2-21.老人は語る【挿絵】
広場の中心の井戸では、水を汲みに来た女性たちがおしゃべりの輪を作っていた。女性たちは、アミュウと聖輝の方をちらりと見て、ほんの少しトーンを落としておしゃべりに戻る。駅の前を男が荷車を曳いてゆき、商店の前を、子どもが掃き清めていた。
教会の別棟の勝手口からフェルナン牧師が出てきた。
「それじゃ、僕はこれで。ほんとにありがとうございました!」
そう言うと、ケヴィンはフェルナンの元へと駆けていった。ケヴィンは手に持っていたバケツの蓋を開けて、フェルナンに見せている。フェルナンは二つ三つ、何やらケヴィンに訊ねているようだった。何らかの問答ののち、二人の声が大きくなってはっきりと聞こえてきた。
「昨日絞めたばかりですよ⁉ まだ新鮮です」
「だから、当日でないと儀式には使えないのです」
フェルナンはそこではっとこちらに気付いたようだった。フェルナンはケヴィンに背を向けて、袖廊の根元の、鐘楼へつづく梯子に手をかけた。
「……新鮮なら、傷まないうちに食べてしまうのがよろしいでしょう。シンプトン氏には、毎度感謝しているとお伝えください」
そして聖輝に向かって言った。
「おはようございます。エヴァンズ先生が中でお待ちです。どうぞお入りください」
教会の中に入り、内扉を開くと、はたしてグレゴリーが一番後ろの席に座っていた。グレゴリーはうつむき、何やら分厚い手帳を拡大鏡越しに見つめていたが、やおら立ち上がり、ループタイの歪みを直しながら聖輝に握手を求めた。
「おはようございます。スタインウッドの朝はいかがですか」
「爽やかで良い日和ですね」
「二人お揃いで」
「お言葉に甘えて、お邪魔します」
ループタイに続いて襟まで直したグレゴリーは、前室に続く内扉を開き、聖輝たちに外へ出るよう促した。そして自分も外へ出ようとする前に、前室に活けられた白菊の、茶色くなった葉の部分を二、三摘み取った。そのとき、フェルナン牧師の鳴らす「二の鐘」が振動を伴って鳴り響き、村に時を知らせた。
グレゴリーの自宅は、教会からほんの目と鼻の先である商店の裏側、栗の木に囲まれた、小屋と言っても差し支えないほどささやかな佇まいだった。アミュウは師メイ・キテラの家を思い起こした。聖輝が心持ち屈まないと入れないほど小さな扉の奥には、簡素な炊事場が設えてあり、暖簾の奥に、必要最小限の家具のみ置かれた生活空間が広がっていた。こざっぱりと片付けられた見た目とは裏腹に、かび臭さを樟脳の香りで隠したような、何とも言えないにおいが染みついていた。
食卓は無く、書棚の脇に据えられた書き物机があるのみで、グレゴリーは聖輝にその椅子を勧めた。アミュウには、竹製の行李を引きずり出し、椅子代わりにかけるよう促した。
グレゴリーは炊事場から、予め用意してあったとみられる冷めた茶を、木の椀に注いで持ってきた。そして自身は寝台に腰かけた。
「さて、何から話しますかな」
グレゴリーは茶で喉を湿してから、虚空を見た。
「日記を読み返してみたのですが、もう八年も前のことでした。もっと最近のことだと思っておったのですが……そのころ、私はまだ現役でしてね。教会に、道を修めたいと、ひとりの若い女がやってまいりました。見てのとおり、ここ、スタインウッドは、家畜しかいない寒村です。学べるものも学べません。王都か、せめてラ・ブリーズ・ドランジェへ行くようにと勧めたのですが、なかなか分かって頂けず。ちょうど今のように、茶を勧めながら話しておったのです」
フェンネルとアニスの甘い香りの漂うスパイス・ティーだった。グレゴリーは椀に映る自身の顔を覗き込みながら話しているようだった。アミュウの心は沈んでいたが、茶を啜りながらグレゴリーの声を聞いていると、自然と彼の語りに耳を奪われていった。
「訳ありでしてねぇ……彼女はぽろぽろと涙をこぼしながら身の上を語りました。数年前に、カーター・タウンに戸籍を残したまま、ふるさとであるここスタインウッドへ戻ってきたのだと。彼女は実家に身を寄せておりましたが、針の筵のようだと申しておりまして。自分が実家にいては家族にまで迷惑がかかるから、家を出たいと泣きながらに言うのです。よくよく話を聞くと、嫁ぎ先でつらい目に遭って、出戻ってきたようなのですよ。まあ、小さな村なので噂が立つのは詮無いことです。
とにかく、彼女は手っ取り早く身を立てる方法として、教会を頼っているように見えました。しかし、戸籍がカーター・タウンに残ったままでは、修行はおろか、修道の誓いすら受け入れられません。私はまず、カーター・タウンの役場で正しく移籍の手続きをするよう彼女に説明しました。しかし彼女は、それはできないと首を横に振る。夫が離婚を許さないと。そうしてさめざめと泣くのです。
ちょうど今と同じような格好で、彼女を執務室の机の椅子に座らせておりました。気の毒ではありましたが、どれだけ泣こうが、ミカグラさん、あなたもご存知の通り、聖職を拝しようとする者の身元をはっきりさせるための制度なのです。受け入れられぬものはならんのです。そう諭して、私は茶を下げようと席を立ちました。
しかし彼女は、その一瞬の隙を突いて、机の上に出しっぱなしにしてあったナイフで、自らの長い金髪をバッサリと切りました。そして、私は本気だとのたまうのです」
そこでグレゴリーは怯えたように目を伏せた。
「まるで狂女でした……いや、刃物を出しっぱなしにしていた私の手落ちなのですがね。私もいい歳ですが、お陰で、整理整頓が身につきましたよ」
聖輝は神妙な様子で相槌を打ちながら話を聞いている。その横顔を見て、アミュウの頭の中で、唐突にカチリと鍵の嵌まる音が鳴った。
「そこまでやられては、こちらもただ家に帰すわけにはいきません。礼拝堂へ場を移し、私は、彼女の誓いを見届けました。
彼女は、マイラ・シンプトンと名乗りました。しかしそれはどうも、実家の姓らしい。儀式のため必要なので、私は彼女に、戸籍上の名を訊ねました」
「タルコットさんですね」
アミュウがその名を口にすると、グレゴリーはゆっくりと頷いた。
若松ユウ様からファンアートを頂きました。
活動報告でご紹介しておりますので、どうぞご覧ください。
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1423845/blogkey/2222658/
若松ユウ様、素敵なイラストをありがとうございました!




