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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第二章 銀の匙で海をすくう

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2-10.手がかり【挿絵】

 カーター・タウン東部旧住宅街にあるメイ・キテラの家を出たアミュウは、次に北部のベイカーストリートに降り立った。杖を両手に持ち直して、ハーンズ・ベーカリーの看板を見上げる。

 カランコロン……とドアベルの乾いた音とともに店内に入ると、麦とイーストの香りが充満している。もうすぐ昼時とあって、狭い店内は混雑していた。客たちの中で、頭一つ飛び出している者があった。聖輝だった。

 アミュウが聖輝に気付くのとほぼ同時に、聖輝の方もアミュウに気が付いたらしい。片手を挙げて挨拶をしてくる。アミュウは曖昧に手を振って見せた。混みあっているので、お互いに近寄ることはできない。アミュウは人の流れに身を任せて、バケットとカンパーニュを手元の盆に載せる。

 カウンターには、今日はオリバーの母親が立っていた。奥の作業場を覗くと、エプロン姿のオリバーがパン生地を調理台に叩きつけている。そのたびに作業場じゅうに音が反響し、打ち粉が舞い上がる。


(力仕事なんだ)


 アミュウは不愛想な母親に小銭を渡して、店を出た。すぐ脇で、聖輝が待っていた。


「やあ。連絡が無いということは、例の遭難者は無事でしたか」

「ええ。暫く休めば回復すると思います。あの日は、嵐の中呼び出されて災難でしたね」

「まったくです」


 聖輝はにこやかな笑顔をまったく崩さない。


「あの夜、マッケンジー牧師がいきなり部屋の戸を叩いてきて、何かと思って扉を開けてみれば、海で溺れている者がいるからとにかく来てくれと喚くんですよ。あのまま宿で彼の話を聞き続けていたら、確実に他の客の迷惑になるから、彼の言う通りにしましたが、雨でずぶ濡れになった割りには無駄足で、まあ、散々でした。彼はいったい私に何をしてほしかったんでしょうか。勇敢にもヴィタリーさんが飛び込んでくれたからよかったものを、まさか私にああいう働きを期待していたんでしょうかね」


 アミュウは苦笑した。


「聖輝さん、泳げるんですか」

「山育ちと話したでしょう」

「山にだって川や池はあるんじゃないですか」

みそぎのための場所であって、泳ぐようなところではありませんでしたよ」


 聖輝は、大きな紙袋ふたつ分のパンを抱えていた。アミュウがそれを無言で見ていると、聖輝は紙袋をやや持ち上げて見せた。


弾丸たまですよ」


 アミュウは反射的に、つい先週行われたばかりの麦の脱穀作業を思い浮かべた。聖輝は、アミュウの考えを読んだかのように言葉を続ける。


「食べ物を粗末に扱って、罰が当たると思いますか。確かに、パン屋や農家の方の前で、胸を張れることではありませんね」


 実際に、アミュウもナタリアも、パンを供物とした聖輝の神聖術に助けられた以上は、それを咎められるものではない。それは充分に理解していたので、アミュウは黙っていた。聖輝は紙袋を小脇に抱えなおし、大通りの方へ身体を向けた。


「どうですか、一緒にお昼でも。ちょうどあなたにお話したいことがあったんです」


 夢のこと。遭難者のこと。紙雛のこと。アミュウの側も、聖輝に話したいことが山のようにあったが、うまく話せる気がしなかった。それでアミュウは素っ気なく頷くにとどめた。



挿絵(By みてみん)



 真昼のキャンデレ・スクエアは、相変わらず寝ぼけたように閑散としていた。唯一開いている「アラ・ターヴォラ・フェリーチェ」はもうすぐ満席というところで、アミュウと聖輝は二人掛けの狭いテーブルに滑り込んだ。二人は壁の黒板のメニューを見てしばし無言となる。つい十日ほど前にも同じ黒板を見た。あのときは、アミュウは夢で味わった感情を何一つ聖輝に伝えられた気がせず、悶々としていた。メニューの内容は、季節の移り変わりを反映して更新されている。


「牡蠣が出回り始めたようですね……白ワイン蒸し。アンチョビバターソースのオーブン焼き。オリーブオイル漬け」

「色々ありますね」

「アミュウさん、牡蠣はお好きですか」

「ええ、まあ」

「では、分けましょう」


 聖輝は手を挙げて給仕の少年を呼び、アラカルトを次々と注文する。途中から給仕の暗記が追い付かなくなり、メモを取り始める。


「それと、ワインに――お茶でいいですね?」

「え、あ。はい」


 アミュウは流されるように頷く。給仕が聖輝にワインの種類を訊ねる。


「牡蠣料理に合うのはサンマーノ・シャルドネですが」

「赤がいいです。赤でお勧めは?」

「えっと……すみません、確認してきます」

「赤なら何でもいいです。ボトルで。銘柄はご主人にお任せすると伝えてください」


 給仕の少年は慌てて厨房へと戻っていく。暫くすると、一本のワインボトルと二つのグラスを抱えて戻ってきた。聖輝が頷くと、給仕はコルクスクリューで栓を開け、片方のグラスにワインを注いだ。少年がもう片方のグラスにもワインを注ごうとするのを、聖輝が制する。給仕は空のグラスを持って下がった。


「お先にどうぞ」


 アミュウが促すと、聖輝は嬉しそうにその一杯を飲み干した。アミュウが次の一杯を注いでやると、聖輝はさらに破顔した。その笑みからは珍しく胡散臭さが感じられなかった。どうやら本当に嬉しいらしい。


「これを見てください」


 聖輝は白いタオルに包まれた何かを取り出し、アミュウに手渡した。タオルを広げてみると、タルコット家の庭に埋まっていた古びたナイフだった。アミュウは息を飲んで聖輝を見る。聖輝はいつも通りの胡散臭い微笑をたたえていた。


「マッケンジー牧師にそれとなく探りを入れてみたんですが、あの人は、たぶん違いますね」


 聖輝の二杯目のワインは既に半分以下まで減っていた。


「ちょっと、昼間から飲みすぎじゃないですか」

「大丈夫、私はワインでは酔いませんよ。

 ……カマをかけてみましたが、本当になにも知らないようでした。あの人は、この件とは無関係ですね。それよりも、ここを見てください」


 聖輝は、アミュウの手の中のナイフをそっと裏返し、刃の根元を指さした。


「? 何か文字が彫ってある?」

「そう。錆びで判読しづらいが、SW3712」


 聖輝はまたワイングラスを傾けて、飲み干した。アミュウは、自分が注げば聖輝は永遠に酒を飲み続けるような気がして、今度は気が付かないふりをした。聖輝はアミュウが動かないのを見てとると、手ずから三杯目を注いだ。給仕の少年がアミュウに茶を差し出す。アミュウも一口茶を啜って、喉を湿した。


「何しろ十年近くも前の制度なので、それと気付くのに時間がかかってしまったのですが。昔は、教会で一般に使うナイフは総本山で一括管理していたようで、全て番号が振られていたそうなんですよ。煩雑なので今では廃れた習慣です。私はそんなものがあったとは、知らなかった」


 アミュウは手元のナイフに視線を落とす。


「それじゃ、これは管理番号ですか?」

「はじめの文字は町の名前です。カーター・タウンならCT。では、SWはどこだと思いますか」

「……スタインウッド?」

「そう、これは隣村のスタインウッドの教会で使われていたナイフです」


 聖輝は口の端を持ち上げた。


「どうですか、面白くなってきたでしょう」


 給仕の少年が、大皿に殻付きの牡蠣をいくつも盛り付けたのを持ってきた。少年はアミュウと聖輝にぴかぴかに磨かれた銀のナイフを一本ずつ渡した。聖輝はアンチョビバターのソースのかかった牡蠣を手に取ると、ナイフで身をこそげとり、ふぅふぅ息を吹きかけ、じゅるりと啜った。


「美味い。さあ、アミュウさんも熱いうちに」


 アミュウは呪いのナイフをタオルに包み直して、聖輝に返した。


「スタインウッドの教会の人が、わざわざカーター・タウンまで来て、あんなことをしたっていうんですか」

「それを確かめに、スタインウッドへ行こうと思っています」


 聖輝は三杯目のワインを飲み干すと、アミュウをまっすぐに見て言った。


「あなたも一緒に来ませんか」

「……は?」


 アミュウには、聖輝に話したいことが山ほどあったが、突然の提案を前にすべて吹っ飛んでしまった。大皿の上の牡蠣が無くなり、給仕の少年がピッツァを持ってくる頃には、既にスタインウッド行きの日程と、乗る馬車の時刻まで決まっていた。

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