1-30.Moon Light, Again【挿絵】
夜になれば、キャンデレ・スクエアはランプの光に包まれる。雨水溜めの水桶に無数の光が乱反射し、行き交う人々のさざめきに揺らめいている。
いつでも満員御礼の「アラ・ターヴォラ・フェリーチェ」の二階に、表の喧騒から隠れるように、エミリの店「酒処 カトレヤ」はひっそりと佇む。しかし今は、彼女の小さな店も混雑していた。
総勢八名で一日中脱穀作業を続けて、積み藁は半分以下まで減った。午後の作業の殆どを寝て過ごしたオリバーは、目を覚ますと、失態を恥じて赤くなったり青くなったりしながらハーンズベーカリーへと帰って行った。
ジョシュアは余程疲れたのか、ソファでぐっすりと眠りこけている。イアンは同じソファで際限なく揚げ芋をつまんでいる。
カウンターでは、聖輝とヴィタリーが話し込んでいる。その奥で、エミリがにこやかに相槌を打っている。
ごく狭い店内の片隅に、古いリュートが置いてあって、ナタリアは断りもせずにそれを手に取ると、次から次へと断片的なメロディーを奏ではじめた。アミュウはスツールに座って、ジュースを舐めながら、その音色を聞くともなしに聞いている。
すると、ドアチャイムがけたたましく鳴り、オリバーが店に入ってきた。大きな荷物を小脇に抱えている。
「どうもお疲れ様です……おや、寝ているのか」
オリバーは店内を見回すと、眠っているジョシュアの姿を認めて呟き、カウンターに荷物を置いて包みを解いた。途端に香ばしいにおいが広がる。
「あら、まぁ。こんなにたくさん」
エミリが驚きの声を上げる。パンが選り取り見取り、山盛りとなっていた。
「売れ残りですが、皆さんでどうぞ」
イアンがそろりとソファから抜け出し、カウンターを覗き込む。オリバーはイアンに歯を見せて笑いかけた。
「どれでも好きなのをとってくれ」
「ジャムとチーズを出しましょうね」
エミリが戸棚をあさる。ヴィタリーが腰を浮かせて、カウンター席にイアンが座れるだけのスペースを作った。
聖輝がアミュウの方へ振り向いて訊ねる。
「アミュウさん、あのお酒は何て言いましたっけ……前に、水割りにしてもらった、あの」
「グラッパですか」
「そうそう。あれは美味しかった。エミリさん。その、グラッパというのはありますか」
「嫌だ、聖輝さん。あれはカストリです。お店で頼むようなものじゃありませんよ」
アミュウは顔を赤くして抗議した。グラッパは、ワインの搾りカスから作られるブランデーであり、農家が自家用に作るものだ。エミリは声を上げて笑いながら、戸棚から酒瓶を取り出す。
「ブランデーならありますよ。いかがですか」
「いただきます」
オリバーも慌てて手を挙げる。
「エ、エミリさん! あたしにも水割りをもらえませんか」
「はいはい、どうぞ」
オリバーは酒を飲む前から赤くなって、グラスをステアするエミリの横顔を見つめていた。アミュウはその様子を見て、心の内で呟いた。
(エミリさんってば若く見えるけど、オリバーさんの軽く一回りは上をいっているわよ)
パンや酒を囲む賑やかな輪から外れて、ナタリアはひとりでリュートを鳴らし続けた。そのうちに幾つかのメロディーのかけらが集まり、秩序をなして、曲となる。ナタリアが囁くような声で歌うのを、アミュウと聖輝はじっと聴いていた。
銀の糸 からまって うごけない
夜の帳 おりてきて 見つけられない
手が届かないのは 私が小さい所為? 世界が大きい所為?
見あげた月は 意地悪で
たまに姿を見せるのに
あえない ふれられない
Moon Light……Moon Light, Again
手のなかに 月のかけら
太陽は もう 無い
Moon Light……Moon Light, Again
雲のなかの 月は孤独で
だから 泣いて くだけたの
【第一章 了】
話中でアミュウがグラッパについて「カストリ」と揶揄する場面がありますが、ブランデーとはまた全然異なる、フルーティーで美味しいお酒です。ここでは庶民のお酒とされていますし、史実上もワインを飲めない農民の楽しみのためのお酒という側面がありましたが、現在、日本で購入しようと思うと、案外気軽に買える代物ではないかもしれません。
【追記】
活動報告で、挿絵を引きながら第一章の振り返りを掲載いたしました。
ご興味ありましたら、ご覧ください。
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1423845/blogkey/2181607/




