気が付かなかった。




