8-20.開戦
聖堂広場では、誰もかれもが走っていた。義勇兵から成る解放軍には正規の制服がなく、赤い襷が兵士であることをかろうじて示しているに過ぎない。加えて、農具や調理道具、火掻き棒など、思い思いの武器を持った民間人も走り回っていて、誰が戦闘員なのかまったく分からない。この混乱の中では、聖輝の容姿にいちいち目を留める者は少ないだろう。
彼らの動きを注意深く見ると、多くは街門へ向かっているようだったが、中には戦闘が始まったことを知らせに、家々を回る者もいるようだった。そのうちの一人をつかまえて、アミュウは声をかけた。
「連合軍はどこまで来てるんですか?」
「街門のすぐ外まで来てる! 早く建物に隠れな。戸締まりをして、戸口や窓を家具で塞ぐんだよ」
女ががなり立てるように答える。
「ほかに、塀の外への出口は」
聖輝が重ねて訊ねると、彼女はピンと腕を伸ばして指をさした。
「あっちに通用門があるけど、外は連合軍に囲まれてる。正門ほど頑丈じゃないから、近付いちゃダメだよ」
アミュウと聖輝は揃って礼を言い、教わった方へ走っていった。
「ああ! 行くなって言ってるのに!」
後ろから女の声が聞こえてきたが、構わず通用門を目指す。同じ方向へ向かう人もちらほら見えた。迷うことはなさそうだ。家々のどこかから、子どもの泣き声が響いてきた。悲痛きわまりない調子は、季節外れの木枯らしか何かのようだった。
「あっちだ!」
「突破されたか」
「まだだ、でも長引くのはまずい」
走りながら口々に叫ぶ人たちは、襷を身に着けていない。民兵というよりも、居ても立ってもいられずに飛び出してきたという感じの出で立ちだ。広場から路地に入り、街壁が迫るにつれて、騒乱の轟きがどんどん大きくなってきた。
息切れの呼吸の合間に、アミュウは隣を走る聖輝をちらりと見る。彼もまたひどく息が荒く、苦しそうだ。ついこの間まで入院していた身なのだと、アミュウは改めて思い知る。速度を緩めると、聖輝が振り返って訊ねてくる。
「大丈夫ですか?」
心配しているのはこっちだと言いたい気持ちをこらえて、アミュウは道端に立ち止まる。聖輝も止まり、ゼイゼイと息を吐く。上下する肩が痛々しい。休憩している間にも、ばらばらと市民たちが目の前を通りすぎていく。皆、連合軍がいつ侵攻してくるか、気が気でないのだ。
街壁には小さな櫓が備わっていて、矢を射る弓兵たちの背中が見えるが、物見台はかなり手狭だ。あれでは射撃の効果は限定的だろう。城塞都市ソンブルイユでは、壁上に通路が設けられていたが、ブリランテの壁にはそこまでの機能がない。櫓はほかにもあるようだったが、行き来ができず、各個で持ちこたえるしかない構造だ。
呼吸を整えてさらに近付くと、大勢の人が門扉に馬車の車体を押し付けバリケードにして、扉が開かないよう押さえていた。街の外からは繰り返し衝撃が加えられ、扉を突破されるのも時間の問題と見える。
櫓の下にも人だかりができていて、どうやら砲弾を櫓の砲台に上げようとしているようだった。上から垂れた縄の先に、砲弾を包んだ網がくくりつけられている。櫓の上にはひとりで縄を引き上げようとしている砲撃手の姿が見えるが、応戦する弓兵たちに彼を手伝う余裕はない。砲撃の準備を進める間にも、外側から通用門を破壊しようとする攻撃はやまず、縄の先で砲弾が揺れて壁にゴツゴツと当たっていた。
土埃が舞う中、聖輝の頭に巻いた赤い暖簾がやけに鮮やかに網膜を刺す。彼は目を眇めて櫓の状況を観察し、アミュウに言った。
「もしも扉が壊されたら、結界をお願いします」
言うや否や、櫓のほうへと駆けていく聖輝を見送るアミュウの心臓が早鐘を打つ。鞄から手鏡を取り出し、祈るような心地で握りしめた。
アミュウの脈の速さに比して、重い荷物を負う聖輝が梯子をのぼっていく速度は遅かった。彼が肩から提げているのはいつもの革鞄ではなく、見慣れないザックだ。アミュウの知らないうちに、ロサかカルミノあたりが調達したものなのだろう。祭服は『自由の家』に置いたまま、色あせたジャケットとトラウザーの格好で逃げてきた。赤い布を頭に巻き付けひらひらとなびかせる姿は、とても牧師には見えない。なにかの本で読んだ従軍牧師という言葉がアミュウの頭に浮かんだが、いま固唾をのんで見守っている牧師は、その言葉のイメージとはかけ離れていた。
縄の先の砲弾の横を上がっていくときは、風にあおられた砲弾が何度か聖輝の体に当たり、そのたびに聖輝は体をよじらせた。やっとのことで櫓へ上がると、砲撃手を手伝って砲弾を引き上げる。櫓の下から歓声がわいた。
そのとき、ひときわ大きな振動とともに、バリケードにしていた馬車が傾いだ。外からの攻撃に門扉が耐えられず、破られようとしていた。馬車が倒れないよう押さえるブリランテ市民たちの後ろで、義勇兵がおのおのの武器を構える。しかし、間断のない衝撃で、門扉だけでなく馬車にもガタが来ていた。
「駄目だ、崩れる!」
叫び声は甲高く、男の声とも女の声とも分からない。馬車が転がり、破られた扉が倒れてくる。カーブを描いてくりぬかれた穴の向こうに向こうに蒼天が見えた。続いて、破城槌の三角屋根。杭を抱えるソンブルイユ兵たちの、咆哮を上げて開く口の大きな暗がり。
アミュウは無我夢中で、胸の前で握っていた手鏡を正面に掲げ、言霊を紡いだ。
「ウェヌスの鏡はあかつきに輝く!」
門扉のあった空間が、鏡面になって光を放ち、周囲の狂乱を吸いこんでいく。ほんの一瞬あたりが静かになった。杭ごと結界の壁にはね返されてもんどり打つソンブルイユ兵たちは、体勢を立て直し、もう一度杭による突撃を試みる。すると、頭上から何かが降ってきた。
――赤い蛇。
その印象はほんの一瞬で、すぐにアミュウは上から降ってくる液体のひとつらなりがワインであると理解した。壁の内側のアミュウから見えるのは、扉の形に抜けた穴の範囲の景色に限られていたが、円を描くようにまき散らされた赤い液体が、樹状に腕を伸ばして広がっていくのがはっきり確認できた。破城槌の屋根から滴り、触手になって構造内に侵入する。
「うわ! なんだこれ!?」
ソンブルイユ兵たちが後退する。恐怖しているのは連合軍だけではなかったようで、壁の内側にいるブリランテの人々も、潮が引くように後ずさっていた。赤い線は、枝葉が伸びる速度さながらゆっくりと広がったあと、音もなく閃光とともに爆ぜた。距離をとっていたソンブルイユ兵たちに実害を与えたようには見えなかったが、破城槌は四方に砕け散り、また威嚇としても十分だった。
しんと静まった戦場を、突如轟音が揺るがした。櫓の上の砲台から、大砲が撃ち込まれたのだ。前線を直撃し、ソンブルイユ兵たちを吹き飛ばす。その着弾を皮切りに、あらゆる音が戻ってきた。悲鳴、怒号、そして足音。混沌とした音の渦に戦場が呑まれていく。
アミュウが慎重に結界を縮小させると、結界と門の隙間から、めいめい武器を掲げたブリランテ解放軍の兵士たちが飛び出していった。あとは混戦を極めるばかりだった。砂塵が巻き上がり、草地の緑色を塗りつぶしていく。ときおり砲弾の着弾する爆音が耳をつんざく。
必要とあらば壊れた扉の代わりとなるべく、アミュウは門番に徹したが、一度崩れたソンブルイユ側の前線は、持ち直すことはなかった。素人集団も加わったブリランテ側は、破れかぶれの勢いで連合軍を追い立てる。櫓に目を向けると、聖輝はそれ以上の神聖術は使わずに、砲弾を引き上げてばかりいるようだった。
とうとう連合軍が退き、土埃がおさまったとき、日は天頂を過ぎていた。ソンブルイユ兵たちの背中を、ブリランテの人々の勝ち鬨が追い立てていく。勝利の雄叫びは、通用門で自然発生したのち、再度正面の門のほうから伝播してきた。伝令役が街のあちこちを行き交う。家に立て籠もっていた住人たちが恐る恐る顔を出す。勝利の熱狂が興奮の渦を呼び、街中がひっくり返ったような大騒ぎだった。
アミュウと聖輝はその渦から逃げるようにして路地へ入った。行くあてはなかったが、静かな場所に行けば、なんとなくカルミノが姿を現すような気がしていた。




