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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第二章 銀の匙で海をすくう

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2-11.馬車に揺られて【挿絵】

 その二日後の秋晴れの朝、アミュウはカーター・タウン北部辺縁で、聖輝とともに乗合馬車を待っていた。アミュウにとって馬車に乗るのは、王都ソンブレイユから戻って以来、実に三年ぶりだった。


 聖輝は、荷物で膨れ上がった革の鞄を地べたに置いて、長椅子で船を漕いでいた。アミュウはその隣で、自分の荷物の少なさに不安を抱いていた。聖輝は白いシャツに色あせた黒いジャケットを着ていた。

 スタインウッドは、カーター・タウンから乗合馬車で三、四時間ほどの距離だった。教会に行って話を聞くだけなら、日帰りできる距離だ。アミュウは最低限の荷物しか持ち合わせていなかった。それに比べてどうだ、聖輝の荷物の大きさは。聖輝が眠り込んでいるのを確かめてから、アミュウはこっそりその鞄を持ち上げてみた。相当な重量だった。鞄の中でなにか硬いもの同士が擦れる手応えがある。ワイン瓶が何本か入っているのだろう。


 カーター・タウンは街道の終着点であり、始点でもある。駅馬車は定刻より少し早く馬小屋からやってきた。アミュウは聖輝の肩を揺さぶって起こした。二頭立て乗客六人乗りのワゴネットには幌も無い。待ち合いの客はとうとうアミュウと聖輝の二人きりだった。アミュウが先に乗り込み、向かい合って聖輝が座る。御者は、客が二人きりであるのを確かめると、駅の物置の錆だらけの錠を開けて、積み荷をいくらか増やした。お陰で座席が狭まり、聖輝は長い脚の収めどころを決めかねているようだった。


「スタインウッドまでお願いします」


 聖輝が御者に運賃を支払う。御者席の方へ聖輝が身を乗り出したとき、アミュウの脚に聖輝の足が当たった。アミュウは慌てて脚をひっこめた。御者は短距離移動の客に失望したらしく、あからさまに不愛想な態度で金を受け取った。

 御者が軽く手綱を譲ると、馬がゆっくりと動き始め、馬車は街道を北上する。カーター・タウン北部には葡萄畑が広がっているが、十月もそろそろ中旬というこの時期、殆どの畑が収穫を終えていた。今ごろ葡萄農家は、樽で発酵させたワインを搾ったり、濾過したりと忙しい時期だ。


「今年のワインが出回るのもあと少しですねぇ」


 聖輝がワゴンの柵に頬杖をついてのんびりと言う。アミュウに酒のことは分からない。曖昧に頷いた。


「ところで、昼食の用意はしていますか」


 聖輝はアミュウの少ない荷物に目をやりながら訊ねる。


「いえ、スタインウッドに着いてからお店を探すんだとばかり……」

「順調にいけばお昼前に到着しますね。向こうで温かい料理が食べたいものです」



挿絵(By みてみん)



 馬車は葡萄畑を抜けて、酪農地帯へと入っていた。そのころには、聖輝の脚は容赦なくアミュウの脚を押しのけていた。スラックスの厚い綿の布地越しに聖輝の体温が伝わってくる。

 聖輝は再び船を漕いでいた。聖輝の首ががくんがくんと揺れるのは、居眠りのせいばかりでなく、サスペンションの無い安馬車のせいでもある。アミュウは、聖輝の黒い直毛が揺れるのを見ていた。大イノシシに襲われた後、力尽きたように眠り込んだ聖輝の姿が重なる。あのときアミュウは聖輝の容態を心配して、額に手を当てた。触れた前髪の髪質は細く頼りなかった。居眠りしている今、再びその黒髪に触れられるだろうか――。

 もちろん、そんなことはできなかった。アミュウは代わりに、無遠慮に(眠り込んでいるのだから当然なのだが)聖輝が預けてくる脚の重みに反発するように、触れあっている脚を押し戻した。


 道すがら、聖輝には、夢に出てきた騎士シグルド・ログンベルクの名を報告しようと思っていた。遭難者ジークフリートがシグルドとよく似ていることを話そうと思っていた。できれば、なぜ禁術の紙雛をアミュウとナタリアに寄越したのかも。

 しかし、話すタイミングを探っているうちに、気付けば聖輝は眠ってしまっていた。


(何を躊躇しているんだろう、私は……また、うまく話せないかもしれないと、怖がっているの?)


 物思いに耽りながら聖輝の寝顔を見ていると、アミュウも抗いようのない眠気に誘われていった。アミュウはドビー織の肩掛けを頭からかぶって日除けにして、目を閉じた。馬車の揺れが心地よいまどろみを誘った。

 眠りながら、アミュウは秋の陽射しの柔らかさを堪能していた。のんびりとした蹄のリズム、背と尻を揺らす振動。それはまるで、子どもが母親に抱かれているような――。

 歌が聞こえてきた気がした。


(――お母さん(アデレード)?)


 秋の陽射しの逆光の中、マントルピースに立てかけられた肖像の、澄ました母とはまるで違った大らかな笑顔を見た気がした。


(違う、ナターシャだ)


 ナタリアがリュートを爪弾き、歌っている。あれは、何の歌だったか――。


「アミュウさん」


 大きな筋張った手がアミュウの肩に触れる。はっとして顔を上げると、頭からかぶっていた肩掛けがはらりと落ちて、ワゴネットの外へ飛ばされそうになる。それを聖輝がつかみ取り、アミュウの膝に置いた。アミュウはまだ寝ぼけていた。


「どうかしましたか?」

「夢を――」


 聖輝の目つきが変わり、身を乗り出してくる。


「例の夢ですか」


 アミュウは慌ててかぶりを振った。


「違うんです、久しぶりに普通の夢を見て、なんだかほっとしたというか……」


 アミュウの言葉を聞くと、聖輝は興味を失ったように、馬車の木枠に背を預けた。その様子を見て、アミュウは冷たい石を飲まされたような心地を覚えた。


(この人は、私の見る夢に興味があるのであって、私自身に興味があるわけではないんだ)


 その気付きは、鋭い痛みとなってアミュウの胃の辺りから脳天を貫いた。その衝撃にアミュウ自身が驚いていると、聖輝が遠くを指さして言った。


「あれを見てください」


 街道の両脇には平原が広がる。放牧地として活用されている辺りで、ここまで来ればスタインウッドまではあと少しというところだった。進行方向に向かって左手、つまり西側、遠くにデウス山脈の見える側で、二頭の牧羊犬が羊たちの群れを追い立てていた。羊飼いが何やら喚いているが、その言葉の中身までは聞き取れない。

 よく目を凝らすと、羊たちを追っているのは、牧羊犬ばかりではなかった。牧羊犬から遠く離れた後方を、大きな黒い影が駆け抜ける。


「あれって……」

「オオカミですね。逃げ切れるかどうか」


 アミュウは息を詰めてその光景を見守る。羊たちとオオカミの距離はみるみるうちに縮まっていく。アミュウは縋るように聖輝を見た。


「何か言いたそうですね」


 しかしアミュウには何も言えなかった。自身にけものを撃退する力があるわけではないのだ。先日の大イノシシの件で、己の非力さについては骨身に応えている。見過ごせないと言って聖輝の力を頼るのは、筋違いだ。


「あの分だと、羊が何頭かやられるくらいでしょう。よくあることです」

「よくある?」

「ええ、東部、それもここカーター・タウンが平和過ぎるんです。西部では日常茶飯事ですよ」


 御者が馬の足を心持ち速めた。馬は怯える様子もなく、御者の指示に従順だ。

 逃げ遅れた羊が一頭、オオカミの爪牙にかかって倒れる。アミュウはそのときになってようやく、羊に比べてオオカミの身体が随分と大きいことに気付いた。森で遭遇したイノシシの姿が頭をよぎる。


「聖輝さん。あのオオカミ、大き過ぎやしませんか」


 聖輝は無言で頷きながら、オオカミと羊たち、それに羊飼いの距離を測っている。オオカミは、倒れた羊を喰うかと思いきや、その牙を突き立てたむくろをあっさりとなげうち、再び羊たちを追いはじめた。


「――不味いな」


 オオカミは見る間に次の羊を捉え、その白く柔らかな首に噛みつく。しかし、息の根を止めるかどうかというところでその獲物への興味を失い、すぐさま他の生ある羊を追いかけようとするのだった。

 アミュウは蓮飾りの杖を握りしめた。聖輝がちらりとその杖に目線をやるのを視界の隅に捉えるが、アミュウは羊たちから目を離さなかった。牧羊犬がまとめ上げる群れからこぼれ落ちた羊が一頭、また一頭。聖輝が訊ねる。


「どうするつもりですか」

「……私にできることは少ないです、けど、放ってはおけません!」


 アミュウはワゴネットのへりに手をかけて、馬車を飛び降りると、着地する寸前に蓮飾りの杖にまたがり、ふわりと浮き上がった。そのまま高度は上げず、魔力を全て推進力に注ぎ込み、地面すれすれを疾走する。


「少し馬を止めて。万が一オオカミが来たら、私たちにかまわず全力で逃げてください!」


 後ろの方で、聖輝が御者に指示を飛ばしているのを聞きながら、アミュウは全速力で羊の群れへ飛び込んでいった。

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