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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第八章 軍靴、蒼天に響けば

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8-9.ラファエロ・ジュリアーニ

 広場の西側の奥まったところに、前庭も何も配されず、大聖堂の入口が直接に面している。扉の前に立ち止まり聖堂を見上げると、その迫力に圧倒された。壁面にぎっしりと施された彫刻は、遠くからでは細部が見えなかったが、すぐ近くまで来てみれば、その仕事の緻密さがよく分かる。建物がまるごと芸術品なのだ。

 年季の入った扉を開こうとする聖輝に、アミュウは訊ねた。


「私もついていっていいんですか? 機密事項なんですよね」


 念を押すというよりも、スタインウッド教会でおいてきぼりにされたことを引き合いにして嫌味を突き付けるつもりだったが、聖輝はのらりくらりとかわしてみせた。


「せっかくこんなに綺麗な建物に入れるんです。物見遊山を楽しみましょう」


 聖輝が手に力をかけると、重そうな音を立てて扉がきしむ。背後にいたアミュウには聖輝の表情が分からなかったが、彼の顔が歪んだのが見えた気がして、慌てて扉を押すのを手伝った。扉自体も重かったが、蝶番に問題があるようだ。扉は悲鳴を上げながらぎしぎしと開いた。

 前室はなく、すぐそこに礼拝の空間が広がっている。聖輝は例の冴えない帽子を脱いで、入口の脇に備え付けられた水盤に手を浸し、十字を切った。中身はどうやら聖水らしい。アミュウも見様見真似で手を伸ばすと、聖輝に止められた。


「信徒だけがすることです。魔女のあなたには不要な行為だ」


 礼拝堂にはぽつりぽつりと街の人の姿があった。そこかしこで見かけた赤い襷の義勇兵たちの家族なのかもしれない。聖輝は列柱の合間の身廊を進み、内陣の祭壇の手前で跪き祈りの所作をとった。すぐに僧侶がやってきて、彼に声をかける。

 ふたりが小声で話すあいだ、アミュウは離れた場所から見守っていた。アミュウは魔女であり、教会の信徒ではない。教会が魔術師を拒まないことを当たり前の常識と受け取っていたが、そうでない過去があったのだということを、この街の彫刻物の合間に見え隠れする悪魔のモチーフに思い知らされた。それで、なんとなく内陣のほうまで進むことができずにいたのだ。


「司教様へのお目通りを許してもらえそうですよ。まいりましょう」


 いつの間にかふたりは話を終えていたようで、聖輝が袖廊から手招いていた。脇が事務棟に繋がっているらしい。アミュウは小走りで聖輝の後を追った。

 勝手口から渡り廊下に出て事務棟へと案内される。階段を上がると、聖堂とはまったく異なる雑然とした雰囲気のホールが広がっていた。こちらは華美な装飾は見当たらない。法衣の僧侶よりも多くの市井の人たちが立ち働き、ざわめきがホールを満たしていた。まだ床下暖房を使っているらしく、ほんのりと暖かい。


 三階へ上がり、木彫りの十字架のかかった扉の前で立ち止まる。僧侶の呼びかけに扉の中から返事があったが、くぐもっていてアミュウには聞き取れなかった。中へ入るように促され、まず聖輝が、続いてアミュウが部屋に入る。ほこりのにおいが鼻をつく。三方を書架に囲まれた質素な部屋の中で、本に埋もれるようにして座っていた男が、ガタリと椅子を引いて立ち上がった。法衣ではなくスモックを着ていたので、アミュウは彼を事務員か司書か何かだと思ったが、聖輝は両手を合わせて礼を取った。


「お久しぶりです、ラファエロ・ジュリアーニ司教」


 ラファエロと呼ばれた男は、かび臭い本の山に似合わない精悍な顔つきで、三十路に差し掛かった頃合いに見える。高い頬骨が陰影を作り、栗色の短髪はつんつんと天を衝きあげている。彼は立ち上がり破顔した。


「やあ、遠路はるばるよく来たね聖輝君! 立派になったな」


 存外に親しげな男の様子にアミュウは面食らう。聖輝は「司教さまも」と笑って相槌を打ち、気安い雰囲気だ。ラファエロは机をぐるりと回って聖輝の前に進み出る。


「前に会ったのは五年前か十年前か。まだ少年のようだった君が、見違えたよ」


 彼は手を差し出し握手を求め、聖輝もにこやかにラファエロに応じた。


「積もる話をしたいところだが、こんな時期にブリランテへ来るからには、何か特別な用があるんだろうね?」


 ラファエロが本題に入るよう促すと、聖輝は糺の書状を手交した。ラファエロが書面に目を通すのを見守りながら、アミュウはまったく別のことを考えていた。聖輝が少年のよう? 聖輝が各地を巡りはじめたのは八年前だったと、マリー=ルイーズが話していたことを思い出す。ラファエロは、まだ旅に出て間もない聖輝と会ったということだろうか。目の前のラファエロは若く、その頃から司教の職にあったとは考えにくい。ラファエロが要職に就く前からの知り合いだったとすると、ふたりのあいだの親密な雰囲気にもいくらか納得がいく気がする。

 十代の聖輝がどんな様子だったのかアミュウが想像を膨らませているあいだに、ラファエロは書状を読み終えたようだった。彼は「なるほど」と頷き、手紙を丁寧にたたんで懐にしまいこんだ。


「あの御神楽卿がねぇ……『息子を遣わせる。役に立てることがあれば言いつけてほしい』、だそうだ。なんにしても、カリエール法王がブリランテの肩を持ってくださるとは心強い」


 ラファエロの言葉にうなずいた聖輝は、窓の外に目を向けてしみじみと言った。


「この街は美しいですね。もとはロウランド傍系に与えられた土地と聞いていますが、ブリランテ大公はよほど大切にされていたのでしょう」

「だからこそソンブルイユ王家もこの地の支配を狙い続けているというわけだ」


 ラファエロも同調して、窓へと目を向けた。窓側の壁には書架がない。かわりに小さな祭壇と、大陸地図が掲げられていた。アミュウは地図をしげしげと眺める。デウス山脈の源流から流れる二本の川のお陰で、この辺りの地質は肥沃だ。緩やかな弧を描く湾からの漁獲量が豊富と聞く。気候も穏やかで気持ちが良いことも、アミュウは肌で感じていた。ソンブルイユ王家がこの街の実権を握りたいと願っている理由がなんとなく分かる。


「この宝石箱のような街が戦火に呑まれることを、神はお望みにならないはず。御神楽はソンブルイユからの派兵を食い止めるべく手を尽くしてきましたが、ここまで来るともはや開戦は避けられません。このたび法王猊下はブリランテの方々の自由のために惜しみない援助を約束して下さいました。我々も手伝いましょう」


 よどみなく話す聖輝を前に、ラファエロは苦笑いを浮かべた。


「それはありがたい。で、対価になにを望む? 司教の椅子か? よそ者には少しばかり座り心地が悪かろうよ」


 ラファエロの言葉には棘があったが、その笑みにはどうやら皮肉だけではない、生ぬるい何かが混ざっているようだった。聖輝に向けられた得体のしれないその表情をアミュウはそっと観察する。親しい者に見せる冗談のようにも感じられたし、人情味のあらわれでもあるように思われた。弟分の聖輝を戦乱から遠ざけようとしているのだろうか。当の聖輝は、ラファエロの複雑な表情をどう受け止めているのか、飄々として首を横に振っている。


「良い土地だろうと思いますが、ほかにつてがありますので」

「じゃあなんだ? なにを期待している?」


 ラファエロはそこで初めてアミュウを一瞥した。目が合ったのはほんの一瞬だったが、聖輝へ向けるまなざしとの温度差にアミュウはたじろいだ。悪意を感じたわけではない。一見すると愛想がよく人好きのする顔立ちのラファエロが、こんなに冷たい目をすることができるのかと驚いたのだ。値踏みというほどの域にも達しない、例えば道端の看板を見るような、文字や記号といった類のものに向ける無機質なまなざしだった。

 一瞬でかき消えたその冷ややかさに聖輝は気付いていない様子で、ラファエロに畳みかけた。


「実は、人探しをしているんです。放浪の歌姫と赤毛の傭兵に心当たりはありませんか」

「傭兵なら、戦争のにおいに引き寄せられてあちこちから集まっている。彼らの中に、探し人がいるかもしれないな」

「兵士たちと会う機会を頂けますか」


 聖輝が許可を願うと、ラファエロは息を漏らして笑った。


「機会もなにも、ここはもうすぐ戦場になる。じきにその目で見ることになるだろうさ……きみ、少し後ろに下がってくれないか」


 会話の最中で、ラファエロは唐突にアミュウにひらひらと手を振った。その目に先ほどの冷たさは見られない。


「え……こうですか」


 指示されるままに、アミュウは扉近くまで後ずさった。


「そう。そのまま動かないで」


 言うや否や、ラファエロは腰を落としてひと足で聖輝との間合いを詰め、片腕と襟首を引き寄せたかと思うと、次の瞬間、くるりと聖輝を投げ飛ばし床にたたきつけた。アミュウがあっと叫ぶ間もなく背後の扉からばらばらと僧兵が突入してきて、気付けば二人とも組み敷かれていた。


「役に立つだと? 冗談はまともに動けるようになってから言ってくれ」

「どういうおつもりか、ジュリアーニ先生」


 苦悶の呻きとともに聖輝が問いただすと、彼はつい先刻アミュウに向けた冷たい視線を聖輝にも投げかけた。


「言葉どおり、怪我人は足手まといだ。見くびるな。いかにここが最果ての地だろうと、御神楽の御曹司が死に損なったことくらい聞いている。大人しくしていてもらおうか」

「このことが法王猊下に知られたら」

「それどころでないほど、戦時の混乱は極まるだろうよ」


 ラファエロはそう言い放って、僧兵に聖輝を連れて行くよう命じた。彼に抵抗する力がないのは、誰の目にも明らかだった。ラファエロの頬骨は、下から見上げると急峻な崖のようだった。ラファエロの体格は確かに良いが、上背は聖輝の方がずっとある。なのに、彼は易々と背負い投げを決めたのだ。

 僧兵の一人に取り押さえられたまま、アミュウは声を張りあげてラファエロに訊ねた。


「私たちをどうする気ですか」

「手荒な真似をしてすまないね」


 ラファエロは浅いため息をひとつ吐きだして言った。


「きみは、姫将軍の妹君だろう。大事な客人をもてなしたいところだが、見てのとおり事情があってね。許してくれ」


 ラファエロが合図すると、僧兵はアミュウの後ろ手を掴んだまま立ち上がらせて、上階へと連行していった。

挿絵(By みてみん)


遅くなりましたが、2025年が良い年となりますように。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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