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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第八章 軍靴、蒼天に響けば

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8-15.ロスト

 翌朝になって聖輝から聞いたところによると、カルミノがアミュウたちを連れてきたのは、彼らの逗留する宿の一室だった。アミュウが破れかぶれの空間転移術を試みたのは夜課の祈り、深夜三時半のころだ。


「どうしてそんな時間にカルミノが出歩いていたのかしら」

「ジークの動きを察知したんでしょう。アモローソ王女の動向を追っていたのなら、彼女に近いジークを張るのは自然なことです」


 そういうものかとアミュウが唸っていると、聖輝も同じように考え込んでいた。


「案外、彼らと手を組むのは悪くないかもしれませんね。こちらにはいくらかの情報があっても、手足が心もとない。私の血は薄まったままですし――」

「蓮飾りの杖もない」


 聖輝の言葉の続きをアミュウが引き取り、昨晩ロサが置いていった水差しのレモン水を少量、コップに注いだ。コップはひとつきりだった。残りわずかとなった水差しを聖輝に渡すと、彼はぐっと背中を反らせて上を向き、水差しに口がつかないよう離して飲んだ。途端にむせ返る聖輝の背中をアミュウは慌てて叩いた。手巾を差し出したいが、それすら手近になかった。


「ひとまず噴水亭アルベルゴ・フォンタナへ戻らないと、ピッチが心配だわ。荷物もそのままだし」


 なにしろ、着替えすら満足ではない。アミュウは髪を梳かして支度を始めるが、聖輝は少しも動こうとはせず、昨日の新聞を眺めはじめた。カチンときたアミュウが鋭く問う。


「行かないんですか」


 すると聖輝は寂しそうに首を横に振った。


「行きたいのは山々なのですが、どうもお尋ね人になっているようなのでね……荷物が重いなら、ザッカリーニに当たって下さい」


 そういえばと、アミュウは肩透かしを食らった気分だった。アモローソがその気になれば、領主に人相書きを貼りださせるくらいのことはできるのかもしれない。確かに、聖輝はなるべく身を隠すべきだ。


「カルミノに声をかけるくらいなら、ひとりで行く方がマシだわ」


 帆布の鞄を肩にかけ、アミュウが部屋の扉を開けると、すぐそこにカルミノが立っていた。軽く悲鳴をあげたアミュウを、カルミノはじとりとにらみつける。


「あいにく、荷物持ちをしてやれるほど俺はヒマではない」

「頼むつもりなんてないわ」


 そのままカルミノの前を通りすぎようとしたアミュウに、彼は釘をさした。


「フラフラ出歩くのは勧められんぞ。街は兵隊だらけだ。中には領主に近い者もいるだろうし、ソンブルイユ側の間者が紛れている可能性もある」

「分かってるわよ、そんなこと」

「特に若造。ジャポネーズのお前はどうしても目立つ。この部屋から出ないことだな」


 アミュウは目を丸くして、素っ頓狂な声をあげた。


「部屋から出るのもいけないの?」


 カルミノは答えずに部屋を出ていってしまった。聖輝はといえば、にこにこと笑っている。


「そういうわけでアミュウさん、よろしくお願いします。あそこには戻れないだろうから、チェックアウトしてしまってください。ついでに何か部屋で食べられるものを調達してきてもらえると有難い」


 アミュウはがくりと肩を落とす。


「……わかりました」




 アミュウたちの部屋が最上階にあると分かったのは、廊下にのぼり階段がなかったからだった。客室のほかには倉庫と洗面所しかない、アミュウたち四人しかほぼ足を踏み入れないであろう空間だ。寸詰まりの廊下の先には屋上へ出るための窓付き扉がついている。くもったガラスの向こうに、物干しざおが並んでいるのが見えた。

 階段を下まで降りてみれば、さっきまでいた場所が五階だと分かる。四階より下は各階に十部屋ほどあるらしい。共用の洗面台で顔を洗っている者の姿も見えた。一階は食堂になっていて、円卓が並び、そのいくつかで宿泊客が朝食にありついていた。フォカッチャの焼ける香りが漂う。一般客にも開かれた食堂らしく、昼食時に表通りに出す看板が入口脇に立てかけてあり、黒板の板面には拭き残した跡が残っていた。夜には酒も飲めるようで、壁際には酒樽が寄せてある。典型的な宿屋の作りだ。


 しかし、奇妙な違和感があった。観光客向けの高級ホテルである噴水亭アルベルゴ・フォンタナにはなかったぎらついた空気が漂っている。壁に掛けられた鋤や鍬といった農具の先が、単なる装飾品の範疇を超えて、手入れされているからだろうか。あるいは、柱や丸テーブルの天板に深く刻み込まれた傷のせいだろうか。看板には『自由の家レジデンツァ・デラ・リベルタ』とあった。


 あまりじろじろ見て不審に思われてはいけない。アミュウはそそくさと表へ出たが、土地勘がないため右に進めばよいか左へ進めばよいかも分からなかった。狭い路地には三階・四階建ての建物がひしめき合う。どれも古めかしい石造りの構えだ。通りには若干の勾配があり、アミュウは坂をのぼる方向へ歩いてみた。たまに背の低い建物があると、向こうに教会の尖塔が見える。一昨日までは自分がそこに閉じ込められていたのだ。


 この辺りの通りは曲がりくねっていて、教会の方向は分かるのに、思ったように近づけない。いくつかの小道を抜けて、アミュウはようやく聖堂広場ピアッツァ・デル・ドゥオーモに出ることができた。空腹だったが、路地に面したカフェには目もくれず、白壁にプリムラの緋がまぶしい噴水亭アルベルゴ・フォンタナをまっすぐに目指す。

 カウンターには誰もいなかったので、アミュウは階上の宿泊部屋へ直行した。


 扉を開けると、掃除が入ったらしく、ベッドは整えられ、荷物は壁際にまとめられ、すっきりとしていた。窓際に置いたままのピッチの鳥かごの扉は開いていて、中はもぬけの殻だ。

 アミュウの胃が冷たく凍る。近付いてよく見ると、水入れの水はこぼれて蒸発した跡があり、餌は飛び散ってそこら中殻だらけだった。はっとして窓を見れば、わずかな隙間が空いている。とてもピッチが通り抜けることのできる幅ではないが――


「あら? 二〇三号室のお客様?」


 廊下から開け放したままの扉ごしに、清掃婦が声をかけてくる。アミュウがくるりと振り返ると、彼女はバケツをその場に置いて、気まずそうに声をかける。


「あのぅ……鳥を、お連れになっていました? 大きな鳥を」

「ええ、ご存じですか⁉」


 アミュウがすがるように訊ねると、掃除婦はあからさまに顔をしかめた。


「周りのお客様のご迷惑です。ピィピィうるさくて……換気のため窓を開けたら、飛んでいってしまいましたよ」




 アミュウは宿代に迷惑料を上乗せして支払い、噴水亭アルベルゴ・フォンタナを後にした。掃除婦を責められるはずもない。不可抗力とはいえ、ピッチを何日も放置してしまったのはアミュウの側なのだ。


(もっと早くに、あそこを抜け出していたら……)


 悔やんでももう遅い。重い荷物を背負い、重い足取りでカルミノたちの逗留する自由の家レジデンツァ・デラ・リベルタに戻ると、食堂で談笑する男たちの姿があった。彼らが飲み物を手にしているのを目にして、アミュウは食事の調達を忘れたことに気付いたが、ひとまず荷物を部屋に上げてしまおうと彼らの横を通りすぎた。

 すると、男たちの一人が片手を挙げた。


「ねえ、セニョリータ。そんな荷物じゃ君の細い腕が折れちゃうよ。貸してごらん」


 度肝を抜かれたアミュウは思わず荷物を背後に隠して「結構です!」と叫んだ。その反応がおかしかったのか、男は陽気そうに笑った。


「可愛いね。ねえ、どこかで会ったことあるんじゃないかな。運命的なものを感じるよ――そう、例えば――教会とか」


 男の言葉に、今度こそアミュウは凍り付く。別の男が彼を窘めた。


「可哀想に、怖がってるぞ。そのへんにしとけ」

「カルロも見ただろ。ほら、司教どのと一緒にいた子だよ」


 軽薄そうな男の薄い唇から、いたずらっぽく歯が覗いている。

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