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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第一章 森の魔女と聖霊の申し子

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1-28.再び、聖輝

 聖輝は窓でも乗り越えるかのように、その魔法円から降り立つと、腕を振って魔法円の光をかき消した。そしてやおら辺りを見回して、呟いた。


「やれやれ、何かと思って来てみれば。動物園ですか、ここは」


 突然の聖輝の登場に、アミュウよりもナタリアのほうが早く反応した。


「聖輝さん! 今のはなに⁉ どうやってここに」


 聖輝はナタリアを一瞥し、イノシシに顔を向ける。


「驚かせてしまったのは謝るが、先にこいつをどうにかするべきなのでは」


 イノシシは聖輝に狙いを定めたようだった。太くそそり立つ牙を剥きだしにすると、その鼻先を低く沈めて進撃を開始する。

 姉妹の前に屹立する聖輝を弾き飛ばすまでのその数秒のうちに、聖輝は鞄の中から丸パンを取り出してイノシシへと放り投げると、人差し指と中指を交差して十字を作った。

 するとパンは光弾へと変わり、音もなくけものの足元で爆発した。

 アミュウは、光が聖輝の背中を黒く塗りつぶし、風が枯れ葉や小枝を吹き飛ばすのを見た。爆風にさらわれた髪がアミュウの背中に着地するのと同時に、イノシシの巨躯はくずおれた。

 聖輝はゆっくりとイノシシに近付き、鎧のような剛毛に覆われた全躯を見下ろす。右前足があらぬ方向を向いている。ぎろりと光る黒目が聖輝を捉えると、獰猛な牙と口腔を晒し、聖輝の足先を食いちぎろうと傷ついた鼻先を前後に揺する。

 聖輝は鞄からワイン瓶を取り出すと、その場にしゃがみ込み、コルクスクリューで栓を開けた。そしてその中身を、倒れたイノシシの頭蓋から顎にかけて一文字にぶちまける。聖輝が額、胸、両肩へと指先を触れ、十字を切ると、まき散らされたワインは赤く螺旋状に輝く紐となって、イノシシの頭部を地べたに縛めた。

 聖輝は、瓶のコルクを締め直す。そして固定されたけものの頭の上で振りかぶり、一閃――――。

 ガラスは、割れなかった。

 けものの四肢が一度だけびくりと跳ね、それからはもう動かなくなった。



挿絵(By みてみん)



 聖輝は、吹っ飛ばされた倒木の残骸に背を預けて大儀そうにしゃがみ込むと、再び栓を開け、ワインをラッパ飲みし始めた。

 そこではじめてアミュウは、その場にへたりこんだ。ナタリアの方を見ると、彼女も似たような調子で、弓の構えを解いていた。矢を筒に戻すナタリアと目が合うと、アミュウの目に不本意ながら涙が湧き上がった。気が緩んでほっとしたのだった。ナタリアが近寄り、アミュウの頭に手を載せる。グローブ越しに感じる体温は温かかった。アミュウはしゃくり上げるのを堪えきれず、ナタリアに言った。


「……さっき、呼んだのに私の方を避けたでしょ」


 ナタリアはたっぷり間をおいてから、小さく頷く。


「やめてよね。それでナターシャに何かあったら、私」


 あとは言葉にならなかった。ナタリアはひたすら、一定の速度でアミュウの髪を撫で続けた。アミュウの嗚咽が収まるころ、ナタリアは聖輝に向かって問いかけた。


「どうも、助かったわ。でも、あなたがいきなり現れたのには、このデカブツに遭遇したのと同じくらい驚いてるの。ちゃんと説明してくれない?」


 聖輝は空になったワイン瓶を傍らに転がすと、とろんとした目でナタリアを見た。その顔は紙のように白かった。ナタリアは狼狽を露わにして訊ねる。


「ちょっと、顔色が悪いんじゃ」


「……この前渡した紙雛、持っていてくれたのですね」


 ナタリアは眉をひそめて、腰に提げたポーチの中を探る。札入れから、アミュウがもらったのとは色違いの紙雛を取り出すと、紙はぐしゃぐしゃに撚れ、千切れ、ところどころ焦げて、丸まっていた。聖輝が黙って手を差し出すので、ナタリアはその手に紙雛を載せた。アミュウが目をこすりながらつぶやく。


「身代わり人形ですね」


 聖輝は緩慢な動きでごく小さく頷く。


「こんなに早く役立つとは。立て続けに同じ場所で破れたものだから、驚きましたよ」


 ナタリアが矢継ぎ早に訊ねる。


「さっきのパンは? それに、そのワインは」

「神聖術の供物ですよ。ただのパンとワインです。供物が無ければ奇跡は起こせません。ご覧の通り、ワインはもう残っていないし、パンだって、そういくつも持ち合わせていない。今の私は、完全に丸腰です……」


 そう言いながら、聖輝は目の上に人差し指と中指を当てて、重たそうな目蓋を引っ張り上げた。ナタリアはなおも質問を重ねる。


「じゃあ、さっき何もない場所から突然現れたのは?」

「それは、妹さんが詳しいでしょう……申し訳ないが、少し休ませてください――すぐ起きます」


 そう言うと聖輝は眉山から指を離し、うな垂れて、すうっと寝入った。アミュウとナタリアは顔を見合わせた。アミュウがそろりと聖輝に近付き、額に手をやる。熱は無い。聖輝の手を取り脈を測る。平常よりも速かったが、ほかに取り立てて具合の悪いところがあるようには見えない。

 アミュウはハンカチを広げて地面に敷くと、その上に聖輝の頭を置いた。白いマントで彼の身体をくるみこみ、脚の下にアミュウの帆布の鞄を差し込んで、高さを確保した。意識を失った身体は温かく、思ったよりも重かった。アミュウはそれを、命の重みだと感じた。

 ナタリアはポーチからナイフを取り出して、腕まくりをしてグローブを外すと、イノシシの首にぐいっと刃を押し込み、頸動脈を切った。赤黒い血が噴き出す。その色は、聖輝がまき散らしたワインの色とよく似ていた。ナタリアは血がよく抜けるよう、イノシシの四肢をぐにぐにと揉みまわした。ナタリアもアミュウも無言でけものの死骸を見ていた。赤トンボが、むくろの上方を飛び回っていた。


 小一時間ほどで聖輝は目を覚ました。ふらつく聖輝に肩を貸して、三人でアミュウの小屋へ戻ると、アミュウはセドリックの詰める役場庁舎まで飛んでいき、執務室へ乗り込んで事情を説明した。セドリックはすぐに猟友会の連中を現場に寄越した。けものはその場で解体され、町外れの屠殺場へと運ばれた。

 まだ顔色の冴えない聖輝がしきりにワインをねだっていたので、アミュウはカーター邸から一瓶持ち出して、森の小屋へと舞い戻った。聖輝とナタリアを二人きりにしておくのが不安で、文字通りのトンボ帰りだった。聖輝はアミュウのベッドに窮屈そうにその身を押し込んでいたが、ワインをすっかり空けてしまうと、やや元気を取り戻した。

 アミュウは、ナタリアと聖輝を町まで送っていった。カーター邸に着くと、ちょうどイルダが猟友会の男から牡丹肉を受け取っているところだった。男は、一人暮らしのアミュウにも、同じ量の分け前を手渡して去っていった。

 ナタリアと別れた後、アミュウは聖輝をキャンデレスクエアの「ザ・バーズ・ネストB&B」まで送り届けた。道中、ほとんど言葉を交わさなかった。

 安宿の外扉の前で、聖輝はありがとうと礼の言葉を口にした。そして、付け加えるように言った。


「今日見た空間転移は、決して試そうなどと思わないように」


 そして聖輝は扉を閉めた。聖輝の声には深く疲労が滲んでいた。

 アミュウはふと思い出して、財布から紙雛を取り出してみた。ナタリアのそれと同じように、ぼろぼろにれて、汚らしく崩れていた。ふと思いついて、折りたたまれた色紙を広げてみると、その内側には、黒く変色し、乾いた血がこびりついていた。アミュウは、見てはいけないものを見てしまったような気がして、その色紙を元通りにたたみなおした。

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