2-15.心臓【挿絵】
教会を出た聖輝とアミュウは、階段を降りたところで足を止めた。
「あなたのことは知られたくなかったのですが……まあ、結果オーライでしたね。あのエヴァンズとかいう牧師は何か知っていそうだ」
「あの、明日の朝にこの教会ってことは、今晩はここに泊まりですよね……?」
聖輝は頷いて、わずかに首を傾げる。
「カーター・タウンに戻りますか? 無理しなくていいんですよ。明日は私ひとりで行きましょう。今ならまだ午後の馬車に間に合う」
アミュウは「いいえ」と言った。思いがけず強い語調になったのに、アミュウ自身が戸惑いながら付け加えた。
「あのナイフの呪いを解いたのは私です。それに、ジョンストンさんは私の顧客よ。誰があんなものを仕掛けたのか、きちんと知りたいです」
聖輝は口の端を持ち上げてにやりと笑った。
「そう言うと思いました。だから、ここへ来ないかと声をかけたんですよ」
聖輝は広場の北側へ向かって歩き始めた。
「さあ、こっちが宿です」
「詳しいですね」
「カーター・タウンに来る前、ここを通りましたからね」
猫が一匹、建物の陰から歩み出てきた。アミュウと目が合うと猫はぴたりと立ち止まり、固まったように動かない。
「人っこひとりいませんね……カーター・タウンじゃ、いつでもどこでも、誰かがいるのに」
「この村には午睡の習慣があるんですよ」
アミュウは教会を振り返って見た。
「昼寝の時間なのに、よくフェルナン牧師やエヴァンズさんに会えましたね」
聖輝はくつくつと笑った。
「教会の人間は昼寝なんてしませんよ。勤労の精神にもとります」
「聖輝さん、駅でも馬車でも寝てましたよね」
「私はまだ見習いですから――と、ここですよ」
平屋ばかりのスタインウッドにあって、珍しい木造二階建てのその宿は、黒く変色した木の柱や梁、筋交いがむき出しになっていて、漆喰の壁とのコントラストが目に痛いほどだった。入り口を支える柱には、ささやかながら木の実の模様の彫刻が施されている。玄関脇にはピンクと黄色の秋バラが見ごろを迎え、足元にはマリーゴールドとアリッサムの鉢が並んでいる。
アミュウが感嘆の声を洩らす。
「随分と洒落てますね」
「でも、“アップルホテル”なんて名前なんですよ」
「なあに、それ」
アミュウはくすりと笑った。
「聖輝さんの使っている宿も、変な名前でしたよね。キャンデレ・スクエアの……鳥がなんとかっていう」
「ザ・バーズ・ネストB&B」
「そうそう」
聖輝はよく磨かれた木の扉を開いた。古い絨毯の敷かれたロビーの奥、突き当りのカウンターには誰もいない。聖輝は暗い室内に足を踏み入れる。アミュウもあとから続いた。宿の中は静まり返っていた。聖輝はカウンターに近寄り、呼び出し用のベルを鳴らした。
リイィィーーーーン…………
金属音はロビー中を貫くように響いた。その残響が消えるのを待って、聖輝は再びベルを鳴らす。三度目を鳴らすころ、右手奥のドアから老婦人が出てきた。眼鏡を片手に持ち、目をこすっている。
「お客様ですか」
老婦人は眼鏡をかけて、カウンターに立つ。
「あいにく本日は満室ですの。繁農期で、よそからお手伝いの方がたくさん見えておりまして」
アミュウの口から「えっ」と声が漏れた。聖輝は老婦人に訊ねる。
「この村に、他に宿は」
「すみませんねぇ、宿というものは、うちだけなんですよ。お客様には申し訳ないのだけれど」
「そうですか……」
聖輝がカウンターを離れると、老婦人はあくびをしながら扉の奥へ消えていった。聖輝は頭を掻いて言った。
「弱りましたね」
「まさか、野宿とか」
「却下です。私だけならともかく」
聖輝は疲れた様子でロビーの布張りの椅子に腰かけた。
「早いところ荷物を預けたかったんですが。
仕方ない、フェルナン牧師に相談してみますかね。あまり教会を頼りたくはないのですが……」
「屋根だけでも貸してもらえたらいいですね」
聖輝はアミュウを真顔で見た。その目が珍しく真剣だったので、アミュウは思わずたじろいだ。
「なんですか」
「アミュウさん。危機意識がありませんね」
アミュウは聖輝を睨み返す。
「そんなことありませんよ。呪いを仕込んだ張本人たちのお膝元に飛び込んでいくってことでしょう。それくらい、分かってます」
「まあ、それもありますがね。彼らからしたら、あなたは解呪の実行犯なんですよ」
聖輝はため息をつくと、椅子から立ち上がった。
「気は進みませんが、教会に戻ってみましょう」
アミュウは頷き、古びた、しかし手入れの行き届いた宿の扉を押し開けた。
「あら……?」
アミュウは扉の向こう、広場の南側の道を上ってくる人影を見つけた。ケヴィンだった。手に蓋つきのバケツを提げている。
アミュウと聖輝が宿から出ると、ケヴィンの方もこちらに気が付いたようだった。片手を挙げて挨拶してくる。アミュウはケヴィンに駆け寄った。
「またお会いしましたね! ご無事で何よりです」
「さっきは助かりました」
ケヴィンはその場にバケツを置いて、アミュウに応じる。その笑顔には疲労が滲んでいた。ケヴィンは「アップルホテル」を見て訊ねる。
「アミュウさんたち、ここに泊まるんですか?」
「いえ、それが満室らしくて……」
「ひょっとして今晩の宿で困ってます?」
ケヴィンは首を傾げてアミュウを覗き込むように見る。帽子の中の伸びかけた栗色の髪がぴょこんと揺れる。
「もしよければ、うちに泊まりませんか? さっきのお礼もしたいですし」
アミュウは振り返って聖輝と顔を見合せる。聖輝が会話に加わる。
「ご家族の邪魔にならなければ、そうさせてもらえると助かりますが。しかしケヴィン君。君の一存で決めていいんですか」
「大丈夫ですよ。大家族なので、一人や二人増えたところで大して変わりません。すこし待っていてもらえますか。教会に届けものがあるんです」
ケヴィンは愛想よく笑って見せると、バケツを持ち上げた。その拍子に、バケツの蓋が外れて滑り落ちた。
「あ」
アミュウの目にバケツの中身が留まった。赤黒く、ぬらぬらと光るそれは、なにかの臓物のように見えた。
思わずアミュウが後ずさると、ケヴィンは蓋を元に戻しながら弁解する。
「妙なものを見せちゃってすみません」
「……それは?」
柔和な笑顔を崩さずに、聖輝がケヴィンに訊ねる。
「羊の心臓です。じゃあ、急いで行ってきますね!」
事もなげに言うと、ケヴィンは教会の石段を駆け上がっていった。五分後に戻ってきた彼が提げていたバケツは、軽やかにスイングしていた。どうやら中身は空っぽらしい。




