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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第二章 銀の匙で海をすくう

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2-2.介抱【挿絵】

挿絵(By みてみん)



 カーター邸にたどり着くと、ナタリアはまず居間の暖炉に火を入れた。着替えたヴィタリーが身体を温めている間に、セドリックは遭難者の濡れた衣服を引き剥がし、自分の寝間着を着せようとした。脱がせるのはどうにかなったが、着せる方が大変だった。意識のはっきりしない、しかも体重のある男に服を着せるのがどれほど難しいか。セドリックは年ごろの娘に若い男の肌を見せるのを躊躇ったが、見かねたアミュウが、途中から手を添えた。セドリックは寝間着のボタンを掛け違えていたが、アミュウにも直す余裕はなかった。打撲痕の痛々しい左腕には、湿布を当ててやった。

 毛布で男の身体を二重に包むと、セドリックが男の脇の下を、ヴィタリーが足を掴んで、暖炉のそばの敷物の上まで移動した。そこまで済ませると、ヴィタリーはさすがに疲れた様子でソファに座りこんだ。ナタリアが温かい茶を差し出す。ヴィタリーは、まだ湯気の立ち上る茶を喉を鳴らして飲んだ。


「ヴィタリー、今夜はこのままここで休んでいって」


 ナタリアがヴィタリーを二階の客室へ連れて行く。アミュウもセドリックに声をかけた。


「お父さんも、明日の仕事に障るといけないわ。もう休んだら?」

「いや、しかし」

「私は平気よ。夜更かしなら慣れてる」


 アミュウは微笑んで見せた。セドリックはぐずぐずしながらも、寝室に戻っていった。

 居間の扉が閉まる音を聞きながら、アミュウは、暖炉の炎に照らされて、男の鼻梁や頬骨の陰影が揺らめくのをじっと見ていた。硬質の髪の一本一本がオレンジ色に明滅している。アミュウはなんとも言えず懐かしい心地を覚え、つい先ほどまでの張り詰めていた意識がゆるゆるとほどけていくのを感じた。緊張が剥がれ落ちると、その下から本音がぽろりと顔を出した。


(ここにいるのがナタリアなら、お父さんはきっと居間に残ったんだろうな)


 男の首に手を当ててみる。桟橋で頬に触れたときのような冷たさはなく、血の通う温もりが感じられた。

 アミュウは台所からケトルを持ち出し、暖炉のフックにかける。湯が沸く前に、居間のドアが開いた。ナタリアだった。


「具合はどう?」

「このまま温めてあげれば、いずれ気が付くと思うわ」

「そっか」


 ナタリアはソファに腰を下ろし、自室から持ち出した畳まれたままの毛布を膝の上に置いた。


「今日のヴィタリーは格好良かったね」

「そうね、あんなに身体を動かせる人だったなんて」

「実家は漁師だったって、前に話してた」

「そうだったの……道理で」


 ケトルからしゅんしゅんと湯気が立ち上る。アミュウは立ち上がり、湯たんぽにそっと湯を注ぎ、タオルで包んで男の毛布に中に押し込んでやった。

 ナタリアは、ついさっきまでアミュウがそうしていたように、男の寝顔を見ていた。


「この人、どうしちゃったんだろうね」


 ナタリアは、答えを求めるふうでもなく、ぽつりとつぶやいた。アミュウは新たな薪をくべながら応じる。


「武装していたわね。正規の軍人さんには見えないけど……」

「目を覚ましたとたんに暴れたら、どうする?」


 ナタリアが冗談めかして訊いてくる。アミュウは胸にずしりと重みを感じたが、すぐにその衝撃を無かったことだと思い込むことにした。セドリックに部屋へ戻れと言ったのは、アミュウ自身なのだ。セドリックの気遣いを得られなかったと拗ねるのは、筋違いだ。


「こんなに消耗しているのよ。起き上がるのも、やっとでしょう。それに鎧やなんかは全部船の上に置いてきちゃったじゃない」


 アミュウはケトルに残った湯を、そのままカップに入れてナタリアに渡すと、自分もその湯冷ましを飲んだ。ナタリアは両手でカップを包んで考え込んでいる。組んでいた足を伸ばして、何の運動なのやら、つま先を上に向けたり下に向けたりして、しばらく黙っていたが、やがて口を開いた。


「あんたがこの家にやってきたときのこと、実は、あんまり覚えていないの」

「三歳でしょう。記憶に残っていなくて当然よ」

「もうすぐ四歳ってころだった。ちょうど、今と同じ、十月。四歳の誕生会で、笛をもらったことは覚えてるんだけど、アミュウが来たときのことは全然覚えていないの」


 ナタリアはカップに唇を付けたまま、話し続ける。


「だから、パパから聞いた話でしかないんだけどさ、私、まだ赤ちゃんみたいなあんたに嫉妬して、すごく荒れてたらしくてね。あんたを無視したのはもちろんなんだけど、パパともママとも一言も話さなくなっちゃって、ずっとイルダに引っついてたんだって」


 セドリックは、アミュウを拾ったときのことを積極的には話さない。触れてはいけない話題である気がして、アミュウは素知らぬふりをしてきたが、やはり気になるものは気になる。アミュウは男の傍らで膝を抱き、ナタリアの話に聞き入った。


「これはイルダも口をそろえて言ってたんだけど、そのときの私、すごくわがままだったみたい。毎日毎日、イルダに無理を言って、ああだこうだって、困らせてばかりで……この家に来たばかりのあんたは、ずっとママにしがみついていたらしくてね、ママから引き剥がすと、固まって動けなくなっちゃってたんだって。それで、ますます私はママのところへ行けずにイルダから離れられなくなって。


 それで、ある日パパが、これじゃ、どっちが本当の娘だか分からないなって言ったの。その言葉だけは、覚えてる。まだ小さかったから、どういう意味なのかよく分かっていなかったけど、お前はもう本当の子どもではなくなったんだぞって言われてる気がした。だけど、悲しいっていう気持ちはどこかに置いてきぼりで、泣くこともできなかった。


 そうしたらね、ママが、パパのことを張り飛ばしたのよ」


 そう言ってナタリアは、マントルピースの上の小さな写真立てを見上げた。カメラ・オブスクラで描かれた母アデレードが、笑みもせず、ただ静かなまなざしでこちらを見返している。


「そのとき、ママが何て言ったのか、よく覚えていなかった。ただ、私とアミュウの両方をかばってくれたんだっていうことは、雰囲気で分かった。後でイルダに聞いたわ。なんて言ったと思う?」


 ナタリアは、するりと視線をアミュウに移して訊ねる。アミュウは黙って首を傾げてみせた。


「どっちも本当の娘よって、言ったんだって」


 そう言ってナタリアは白湯を飲み干すと、ソファから立ち上がった。


「この人のことは交替で見よう。疲れたでしょ。先に寝ていいよ、私、まだしばらく起きてるから」


 アミュウは胸の芯がじんと熱くなるのを感じた。アミュウ自身はアデレードのことはよく覚えていなかったが、ナタリアが彼女と同じように、アミュウをかけがえのない家族だと考えてくれているのだということが、暖炉で明々と燃える火のように、アミュウの心を温めた。

 アミュウは、男の毛布の中をかいさぐり、湯たんぽの位置を変えてから、ソファに身体を横たえた。そしてナタリアの毛布に身を包むと、あっけないほど簡単に眠りに落ちていった。

※ カメラ・オブスクラ : ピンホールカメラと同様の原理で被写体の像を投影する装置。感光紙は無く、絵描きが紙に直接手で描く。この装置を利用することで、写実的な絵を短時間で描くことが可能となる。

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Copyright(C)2018-志茂塚ゆり
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