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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第八章 軍靴、蒼天に響けば

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8-26.ロサ・ガリカ

 暮れなずむブリランテの街は、勝利の陶酔感の中で浮かれていた。少し歩けば、四つ辻の広場ごとに踊る市民たちの輪に行き当たる。一方、聖堂広場ピアッツァ・デル・ドゥオーモに設置された簡易診療所では、怪我人たちがテント幕の下で包帯を巻いてもらったり、添え木を当ててもらったりしていた。怪我人たちの待機列の前を通りすぎることは、アミュウにはできなかった。気が付けば、アミュウは診療所の手伝いに混じり、怪我人たちの面倒を見ていた。

 飛び入りのアミュウを、老齢の医師は歓迎した。アミュウは夢中で怪我人たちの手当てを続けた。


「ブリランテは戦い続けるしかないんだ。連合軍のやつらが体勢を立て直すヒマもないくらいにな」


 怪我人の口ぶりから、明日も攻撃作戦が続くことが分かった。確かに、ペリアーノ川の向こう岸の検問所は、早めに制圧してしまいたいというのがブリランテ側の願いだろう。しかし、もしもカルミノの言うとおりに連合軍の兵力が増強されるとしたら、楽観視するのは危険だ。

 最後の怪我人の手当てを終えたアミュウは、見舞いの言葉をかける。


「安静にしていてくださいね」

「早いとこ治して、また戦わないとな」


 農夫ふうの男は日焼けした頬をニッと持ち上げて笑い、松葉杖でひょこひょことテントを去っていった。祈るような気持ちで後ろ姿を見送る。

 片付けの最中、医師はアミュウにそれはそれは丁重に感謝の意を告げ、大量のビスケットの箱を差し出した。携帯食として民兵に配布するよう、軍から支給されているものらしい。アミュウは固辞したが、結局五箱ももらってしまった。


(日持ちする食べ物はありがたいわ)


 アミュウがビスケットの箱を抱えて帰ろうとすると、どこからともなくロサが現れた。


「ヒマそうね」


 絡んでくるような物言いを面倒に思い、アミュウは深くため息をつく。


「見てたの?」

「ほかにやることがあるんじゃないの」

「傷付いたひとの手当ては、ヒマつぶしではないわ」


 既に日はとっぷりと暮れていた。振り返れば聖堂広場ピアッツァ・デル・ドゥオーモに灯火がきらめいている。路地裏のうらぶれたバールでは酒類の提供が始まっていた。ロサは何の説明もなく、そのバールに身を滑りこませる。後に続くべきか、先にそよ風荘(カーサ・アリエッタ)へ戻るべきか、考えあぐねていると、バールの扉の隙間からロサの手がニュッと伸びてきて、アミュウを強引に連れ込んだ。

 狭く薄暗い店内は、異様な熱気で包まれている。まだ宵の口だというのに、酔った客たちが大声で喋っている。

 ロサは人気ひとけの少ないカウンターのすみにサッと座った。アミュウも隣に腰掛けながら、怪訝顔で訊ねた。


「なんのつもり?」

「別に」


 素っ気なく言ったあと、ロサは自身の酒と一緒にホットミルクを注文した。アミュウのための飲み物なのだろう。アミュウはもとより小柄な身体をさらに小さくすぼめ、周囲の様子をちらちらとうかがった。五つしかないテーブルからは、酒飲みたちの興奮した声が聞こえてきた。盗み聞きをするつもりはなかったが、耳に飛び込んでくる単語から、彼らが今朝がたの戦闘に加わったのだとわかった。


 目の前にゴトリとカップが置かれた。湯気たつ白い飲み物にはシナモンが振ってあり、蜂蜜の匙の小皿まで添えられていた。ロサのグラスの中身はオレンジがかった赤い液体だった。ワイングラスではなく、無骨なロックグラスだ。彼女がグラスを傾けると、ツンと香草のにおいがただよってくる。何かを漬け込んだ酒らしい。


「……あんたと、ゆっくり話したことはなかったなと思って」


 ロサの呟きがあまりに唐突で、さきほどの問いかけへの返答なのだと、すぐには思い至らなかった。アミュウは宙を見上げて考える。ブリランテへの道中、彼女はずっと御者席にいたから、会話というほどの会話はしていない。かといってカルミノとしゃべり倒していたわけでもなかった。ヴェレヌタイラでも彼女の酒に付き合ったが、あれは数に入っていないらしい。

 ロサが何か話したがっているのだとアミュウは察したが、積極的に応じる気にはなれず、黙って蜂蜜の匙でミルクをかき回していた。

 しかし、先に沈黙に耐えきれなくなったのはアミュウだった。


「どうして私たちに手を貸してくれるの?」


 義理で訊ねたつもりだったが、ロサは笑い飛ばした。


「あんたたちを助けるつもりじゃないわ。戦場で腕試ししたいだけ。あたしは根っからの精霊魔術師なの」


 ひとしきり笑ったあと、ペロリと唇を舐めたロサを、アミュウは見つめた。ロサのグラスのすぐ近くに、瓶詰めの蝋燭があった。ロサは美しかったが、暗い店内で小さな光源に照らされると、今まで目に入っていなかった細部の皺が陰影を主張してくる。二十代にも、三十代にも見えていたが、案外もっと上なのかもしれない。


「どうして精霊魔術にこだわるの?」


 アミュウはずっと疑問に思ってきたことを訊ねてみた。ロサの視線がふっと遠くなった気がしたが、何も答えず、黙ったままだ。アミュウは質問を重ねた。


「私のことをペテン師って呼んでたでしょう。私が精霊魔術を使えないからよね。あなたにとって、精霊魔術はそんなに特別なの?」


 メイ・キテラから教わったいにしえの魔術は、地味だが生活に密着した、人々の知恵の結晶だ。アミュウはもちろん誇りをもってその力を使っている。しかし、精霊魔術が台頭し昔ながらの魔術師が減っていったことで、その価値は忘れられようとしている。ロサもそうなのかとはじめは思っていたが、ソンブルイユ郊外で大猫を封じ込めようとしたとき、彼女もいにしえの魔術の系譜に連なる術を使っていた。歯を鳴らして獣と心を通わせるというのは、かなり原始的な術だろう。いにしえの魔術を扱う彼女が、なぜ精霊魔術に異様なこだわりを見せるのか、アミュウはずっと不思議に思っていた。

 ロサは長い間黙って酒を啜り続けた。口を開いたのは、同じ酒の二杯目を受け取ってからだった。


「あたしの父親は旅暮らしの魔術師だった。精霊魔術の腕はからっきしで、あんたみたいに、ホコリをかぶったようなまじないばかりやっててね。だんだん魔術師っていうよりも奇術師に近い興行に手を染めるようになった。あたしは母親と一緒にブリランテで暮らしてたんだけど、あたしに精霊魔術の素養があるって分かってからは、無理矢理あたしを同行させて手伝わせた……ショーみたいなのをやらされたのよ。父親が杖を大きく振りかぶったら、あたしがこっそり集めておいた精霊を使って、火の輪をつくったり、霧を呼んで虹を光らせたり。それであたしは食わせてもらってたわけだけど、心底くだらないと思った。あれは、ペテン師の所業よ」


 アミュウの胸が音を立てて縮んだ。はじめてロサと対峙したとき、アミュウは何をしたか――まるで精霊魔術が使えるかのように、カルミノに対してハッタリをかましたのだ。ロサがアミュウをペテン師と呼ぶ意味が分かった気がした。戦闘中の咄嗟の出来事とはいえ、アミュウはロサの地雷を知らぬうちに踏み抜いていたのだった。


「ソンブルイユの魔術学校に入って、ちゃんと勉強したかった。けど、父親が許してくれるはずもなくて。でもね、そんなときにラ・ブリーズ・ドランジェでドゥ・ディムーザンのお屋敷に呼ばれたの。そしてリシャール=アンリ様の目に留まった」

「マリーさんのお父さんね」


 アミュウが相槌を打つと、ロサは夢見るように目をとろんと閉じた。


「あの頃のお嬢様はまだお小さかったわ。お元気かしらね……」


 その横顔が普段の苛烈さからは程遠く優しげに見えた。ときどき()()だから、アミュウは戸惑うのだ。ロサは今きっと、マリー=ルイーズがピッチのいない生活を送っているというところに思いを馳せている。すると、ピッチを逃がしてしまったアミュウの胸がぎゅっと縮みあがる。アミュウの表情の陰りは、目を瞑っていたロサには見えなかっただろう。


「主公さまに世話してもらって、十五のときに奨学生待遇でようやく魔術学校に入れたの。遅れて入学したけど、卒業は早かった。何年か外で修行してからディムーザンの屋敷に戻ってきて、そのあとはずっと主公さまとお嬢さまに仕えてる」

「……お父さんはどうしたの」


 アミュウが訊ねると、ロサはぱちりと目を開けた。その眼差しは冷たく、どこも見ていない。


「投獄されて、それっきりよ」


 アミュウがぽかんと口を開けていると、ロサは投げやりに言った。


「本格的な詐欺に走っちゃったみたい。学校に入って縁が切れたあとだったから、まだ牢屋にいるのかも出たのかも知らないんだけど。知りたいとも思わないわ」


 ロサが香草酒を舐めると、分厚いガラスが蝋燭の灯を乱反射する。グラスに残った口紅の跡を親指で拭ってから、彼女は頬杖をついた。母親について重ねて訊ねてよいものかアミュウが迷っていると、ロサの方から口を開いた。


「母親の方も行方がわからなくなっちゃったの。父親と縁を切りたがってたのは、子ども心によく分かってたわ」

「この街にいないの?」


 ロサはこくりと頷いて、さらに一口酒を飲んだ。

 話を聞いた限りでは、彼女は長いあいだブリランテを離れていたようだが、馬車でこの街に入ったとき、門番はまるで顔見知りであるかのように、疑う様子もなく彼女を迎え入れた。今いるこの店も、地元民だけが知っているような、小さな小さなバールだ。もしかしたら、家族を探しに頻繁にブリランテへ戻っているのではないだろうか。

 彼女がこの街の出身であることをはじめに話したのはカルミノだった。


(久々の里帰りだろう。こんな事態でなければゆっくりできたものを)


 ロサが羽を伸ばせないのを残念がるような口ぶりだったのを、アミュウは思い出す。彼がロサの事情を知っているのかどうか訝っていると、ロサがぶつくさとこぼした。


「まったく……こんなに話すつもりじゃなかったのに。アミュウって、やっぱり意地汚いわよね。根掘り葉掘りきいてきて」


 アミュウは呆れて目を見開いた。


「そっちが勝手にしゃべったんじゃない」

「最初に精霊魔術がどうのこうのって文句を言ってきたのはそっちでしょ」


 ロサに責め立てられて「だって」と開きかけた口を、アミュウは気合で閉じた。精霊魔術を使えず、いにしえの魔術ばかりを扱うアミュウに対して、ロサの当たりが強い理由がよく分かった気がする。ペテン師呼ばわりされていたが、そんなロサも今はアミュウをたまにはきちんと名前で呼ぶ。今はそれで充分としておかなければ、彼女の機嫌を損ねてしまいそうな気がした。アミュウは言い返す代わりにミルクに口をつけた。湯気が立っていたはずのミルクは、生ぬるく冷めていた。

 しかし、そのあとに続いたロサのぼやきに、アミュウは思わずミルクを吹き出しそうになった。


「カルミノはこんな風に突っ込んで聞いてこないのにね」

「えっ? なに? 話しかけてもらえるのを待ってるの?」


 アミュウが食いつくと、ロサは形よく整えられた眉をぐしゃりとひそめた。


「まるであたしが察してちゃんみたいな言いぐさね」

「違うの? えっ、今のはそういうことなの⁉ ねぇ?」

「ああ、もううるさいわね!」


 ロサは一気に酒を呷ると、ガタリと席を立った。店主がすかさず「お代は」と会計を促すと、苛立たしげに銭入れをまさぐり、叩きつけるようにしてカウンターに硬貨を置く。


「足りるわね?」

「どうも」


 アミュウが慌てて自身の財布を探っていると、既に店の出入り口へと進んでいたロサがぴしゃりと言う。


「あんたのも払ったわよ!」

「えっ、あ……ご馳走さまです」


 ロサが店外へ出る寸前に投げかけたアミュウの礼は、彼女に届いたかどうかあやふやだったが、二度言うのは野暮な気がした。アミュウはそそくさと身支度を整え、店主に向かってぺこりと頭を下げて店を出た。いつの間にか、店内の喧噪は耳に気にならなくなっていた。


 そよ風荘(カーサ・アリエッタ)に戻ってから、アミュウはふとした瞬間にカルミノを目で追っているのに気が付いた。彼の身件の皺は深く刻まれ、機嫌の悪そうな顔つきが状態化している。たで食う虫も好き好きというのは、少々言い過ぎだろうか。翌日に備えて早くに休んだが、アミュウはなんとなく自分の心が浮き立っているのを感じていた。本格的な戦闘が始まっているというのに、不思議な心地だった。アモローソのことをくよくよ考えずに済んだのは、ロサのお陰なのかもしれない。ヴェレヌタイラでも同じような気分で眠りについたのを、アミュウは懐かしく思い出していた。

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