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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第二章 銀の匙で海をすくう

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2-1.嵐とともに【挿絵】

挿絵(By みてみん)





「高潮だ! お前はここで待っていなさい」


 セドリックが、たっぷりと蜜蝋を塗りつけたマントから頭を出してナタリアに言い含める。


「危険なのはパパだって同じでしょう。私も行くわ」


 ナタリアもヴィタリーからマントを受け取ると、頭を突っ込んだ。アミュウはすっかり雨支度を整え、腰に手を当てて二人にくぎを刺す。


「あのね、こんな大嵐の中、出歩くことからして危険なの。私としては、二人とも家で待っていてもらいたいところよ。言い争いで時間を食うくらいなら、ヴィタリーさんと私の二人だけで行くわ」


 そう言ってカーター邸のドアを押す――しかし、風圧が強く、アミュウの力では開かない。後ろからヴィタリーが手をそえると、勢いよくなだれこんだ風が、玄関のタペストリーをあおる。セドリックは観念したように言った。


「分かった、行こう。事態は一刻を争う」


 荷物を抱えたヴィタリーがドアを押さえているうちにアミュウは庭へ踏み出す。段差が見えにくい。夜闇の中で花壇のコスモスが踊り狂っていた。突風が翻ると、雨粒が平たい塊となってマントを打つ。ここまで風が強いと、杖にまたがって飛ぶこともできない。ヴィタリーが風をまともに浴びながら門扉のかんぬきを開けると、扉はひとりでに開いた。


 アミュウ、ナタリア、セドリックは、腕で顔をかばい、ずんずんと先導するヴィタリーの後を黙ってついていく。セントラルプラザを東へ曲がり、小さな商店街を通り抜け、昔ながらの住宅地を過ぎると、かしいだニセアカシアの防砂林の向こうに真っ黒にうねる海が覗く。風は海から流れてきていた。ヴィタリーはさらに歩調を早める。アミュウは殆ど小走りだった。

 木々の間から小さな埠頭が見えてくる。小型漁船は全て陸上に揚げられ、埠頭に係留してあるのは中型船が三艘のみ。桟橋はときどき波に洗われている。しかし、よく目を凝らしてみると、複数の男が桟橋の中ほどに集まっていた。ヴィタリーはロープを取り出すと、残りの荷物をセドリックに預けた。


「お先に失礼しますよ」


 ヴィタリーはそう言うや否や、人だかりに向かって全力で駆け出した。秋の嵐が吹きすさぶこの夜、アミュウたちは埠頭で溺れている者がいるとの通報を受け、やってきたのだった。



挿絵(By みてみん)



 セドリックはナタリアとアミュウを伴って、早足でヴィタリーを追いかける。ヴィタリーは通報者たち――船の様子を見に来た漁師たちだろう――に合流すると、マントを脱いで彼らのうちのひとりに預けた。自らの突き出た腹周りにロープを巻き付け、係船用の杭にロープのもう一方の端をくくり、すぅっと息を吸い込むと、弧を描いて嵐の海に飛び込んだ。

 アミュウたちも桟橋に到着する。海を覗き込むと、桟橋に係留している船の隙間、船に取り付けられた緩衝材の樽に抱き着くような格好で、男が波に揺られてぐったりとしている。ヴィタリーは流されないよう船体に沿って慎重に移動し、男に声をかけているが、轟音に遮られて何と言っているのか聞き取れない。

 緩衝材を繋ぎとめるロープをつたってヴィタリーは波間を進み、やがて男の腕を捉えた。男を背中に抱えて樽の上に身を乗り出し、高さを出してやると、男は船のへりに手をかけ、ヴィタリーの背中を踏み台にして、最後の力を振り絞るようにして船によじ登り、その身をデッキに投げ出した。革鎧で武装した男だった。鎧は海水をたっぷりと吸って、重みを増しているように見えた。ヴィタリーも、緩衝材と船を繋ぐロープに手足をかけ、船の木枠を掴み、へりを乗り越えた。


 ヴィタリーはぐったりと動かない男の身体から鎧と剣を剥ぎ取ると、おんぶ紐の要領でロープを巻き付けて自分の身体と固定し、桟橋で見守る男たちに大きな身振りで合図した。男たちは、どこから持ってきたのか、木の梯子を船と桟橋の間に渡した。ヴィタリーは船室から新たなロープを持ち出して、船べりのフックに梯子を固定すると、男を背負ったまま梯子を渡り始めた。アミュウは、ヴィタリーと男の体重に梯子がたわむのを、肝を冷やして見守った。

 ついにヴィタリーは桟橋にたどり着く。男たちがヴィタリーを取り巻き、ナイフを使って固く結ばれたロープを捩じ切る。どさり、と、溺れていた男がヴィタリーの背中から崩れ落ちる。

 アミュウは男に駆け寄り、その身体を横向きに転がして気道を確保すると、その口元と胸に手で触れる――呼吸と脈はある。顔色は真っ青だ。若くがっしりとした体格の男だったが、体力の限界をとうに超えているのは一目瞭然だった。


「もしもし、聞こえますか? 返事してください」


 アミュウは男の頬を軽くたたいて意識を確認するが、うめき声が漏れるばかりだった。ちくちくと伸びかけの髭が散らばる頬はぞっとする冷たさだった。


「水を飲んでるんじゃないですかね」


 ヴィタリーが、後退した生え際を撫でつけ水滴を払いながら口を挟む。


「そうかもしれません。けど、無理やり吐かせるのは危険です。お父さん、灯りをつけてくれる?」


 ナタリアが皮のマントで雨を遮る中、セドリックはランプに火を灯した。アミュウは男のシャツをたくし上げたり、ズボンに触れたりしながら、大きな外傷が無いか確かめる。左の前腕中央が赤く腫れあがっていた。


 そうこうしているうちに、防砂林の間の道から、新たに二つの人影がこちらへ向かってきた。痩せぎすな四十絡みの男が先を走っている。カーター・タウンの小さな教会に住み込みで詰めているマッケンジー牧師である。町で唯一の医師だ。後から続いているのは、ひょろりとした長身、アミュウにとって見慣れた姿――聖輝だ。

 マッケンジー牧師は大きなカバンを前に抱えて、アミュウに話しかける。


「遅くなってどうもすみませんねぇ――容態はどうですか」

「呼吸は安定していますが、意識が不明瞭です。体温も低下しているので、早く温めてあげないと」


 マッケンジー牧師は大判のタオルを取り出し、男の体幹を包みながら言った。


「分かりました。この遭難者は教会の施療室で預かりましょう」

「はぁ?」


 それまで黙っていたナタリアが非難めいた声を上げる。


「通報からここに来るまでにこれだけ時間を食っておいて、後は任せろっていうの? 冗談じゃないわ! 大体どうして部外者の聖輝さんまで来ているの。まさか、この非常時にわざわざ呼びつけたんじゃないでしょうね。キャンデレ・スクエアへ寄り道してたんじゃないの」


 アミュウはナタリアの怒号を聞きながら聖輝の顔を盗み見た。聖輝は肩を震わせ口元に手を当てて、無理やり笑みを押し殺しているようだった。図星らしい。


「いや、けが人を運ぶにも人手がいるかと思ってねぇ」

「通報人に手伝ってもらえばいいでしょう。聖輝さんに海に飛び込んでもらうつもりだったんじゃないの」

「ナターシャ、口を慎みなさい」


 セドリックが娘を窘める。アミュウはなるべく冷静に聞こえるように声を出した。


「とにかく、一刻も早く火の近くで温めてあげなくちゃ。教会のある西区よりは、屋敷の方が近いわ」


 セドリックは逡巡を一瞬で打ち消して頷くと、ぐったりとした男の身体を背負った。ナタリアがその上から雨避けに皮のマントをかけてやる。


「教会なんかより、うちのアミュウの方がよっぽど頼りになるんだから」

「ナタリア!」


 セドリックが鋭い声でナタリアを諫める。ナタリアはマッケンジー牧師に向かって舌を突き出した。


「さあ、行きましょう」


 ずぶ濡れのヴィタリーが、寒さで紫色になった唇が震えるのを抑えて促した。


「私も、参りましょうか」


 聖輝がやや遠慮がちに、セドリックに向けて問う。


「アミュウ、どうだ? ミカグラ先生に手伝っていただくか?」


 セドリックは質問をそのままアミュウへ向かって横投げした。アミュウは少し考えてから答えた。


「呼吸も安定していますし、私だけで対応できると思います。応援が必要な場合はまた連絡しますから、今晩はひとまず宿へ戻ってください」

「わかりました。助力が必要な場合は、どうぞ遠慮なく」


 聖輝は頷いた。マッケンジー牧師も、慌てて付け足す。


「何かあったら、こちらへもご連絡ください。今度こそ、飛んでいきますから」


 アミュウは軽く会釈をして見せた。もともと彼のことはあてにしていない。彼の才腕の問題だけではない。カーター・タウンに常駐する牧師はマッケンジーしかいない。彼が手隙になることなどありえないのだ。

 セドリックは、通報人の集団に礼を言って、男を背負ってカーター邸に向かって歩き始めた。寒さで足取りの覚束ないヴィタリーも、荷物を背負ったナタリアに支えられて後に続く。アミュウも、彼らの後を追った。去り際にちらりと聖輝の顔を見た。聖輝は苦笑いを浮かべてこちらを見ていた。

 来た道を戻りながら、アミュウは考えた。カーター・タウンの牧師が今一つ頼りないために、よろず屋魔術師の糊口が成り立っているのではないかと。教会の施療がしっかりと機能していたら、アミュウは職を失うことになるのかもしれない。そう思うと、マッケンジー牧師の惰弱さが、なんとなく許容できるような気がした。

 それは、聖輝と出会ってから、間もなく新月を迎えるという夜のことだった。

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