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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第二章 銀の匙で海をすくう

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2-3.相似【挿絵】

挿絵(By みてみん)


  *  *  *


 私はその男の顔を知っていた。静かだった水面に石を投じたように、私という存在の表面が揺れ、水底からおりのような古い記憶が立ち上る。ずっと昔から、その男、ミカグラ卿のことを知っていた。墨を流したような黒い長髪に、体温を感じさせない黒い瞳、何度出会い直しても、変わらないその顔――。

 暗い森を一陣の風が抜け、我に返ると、耳に水音が戻ってきた。

 私を背に守りながら、彼がミカグラ卿との間に割って入る。


「枢機卿を名乗る者よ。姫殿下を迎えに来たとはどういうことか」


 ミカグラ卿は彼を一顧だにせず、ずっと私を見ている。


「王女ならお分かりだろう――いや、もしかして、忘れておいでか? われらが悲願を」


(悲願?)


 私は動揺した。記憶の澱が水底で渦を描いている。なにかを思い出せそうで、しかし澱んだ思考からは何もすくい取れない。


「魂を削り続け、とうとう悲願を忘れましたか。確か、前回も覚束ない様子でいらしたな。もはや猶予はありません。一刻も早く、王国の樹立を成し遂げなければ」

「革命を気取るつもりか」


 彼は剣の柄に手をかける。そこで初めてミカグラ卿はまともに彼を見た。


「政権のことではないのだ。王女の騎士よ。私と、彼女・・が、はるか昔から分かち合ってきた宿願だ。手出しはせぬよう」


 そしてミカグラ卿は再び私に視線を戻す。月も、星すら輝かない闇夜のような目だった。その目を見ていると、自分が自分であることを忘れそうになる。


 私はいったい誰なのか?


「思い出されましたか」


 私はかぶりを振った。しかし、これだけは訊いておかねばならない。


「悲願の達成とやらのために、あなたはその地位を利用し、人心を惑わし、そそのかして、我が城に攻め入ったのですか」


 ミカグラ卿はわざとらしく首を傾げてみせた。


「私が何をせずとも、いずれ同じ結果になるだけだったでしょう。お分かりになりませんか。それほど、今、世は荒れている。世界は、既にほころんでいる」

「あなたが手を引いたのですね」


 ミカグラ卿は、首をすくめて言う。


「どうやら今生の煩悩に毒されたようですね。思い出してください。貴女がここにいるわけを。このざるのような場所に、完全なる王国を打ち立てようと誓ったではありませんか。さあ、まいりましょう」


 ミカグラ卿は一歩踏み出す。


「近づくな!」


 彼が剣を鞘から数センチ引き抜いて警告を発する。私は慌てて彼を止める。


「やめて、この人に逆らってはいけません」

「その通り、人の身で私の前に立つのはおやめなさい」


 ミカグラ卿がさらに一歩、前に出る。

 彼はがちゃりと音を立てて剣を抜き、両手で構える。ミカグラ卿は不敵に笑う。


「疲弊し消耗しているとは言え、聖霊の力はいまだこの身に宿る。加減できぬゆえ、後世ごせまで呪われると思え」


 ミカグラ卿は十字を切ると、虚空に浮かぶ光円から一振りの刀を取り出し、斜めに構えた。


「姫殿下をかどわかそうとする不埒な輩、アモローソ王女が近衛騎士、このシグルド・ログンベルクの剣の露と消えろ!」


 そう言って彼はミカグラ卿へ向かって駆け出し、踏み込む――駄目、その一歩を踏み出してはいけない。


――――シグルド‼


  *  *  *




 声にならない声を上げて、アミュウは目を覚ました。動悸がひどく、びっしょりと汗をかいている。喉が渇いて、粘膜が張り付いているようだ。唾を飲み込み、ソファの上で身体を起こす。

 暖炉の前で、ナタリアは膝を抱えてうずくまったまま眠っていた。男は依然として動かない。

 アミュウは立ち上がり、ダイニングテーブルの上に置きっぱなしになっていた白湯を飲んだ。すっかり冷めていた。

 喉を潤すとやや動悸がおさまり、人心地ついた気分になった。あの夢を見たのは、十日ぶりほどだろうか。柘榴の夢以来だった。


(――シグルド・ログンベルク。それがあの騎士の名前)


 アミュウは額ににじむ汗を手の甲でぬぐい、その名を頭に刻み付けた。聖輝は、騎士であれば記録が残っているかもしれないと言っていた。夢の謎を追う手がかりになるかもしれない。未だ彼の顔貌かおかたちを思い出すことはできないが、名前を知ることができたのは大きな前進であるはずだ。

 ナタリアがもぞもぞと頭を別の方向へ傾けた。まだ眠っているが、随分と窮屈そうな姿勢に見えた。アミュウは、いったん起こしてソファに寝かせるべきかどうか迷った。

 すると、男もつられたように寝返りを打った。アミュウは、男に湯たんぽを使っていたことを思い出し、その位置をずらしてやろうと、毛布の中に手を入れた。

 そのとき、男の目が薄く開いた。アミュウは思わず手を引っ込めて、男の顔を見つめる。

 海から助け上げられたときには濡れそぼって暗褐色となっていた髪は、今は乾いて赤くうねり、潮の影響か、艶を失っている。日に焼けた肌からは、ほんの一ミリほどの髭がぴょこぴょこと突き出ている。少しだけ持ち上げられた目蓋の奥から覗く瞳は、煉瓦色だった。アミュウが見守っているうちに、その目はみるみる開いていく。

 すると、アミュウの背中を電流が走った。

 アミュウはその顔を知っていた。あれほど思い出せなかった夢の騎士、つい先ほどその名を思い出したばかりのシグルド・ログンベルクの顔が、急速に焦点を結んで鮮明な像となる。目の前の男は、彼と瓜二つだった。


挿絵(By みてみん)

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