8-16.ドメニコ・ディ・ブリランテ
アミュウは後ずさり、改めて食堂を見回した。雑然と並ぶ十余りの円卓のあらかたに、ひとり、ふたりとバラバラに客が陣取っている。はじめは赤の他人同士のように見えた彼らだが、ちらちらと交わされる視線や小突きあう仕草から、どうやらほとんどが常連らしいと見て取れた。中でもアミュウに話しかけてきた男は目を引く。上等そうな空色のジャケットに真っ赤なポケットチーフを挿し込んでいるが、その派手さが嫌味にならない不思議な魅力があった。青みがかった栗色の髪は短く刈られており、もしも伸ばしたらさらさらとなびきそうな髪質だ。認めたくなかったが、薄っぺらな笑顔でさえ男を飾るアクセサリーのひとつのようだった。若く見えるものの、案外かなり年上であるようにも思われる。
アミュウが黙っていると、カルロと呼ばれたもう一人の男が申し訳なさそうにハンカチーフ男の肩に手を置いて、一歩下がらせた。
「連れが失礼を言って怖がらせてしまったね。こんなむさくるしいところに可憐な蝶が舞い込んだものだから、物珍しくて調子に乗ってしまったらしい」
彼の台詞はハンカチーフ男と同じくらい歯の浮く甘さだったが、存外に誠意が感じられて、アミュウはいくぶん肩の力を抜いた。彼の年の頃は四十過ぎだろうか、ハンカチーフ男よりは落ち着いて見えた。アミュウの緊張がゆるんだと見ると、すかさずハンカチーフ男が問いかけてくる。
「ねえねえ、この街の娘じゃないよね。どこから来たの? こんな時期に観光ってわけじゃないんだろうけど」
再びアミュウの身体がこわばった。この男には、ラファエロと話していた姿を見られているらしいが、彼と実際に居合わせた時間は、教会を訪れた日の司教部屋の中と、そのあと閉じ込められた屋根裏部屋に限られる。司教部屋にいたのは僧兵たちだけだったはずだ。
(この人たちが、あのときの兵士たちに紛れていたっていうこと?)
男たちの素性が分からない以上、アミュウにはすっとぼける以外の手はなかった。
「人違いじゃありませんか」
「そんなはずはないよ。この街にこんなにかわいい女の子がいたら、気付かないはずがないから」
男はよどみなく甘い言葉を吐き続ける。心の底からうんざりした声でアミュウは言った。
「……もう行っていいですか」
「ああ、引き留めてしまってごめんよセニョリータ。ここに泊まってるの? カバン持つよ?」
「結構です」
アミュウが二人分の荷物を背負って階段を上がっていくのを、ハンカチーフ男は興味深そうに見送っていた。
部屋に戻ってから聖輝にその話をすると、折よくやってきたロサが言った。
「ああ、それ、領主ンとこの放蕩息子よ」
彼女は聖輝に今日の新聞を手渡す。「へえ?」と聖輝が応じると、ストロベリーブロンドのボブカットを揺らして首を振り、顔をしかめた。
「ドメニコっていう優男。顔が広くて、その上あの見た目でしょ。チャラいやつだけど、愛想がいいから老若男女問わず好かれてるのよ」
「名前は聞かなかったわ。一緒にいたひとがカルロって呼ばれてたっけ」
「武器屋のカルロ・リッチ。ブリランテが強気で籠城作戦を続けていられるのは、彼が裏ルートで仕入れてくるブツのおかげね」
「それって、確か……」
アミュウと聖輝は顔を見合わせた。その名は、マリー=ルイーズが見せてくれた新聞記事で見かけた覚えがある。ジークフリートを兵器の密輸に巻き込んだ張本人だ。ジークフリートは彼をカールと呼んでいて、ラ・ブリーズ・ドランジェの港で見かけたと言っていた。密輸首謀者として摘発されたあと、脱走したというのが、記事に書いてあった。
「二人はそれは仲良しで、しょっちゅうくっついて行動してるみたいよ」
ロサの説明を受けて、アミュウはポンと手を打った。
「ナターシャはたぶん領主さんのところにいるんでしょう? だったら、その息子に接近すれば、ナターシャと話せるかもしれないってこと?」
「接近って……危険です。また捕まるかもしれないんですよ。それも、今度は領主館に」
聖輝が顔を曇らせるが、アミュウは意見を曲げなかった。
「捕まえるつもりなら、さっき捕まえてたはず。向こうは私をはっきり覚えていたんだもの。そういうつもりじゃないはずよ」
アミュウが言い張ると、ロサが吹きだした。
「あの男、町中の女の子の顔を覚えてるの。見覚えのない顔だったから、よけい記憶に残ったのね……油断しないことね、坊ちゃん。この子が逗留してることが分かった時点で、あなたがこの宿にいることも知られていると思ったほうがいいわ」
「そのようですね」
聖輝がこめかみを押さえて溜め息をついた。高らかに笑って部屋を出ようとするロサに、アミュウは唐突に取りすがった。
「ねえ、ピッチの居場所、あなたなら迷子探しのまじないで分かるんじゃない?」
途端に彼女は笑いを引っ込め、すっと冷たいまなざしでアミュウを一瞥した。その視線の温度が答えだとアミュウはすぐに理解した。ナタリアと同じようにピッチを可愛がっていた彼女が、アミュウの問いに答えるわけがない。ロサはそのまま部屋を出ていってしまった。
「アミュウさんが気に病むことではありませんよ」
閉ざされた扉の前で棒立ちになっていると、聖輝が声をかけてきたが、アミュウは力なく首を横に振った。
「ぐずぐずしてないで、さっさと教会から逃げ出していればよかったんです。何日も放っとくなんて……ナターシャに会いに来たのに、合わせる顔がないわ」
聖輝が何か言いたそうな顔でアミュウを見ていたが、アミュウが首を傾げると、彼は目をそらして新聞を読みはじめた。と、ある記事を指指してアミュウを手招く。
「ほら、ここ。カーター・タウン市長選が告示されましたよ」
近付いて見れば、セドリックとケインズの肖像が小さく紙面に載っていて、五月上旬に選挙を執り行うとのことだった。故郷の義父への思いが胸からあふれそうだったが、アミュウの口をついて出たのは全然違う言葉だった。
「似てませんね」
「案外、特徴をとらえていると思いますがね」
それからアミュウは階下の様子を探った。食堂には、もうドメニコたちの姿はない。アミュウは厨房の料理人に声をかけ、温かいフォカッチャとアンチョビのペーストを分けてもらった。料金は宿代につけてもらえるらしい。二人分のフォカッチャの包みを抱えて階段を上りながら、アミュウはふとダミアンの妻ハリエットの産んだ赤子を思い出した。フォカッチャを抱える体勢が、赤子を抱っこするのに似ていたからだろうか。アミュウが取り上げた嬰児も、同じようにあたたかかった。あの赤ん坊は、首が据わったころだろうか。ハリエットは元気だろうか。ケインズは、孫の存在を知らないままなのだろうか……
感傷の檻に閉じ込められそうになったアミュウは、頭を振って顔を上げた。娘の帰りを待ちながら選挙戦に挑むセドリックのためにも、ナタリアを連れ帰らなければならない。その役目を担うことができるのは、妹である自分をおいてほかにいない。戦争に突っ込んだ姉の首根っこを引っつかまえて、カーター・タウンに帰るのだ。




