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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第二章 銀の匙で海をすくう

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2-17.血の腸詰【挿絵】

「すみません。無理です」


 両手を挙げてあっさりと降参するアミュウを横目に、聖輝は苦笑しながらフィオナに釈明した。


「フィオナさん。さっき申し上げたとおり、私たちは夫婦でもなければ恋人でもありません。申し訳ないのですが、納屋でも土間でも構わないので、もう一つスペースをお借りできませんか」

「あらあら、ごめんなさい。でも、ベッドの数が足りなくて……」

「毛布だけ貸していただければ大丈夫ですから」

「いえ、そんなわけには」


 フィオナは仰々しく腕を組む。


「居間で休んで頂くにしても、うちの長椅子はソファーじゃなくて硬いから……」

「以前、旅先で飼い葉のベッドを借りたことがあります。ご迷惑でしょうか」

「藁ですか……そりゃまァ、うちは牧場なので、たんまりありますが……」


 聖輝はアミュウに視線を送りながら、フィオナに言った。アミュウをそのまま夫婦の寝室に縫い留めるかのような、強い視線だ。


「屋根があって、毛布があれば、最高の寝床です。もしもこのお部屋を使わせて頂けるのなら、アミュウさん、あなたひとりで使うといい」


 有無を言わさぬ、ぴしりと芯の通った声音だった。




「ここが牧舎だよ。掃除は僕の仕事なんだ。こうしてお兄ちゃんたちが放牧に羊を連れ出しているあいだに、僕がここを綺麗にする。さっき掃除したばかりだからさっぱりしてるでしょ」


 ケヴィンと彼の父親、そして祖父は、オオカミに襲われた現場に出向き、羊の死骸を回収している。彼らの帰りを待つ間、アミュウと聖輝はニコラスに牧場を案内してもらっていた。

 木造の広い牧舎は、簡易の柵で仕切られていた。入り口も窓も開け放されていたが、けものの臭いで充満している。ケヴィンは掃除をしたと言っていたが、床にはあちこちに糞と藁くずが残っていた。


「ここはメスや子羊が暮らす部屋なんだ。ふだん、オスは別の牧舎にいるんだけど、今は繁殖期だから、メスたちと一緒に暮らしてる。春になると赤ちゃんがたっくさん生まれるよ」


 ニコラスは、歪んだ柵を直したり、転がっているバケツを棚に戻したりしながら説明を続ける。


「エサは、牧草だけなの?」


 アミュウが訊ねると、ニコラスは視線を宙に泳がせた。


「他にも、藁くずとか、干し草とか、豆殻とか……冬の間は牧草が枯れるから、そういうのばかりになるよ」


 そしてニコラスは少しばかりうつむいて続けた。


「そういえばね、今年はまだ藁束が届かないって言って、おじいちゃんが怒ってた」

「藁束?」

「うん。毎年秋になると藁束を届けてくれる人がいるらしいんだけどさ、届かなくて。なんだか、じいちゃん、やけに機嫌が悪くて……じいちゃんの機嫌が悪いと、ばあちゃんまでわけが分からなくなるから、もうちょっと落ち着いていてもらいたいんだけどなぁ……っと。ウワサをすれば、帰ってきた!」


 ニコラスは牧舎の出口へ駆けていく。アミュウと聖輝が後を追うと、羊の大群の先頭に、ケヴィンと、彼の父と祖父と、荷車をひいた農耕牛がゆったりとした足取りでこちらへ向かっていった。


「おかえりなさーい!」


 ニコラスが大きく手を振ると、兄と大人たちも手を振って返した。荷車はそのまま母屋の裏に付けた。羊たちは犬に牧舎へと追い立てられていく。目の前を次から次へと羊が駆け抜けていく様は、まるで白いスポンジで身体を洗われているかのようだった。


「セーキさんにアミュウさんですね。ケヴィンから話は聞きました。息子と羊たちを魔法で助けて頂いたとか。父のロナルド・シンプトンです。あっちは、私の父のルドルフ」


 そう言って、ケヴィンによく似て鼻筋の通った中年男性が、聖輝に握手を求めてきた。母屋のほうでは、牛を荷車から放そうとしている壮年男性が、帽子を脱いで頭を下げた。


(駄目だ、ぜったいに覚えられない……)


 アミュウは集団の中で過ごした経験に乏しい。一度に多人数の顔と名前を覚えるのは彼女にとって至難の業だった。傍らの聖輝を見上げると、涼しい顔でロナルドと世間話をしている。

 アミュウは何の気なしに、まだ牧舎の入り口をうろついていた羊の背中を撫でた。薄茶色に汚れたその毛は、思っていたよりも硬くごわついて、温かかった。



挿絵(By みてみん)



 シンプトン家の食卓は、土間からつながる台所に据えてあった。

 その日の夕飯は、羊の死骸をロナルドが解体し、フィオナとケヴィンが料理したものだった。

 下茹でした臓物を刻んだ香草と野菜と一緒に煮込み、堅焼きのパンを浸して頂く。血にくず肉や大麦を混ぜて作った腸詰めは低温でじっくりと茹で上げてあり、蛇がとぐろを巻いたような、長く切れ目のないひとつながりを、食卓で都度、切り分けた。

 ルドルフ――ケヴィンらの祖父が、ウィスキーのお湯割りを舐めながら言った。


「お口に合いますかな」


(あなたが料理したわけではないじゃない)


 アミュウはルドルフに対して小さな反発心を抱いた。聖輝がにこやかに答える。


「ええ、どれも美味しいです」

「ホルモンは、捌いたその日に食べるのが一番旨いんですよ」


 ルドルフがなおも自慢げに続ける。


「マイラや、おまえ、ブラッド・ソーセージが好きだろう。たんとお食べ」


 ケヴィンらの祖母――キンバリーという名らしい――が、腸詰めを切り分けてはアミュウの取り皿へ放り込んでいくのを、ジゼルが窘める。


「おばあちゃん! そんなに取ったらマイラ叔母さんが困っちゃうよ」


 実際、小食のアミュウが食べきれる量ではなかった。アミュウの食の進まないのを見て取ったのか、キンバリーの目を盗んでは、聖輝がひょいひょいとアミュウの皿から腸詰めをかっさらって口の中に収めていく。アミュウは聖輝の健啖家ぶりに舌を捲いた。

 それからもうひとつ、アミュウが聖輝の様子を見ていて気付いたことがある。普段、聖輝はワインを浴びるように飲んでいるが、今日はそれほど盃が進んでいない。シンプトン家の酒はワインではなくウイスキーだった。酒の種類が違うからか何なのか、酒に疎いアミュウには分からなかった。

 老婆の妄言は止まらなかった。


「お前が帰ってきてくれて嬉しいよ。お前、何だってあんな男のところへ嫁いだんだい」


 一瞬、水を打ったように食卓が静まり返った。

 ジゼルが席を立ち、キンバリーの背中に手を添える。


「おばあちゃん、あっちで、お茶を淹れよう? マイラ叔母さん、お茶が欲しいんだって」

「おお、そうかい」


 キンバリーはジゼルに支えられて緩慢な動作で立ち上がると、孫娘と一緒にケトルに水をいれたり、かまどに薪をくべたりした。


「……ごめんなさいね、おばあちゃんがあんなで」


 フィオナがアミュウに小声で詫びを入れる。


「いえ、気にしていません。それより、すっかりお邪魔をしてしまって、こちらが申し訳ないです」


 そう言ってアミュウはナイフとフォークを揃えて置いた。食事終了のサインだ。


「もっと食べなくていいんですか? あんなにすごい魔法を使ったのに」


 ケヴィンの無邪気な問いに、アミュウは苦笑いを浮かべた。それからは、オオカミを相手に、アミュウと聖輝がどれだけ勇猛な攻勢をかけたか、ケヴィンの独壇場だった。ケヴィンは多分に脚色して話していたが、聖輝はただニコニコと黙って相槌を打つだけなので、大げさな部分を否定するのはアミュウの役目だった。

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