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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第二章 銀の匙で海をすくう

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2-8.海の藻屑【挿絵】

「随分と元気そうだし、必要ないかもね」


アミュウはそう言いながら、気付け薬のメリッサ酒を食前酒代わりにジークフリートに飲ませた。


「甘っ‼ それに苦い‼」

「割らずに飲む方が効くのよ」


 配膳を終えたナタリアは蜂蜜色の液体に興味津々で、瓶の蓋を開けてにおいを嗅いでいる。


「おいしそうに見えるけど。苦いの?」

「飲んでみる?」


 アミュウはナタリアにも酒を少量注いでやる。ナタリアは恐る恐るといった調子でその液体を舐め、途端にむせこんだ。


「きっつい!」

「原液だもの、当然よ」


 ヴィタリーが腹の底から響く大声で笑った。


「ナタリアさんも、まだまだ娘っ子ということですか」


 ナタリアは涙で目のあたりを赤くしてヴィタリーを睨む。


「子ども扱いしないでよ」

「いやいや、私がここにお仕えするようになったときは、ナタリアさんはまだ子どもでした。最近急に綺麗になってしまったから、こういうかわいらしいところを見ると安心するんですよ」

「あら、そう? ……じゃあ、残りはヴィタリーが飲んで」

「はいはい」


 ヴィタリーが難なく酒を飲み干すのを見て、ジークフリートも一気に飲み下した。肺が裏返るほど深呼吸するジークフリートの様子を見てナタリアはけらけら笑うが、アミュウが食前の祈りの文句を口にして手を組むと、笑い声を引っ込めた。全員が同じ仕草に、同じ言葉をのせる。

 食事が始まった。ジークフリートは、麦粥を一気にかきこもうとするのを、アミュウが制した。


「病み上がりなんだから、もっとゆっくり食べて……クーデンから来たって言ってたけど」

「ああ、俺たちが乗ってたのは、クーデン発のちっぽけな船だ」


 ジークフリートは口に麦粥を詰め込んだまま答えたが、やがてごくりと飲み込み、付け足した。


「クーデンの港を出たってだけで、出身は西部の北のほうの海沿い、名前も忘れられた小さな集落さ」

「同じ船に乗っていたっていう二人と同じ?」


 ナタリアが身を乗り出す。


「いや、あいつらとはクーデンで会った。俺は流しの傭兵でさ、あいつら二人きりで困ってたみたいだから、護衛を買って出たんだ。最近の海賊って、こすいんだぜ。昔は儲かる大型船ばかりが狙われたけどさ、今じゃ丸腰の小型船の方が確実に仕留められるって、けっこう危ないんだよ」


 そう言うと、ジークフリートはまた麦粥をかきこんだ。ヴィタリーが相槌を打つ。


「南回りルートは、海路は穏やかですが、ブリランテ界隈が物騒ですね。小型船で商売なんて、コストが高いのでは?」

「俺は商売のことは分かんねえけどさ。でも、あいつら、そんなに羽振りがいいようには見えなかったからな。素直に問屋か運搬屋に頼めば良かったんだろうけど、どうしても本人たちが運びたいって言って聞かなかった」


 ジークフリートはまた麦粥を食べ始める。メリッサ酒が効いてきたのか、頬が紅潮し、饒舌になっていた。


「ブリランテ沖では旗の無い船があちこちうろついてて、かかって来るんなら来いやって、剣を抜いてずっと甲板に立っててさ。ちょっとでも怪しい動きをする船があったら、そっち向かって素振りしてよ。それで無事にブリランテを抜けたと思ったら、今度は嵐だ。アンカーぶち込んで粘ったけど、ひとたまりもなかった。船底がひっくり返って、みんなバラバラになった。波にめちゃくちゃにもまれて、マントに空気を入れてどうにか浮かんでいたら、ひとつだけぷかぷか浮かぶ木箱を見つけてさ、そいつにしがみついて、震えながら海を漂ってたら、町の灯が見えてきた。がむしゃらに泳いで、港の船につかまった。そのまま、どれくらいの時間頑張ってたんだろう……とにかく俺は、助けられた。ほんとうに、助かった」


 ジークフリートは、ふぅっと大きく息をついた。ナタリアがジークフリートに水を差し出すと、ジークフリートは一気にそれを飲み干した。アミュウがそっと言う。


「……いま、二人を捜索中よ」

「いや、きっと駄目だろう」


 ジークフリートは天井を仰いだ。


「あいつらは、水に慣れていないようだったから」


 食卓を沈黙が包んだが、その静けさが馴染んだころ、ヴィタリーが口を開いた。


「彼らの郷里に知らせた方がいいですかね」


 ジークフリートは天井の木目からヴィタリーに目線を移し、答えた。


「故郷なんて知らねえ。行きずりの仲間だ。ファミリーネームも忘れた。契約書は一応作ったが、全て海の藻屑だ」


 そして空になったグラスを弄びながら言葉を継ぐ。


「これがはじめてってわけじゃない。俺の故郷の集落も、何年も前、ちょうど今回みたいな嵐が続いたときに、大水と土砂崩れで壊滅した。うちはいちばん海っぱただったから、家族のだれ一人として見つからなかった。みんな泥に押し流されて、それこそ海の藻屑さ」


 今度こそ、破りようのない沈黙が重く食卓にのしかかった。ジークフリートがグラスを置く音が食堂中に響く。


「つくづく不運だぜ」


 日が暮れるころ、セドリックがその眉間に疲労を色濃くにじませて帰ってきた。果たして、ジークフリートが予言したとおり、残る二人の行方は分からないままだった。



挿絵(By みてみん)



 ジークフリートの容態が安定したため、アミュウは森の自宅へと戻った。

 折しも新月の夜だった。アミュウは燭台の灯りを頼りに、直径五センチほどのハシバミの円形の板に、細かな彫刻を施していた。木質は緻密で硬く、彫りやすいが何しろ小さい。少し彫り進めては、木くずを息で吹き飛ばし、手近に置いた本の図案と慎重に見比べる。

 作業の合間にアミュウは大きく伸びをして、腕を回した。だんだんと肩が凝ってくる。

 知らず知らずのうちに、アミュウの思考はジークフリートの身の上をなぞる。家族を失い、仲間を失って、ジークフリートはここにたどり着いた。


(私と同じってことになるのかしら……いいえ、違うわ)


 アミュウの家族は、間違いなくセドリックであり、ナタリアである。実の父、実の姉と何ら変わらない固い絆で結ばれていると信じているが、そこに血縁は無い。血の繋がりに代わる絆とは何なのだろうか。

 アミュウは、聖輝の結界の向こうへと消えてゆく姉を思い出し、次に大イノシシの餌食となろうとしている姉を思い出した。どちらも後ろ姿だった。最後に、はじめて不思議な夢を見たときに、頭に置かれたセドリックの手の重みを思い出した。


(守らなければならないんだ。努力しなければ、失われてしまうかもしれないものなんだ)


 アミュウは再び彫刻刀を手に取り、言霊を紡ぎながら、その夜遅くまで木の板を彫り続けた。



 新月のみちびく 縄をたどれ

 見上げれば ポラリス

 不動の星の投げかける 運命の網は

 怒涛の怒り 悲しみ 恐れ 寂しさから

 あなたをすくい上げるでしょう

 縄をたどり森へ帰れ はしばみの木のもとに

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