1-2.魔女の手仕事【挿絵】
アミュウは二人分のカフェボウルを片付けるあいだ、再び目の奥に頭痛を感じていた。ろくに寝てもいないのに、今日は長い一日になりそうだった。仮眠をとろうとベッドに横たわってみたが、ナタリアの来訪で神経が高ぶっていた。睡眠をあきらめ、せめて仕事を片付けようと起き上がる。
脚立を持ち出し、梁に吊るした薬草の束を四つ降ろす。小柄な彼女にとって、一仕事だ。台所の戸棚からスパイスの小瓶をいくつか持ち出し、ガラスのボウルの中で刻んだ薬草と合わせる。木綿の布を小さな四角に切り分け、中央に香り立つ薬草を少量のせて包み、糸でぎゅっと縛った。彼女は慣れた手つきでハーブのティーバッグを三十個仕上げた。
賢者の庭の翠緑に
陽の光は祝福した
健やかなれ、清爽なれ
星の光は約束した
憩いの時を、至福の眠りを
十字を切ってからティーバッグをひとつひとつ香炉の煙にくぐらせると、それらをガラスの瓶に入れて固く蓋を締めた。
「よし、次は……」
アミュウは宙を見つめて考える。その目に、部屋の隅の壺に立ててしまい込んだ小柄が留まった。この前の新月の日に清めたばかりの短剣だった。不用品交換の市で見つけた中古品で、武器としては使いようが無い。魔術において短剣の用途は幅広く、何かの役に立つかもしれないと、二束三文で購入したものだった。鞘はなく、細長い布袋にしまってあるそれは、手に取ると、意外なほどの重さがある。刀身を抜いてみても、錆びて輝きを失っていた。買い求めた後、時間をかけて磨いたのだが、きれいにはならなかった。特に用途を決めないままに、とりあえず祓い清めておいたのだが……
剣は風をつかさどる術具で、力の象徴である。魔術に使うには、力の持つ二面性を表す両刃の剣がポピュラーだが、この小柄は片刃であった。何かを一方方向に斬るという動きは、トラブルに見舞われた者が相手との縁を切る心の動きと相似する。およそ人と人との縁は、結ぶときにはある程度の時間をかけ、切るときには即時であることが望ましい。
小柄を布袋に納めて、アミュウはつぶやいた。
「念のため、準備しておいた方がいいのかしら」
アミュウは自分の年齢を知らない。自分の年齢を話すこともおぼつかないほど幼いころに、森の中に一人取り残されていたところを町の人に保護されたのだった。町長であるセドリックに引き取られたとき、三歳だったナタリアよりは幼く小さかった。それで、ナタリアが姉、アミュウが妹として育てられた。ナタリアはあと数か月で二十歳になる。アミュウは恐らくそれよりも一つか二つ年下だろう。
変わった名前だと言われることが多いが、幼い彼女が拾われたときに問われて片言で答えた名前が「アミュウ」だったのだ。本当の名は分からない。アンヌとかラミアとか、別の名前だったのかもしれない。今となっては思い出せない。
小さいうちはナタリアとともに数人の家庭教師から教育を受けていたが、十年ほど前――彼女が八歳とか九歳といった年ごろに、魔術の素養を見出されて、町のまじない師のもとで魔術の基礎を学んだ。カーター邸から通いで数年勉強したのち、王都の魔術学校に籍を置いたが、すぐに休学して、同じく王都に工房を構える魔術師のもとで修業を積んだ。そして故郷のカーター・タウンに戻ってきたのが三年前。
日が傾き始めた今、アミュウは木の杖にまたがって森の上空を飛んでいた。杖の先端の蓮の花の飾りがほのかに光っている。風を切ってカラスを追い越し、杖の描く軌跡はまっすぐカーター・タウンを指している。
森を抜けて農耕地に入ったところで、アミュウは農道に小さな人影を見つけた。その子どもの顔がみとめられるようになるまで高度と速度を落とし、アミュウは杖を空中にまっすぐに立て、石突に足を引っかけてホバリングした。杖の飛行では、またがったままでは空中停止できない。
「こんにちは、イアン君」
「わっ……カーターさん!」
子どもはびっくりして歩みを止めた。野良着に大きな頭陀袋をひっかけている。
「畑仕事?精が出るのね」
「はい……」
子どもはアミュウの顧客ジョンストン・タルコットの息子で、歳は十一、名前はイアンといった。ジョンストンは広い麦畑を耕しているのだが、今は病に伏せっている。
「お荷物重そうね。手伝いましょうか」
「いえ、大丈夫です……」
イアンはアミュウの顔を見ずに、杖の下あたりを見ている。アミュウは視線を外されていると感じた。
(恥ずかしいのかしら)
アミュウはその年ごろの男の子と接した経験があまりなかった。学校に通った時間が極端に少なく、大勢の同じ年ごろの子どもと過ごすということが無かったのだ。どう接したらいいのか分からなかった。
「今からお家に納品に行くから、運ぶものがあったら届けるわ。ジョンストンさんはご在宅?」
「……父さんは寝てます」
イアンはアミュウから視線をそらして、聞こえるか聞こえないかといった声で答えた。
「そっか」
アミュウは鞄の上からハーブティーの瓶に手を当てた。今朝作ったばかりのそれはイアンの父親ジョンストンに届ける品物だった。
「持ってくもの、ある?」
「大丈夫です」
イアンはいっそう小さな声でぼそぼそと答える。アミュウには、まるで、話すのは面倒だから早く行ってくれと言っているように感じられた。
「それじゃ、起こしたら悪いから、お品物はドアのところに置いておくね。ジョンストンさんによろしく」
アミュウはかろうじて笑みを顔に貼り付けたまま、再び杖にまたがり高度と速度を上げた。
(まったく……もう少し愛想ってものがあってもいいのに)
農耕地帯を抜けると、少しずつ眼下に住宅が増えてきた。町の中心部に近づくに従い、建物は密度を増して商店が増えるが、イアンの家は町の外輪部にあった。アミュウは洗濯物を干しっぱなしにしてある庭に下り立つと、杖を抱えてごく小さくドアをたたいた。返事はない。イアンの話していたとおり、家主は寝ているのだろう。ドアのすぐ脇にハーブティーの瓶を置き、手帳の切れ端に一筆書き添えてアミュウは再び杖にまたがり空へ舞い上がった。
町の中心、セントラルプラザには役場と銀行があるが、そこからごく近い場所にカーター邸はあった。アミュウはまず銀行に着陸し、当面の生活費を下ろしてから徒歩でカーター邸に向かった。
カーター邸はレッドロビンの生垣に覆われ、初秋の今は赤い若葉が燃えるように芽吹き、煉瓦の建物とよく調和していた。コスモスの咲く花壇は、アミュウが住んでいた頃はハーブガーデンだったものだ。今にも折れそうなピンクの花の中心で、シジミ蝶がのんびりと蜜を吸っている。
アミュウは中央の玄関ではなく、花壇の右手奥の勝手口から入った。こちらをアミュウの店の入り口として使っている。簡易的な郵便受けをチェックすると、手紙が二通入っていた。アミュウは毎日店に顔を出すわけではない。店に用のある客は、この郵便受けに手紙を入れて注文することになっていた。
薬やまじない道具が雑然と並び、お香や薬草のにおいが渦を巻く店内の、客用の丸椅子に腰かけてアミュウは手紙を確かめた。
◎ ◎ ◎
アミュウ・カーター様
前略 先日は若返りの美容水をありがとうございました。一週間使ってみて、肌のうるおいを実感しているところです。
つきましては、是非継続して使用したく、一か月分の注文をいたします。
正午には大抵在宅しておりますので、よろしくお願いいたします。
草々
キャンデレスクエア一丁目十四番地三〇二
エミリ・マルセル
◎ ◎ ◎
咳と熱が出たので、効く薬を至急届けてください。もう三日も仕事ができず困っています。
ベイカーストリート五丁目東入ル三番地
オリバー・ハーン
◎ ◎ ◎
アミュウは二通の手紙にざっと目を通し、後者の差出人の住所を地図上で探した。
住居部分とつながる扉が開き、ナタリアが顔を出した。ドレープのたっぷり入った、艶やかなシャンパンゴールドのドレスを着て、短い髪を編み込んでまとめている。
「アミュウ、来てくれたのね。例の牧師さんはまだ来てないよ」
「ナターシャ」
アミュウは地図から顔を上げた。
「急ぎの仕事が入ったの。小一時間かかると思うんだけど、外してもいいかな?」
「え……」
ナタリアは戸惑いを見せつつも、アミュウがひらひらと見せた手紙に目を通した。
「ハーンって、ベイカーストリートの中でもダントツで美味しい、あのハーンズベーカリーだよね」
「パン屋さんなのね」
アミュウは地図を畳んで、戸棚から薬草の瓶を三つ取り出し、匙で計量しすり鉢で粉にして、薬包紙で包む。そして別の戸棚から油瓶を取り出し、香油を調合して振り混ぜる。呪文を唱えて、出来上がった薬を香炉の煙にさっとくぐらせた。
ナタリアは心細そうに言った。
「日が暮れる前には例の牧師さんが来るはずだから、なるべく早く帰ってきて」
「わかってるわ」
アミュウは用意した薬を紙袋に詰めて、蓮飾りの杖を手に取った。
表に出ると、既に影が伸び始めていた。客人の来訪には間に合わないかもしれない。アミュウは杖にまたがり、地面を蹴って空へと舞い上がった。