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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第八章 軍靴、蒼天に響けば

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8-8.聖堂広場

 翌朝、アミュウが目を覚ましたとき、既に部屋は明るかった。カーテンが開いていたのだ。むくりと上体を起こしたアミュウは、鎧戸を閉め忘れたのだと思い至った。一晩中、鎧戸が開いていたのだろう。このカーテンを開けたのは聖輝なのだろうが、姿が見えなかった。燭台の皿から溶けた蝋があふれ、戸棚の天板にいくつかの点々が冷えて固まっている。ピッチがくちばしでガタガタと鳥かごを内側から揺らす。出してほしいらしい。アミュウは内窓が閉まっているのを確認してから、鳥かごの戸を開けた。


「おはヨー!」


 ピッチがアミュウの手にすり寄ってくる。挨拶を返してから、アミュウはカーテンを閉めて着替えた。すっかり身支度を整えると、空腹がこたえる。ピッチの相手をしていると、部屋の戸をたたく音が聞こえた。


「どうぞ」


 遠慮がちに扉が開き、聖輝が姿を現す。昨日着せられていただぼだぼの上着ではなく、自前のジャケットを羽織っていた。ただ、冴えない帽子はかぶったままだ。


「聖輝さん。傷の具合はどうですか」

「お陰さまで、疲れが取れました。随分と気分が良いです」


 聖輝は荷物を書き物机に置いて、椅子に腰かけた。アミュウが覗き込むと、ふわりと香ばしいにおいが鼻をくすぐる。焼きたてのパンだった。


「食堂よりも落ち着くと思って、厨房からもらってきたんです」

「うれしい!」


 アミュウはスツールを書き物机に寄せて、聖輝と並んで座った。クーデンやヴェレヌタイラのパンは硬く酸味があったが、ブリランテのパンはごくあっさりとした味わいだ。慣れ親しんだ小麦の香りに、気持ちがほっとなごむ。

 アミュウがもりもり食べる一方で、聖輝の食は進まなかった。弁明するかのように、聖輝は紙袋に残りのパンをしまいこむ。神聖術の供物にとっておくのだろう。聖輝の調子が戻らないのは心配だが、無理をおした旅であるのは承知の上だ。アミュウは何も言わずに、机に散らばったパンくずを集めた。ピッチが嬉しそうに寄ってきて、パンくずをついばむ。


「あっ、駄目よ! 体に良くないわ」


 アミュウが慌ててパンくずを片付けると、ピッチは怒って翼を羽ばたかせた。


「りんゴ! りんゴ!」

「林檎がほしいのね。分かった、分かったってば」


 ピッチを宥めているアミュウを見て聖輝はくつくつと笑い、鞄から小ぶりの林檎を取り出した。そのままナイフで皮を剝きながら彼はつぶやく。


「ナタリアさんそっくりですね、さすが姉妹だ」


 聖輝の何気ない一言は、すこし前であればアミュウの胸を抉っただろう。しかし今は、鈍い感傷がよぎるだけだった。聖輝へ寄せる思いの熱が下がったわけではないが、痛みの深さは変わったようだ。聖輝がナタリアを追い求めていることへの理解が、それまで表面的なものにとどまっていたのかもしれない。

 ナタリアが行方をくらまし、深輝から二人の負う業について話を聞いたのが、去年の年末だった。外の景色を眺めれば春爛漫、四月の足音が聞こえている。受け止めるのにかかった時間が長かったのか、短かったのか、アミュウにはよくわからない。長く苦しんだ気もするし、あっという間だったような気もする。


 聖輝は薄くスライスした林檎をピッチへやると、荷物の点検をはじめた。彼の背中に向かってアミュウは訊ねる。


「教会へ向かいます?」

「先延ばしにできる用事ではありませんが、まずはジークを探しましょう。得られる情報は得ておきたい」


 大きな荷物を置いたままピッチを部屋に残し、二人は部屋を出た。聖輝は祭服に着替えていた。今日中に教会へ顔を出すつもりなのだろう。宿を出るときになって、アミュウははじめて自分の泊まったホテルの名前を知った。金属製のプレートには噴水亭アルベルゴ・フォンタナの字が流麗な書体で踊っていた。昨日はまったく余裕がなくて、看板など目に入らなかったのだ。

 一歩外へ出ると、ぽかぽかとうららかな日和だった。春の日差しを受けて、赤い屋根瓦はより鮮やかに輝き、街並みの白壁はいっそう明るい。軒先テントは赤、青、緑と色とりどりで、歩くと自然と心が浮き立ってくるようだ。朝は人出があり、町の人たちの表情には笑顔も見られる。昨日感じたものものしい印象はずいぶんと和らいだ。一方で、赤い襷をかけて武装した市民はちらほらと見られたし、市場の店先の品々は相場よりも随分高く、また品揃えも貧相だった。

 市場を横切れば、買い物客と店主の会話が耳に飛び込んでくる。


「ねぇ、次に生肉が入ってくるのはいつになるんだい?」

「それが奥さん、さっぱりでさぁ。スタインウッドからなかなか入ってこないんだよ」

「やっぱり、王都のやつらが邪魔してるのかね」

「検問でだいぶはじかれてるみたいだからなぁ。まぁ、しばらくはみんなでベーコンをかじろうや」


 町の人々の笑顔は陽気に見えるが、先の見えない不安がはびこっているようだ。露店に並ぶ商品を眺めていると、アミュウの頭に疑問が浮かんだ。


「ロサたちは、馬車に積んできた荷物をどうするのかしら」

「ラ・ブリーズ・ドランジェからの支援物資として教会へ納めるのでしょう」

「ディムーザン卿もしたたかね」


 中央の噴水近くの地図表示によると、ここは聖堂広場ピアッツァ・デル・ドゥオーモというらしい。その名の通り教会のお膝元であるこの広場は、街の心臓部分だ。噴水のしぶきがきらめいて彫刻を華やかに引き立て、広さのわりに寒々しい感じがしない。男神と女神の像は古式ゆかしく調和のとれた彫刻様式で、もとは白かったであろう大理石は、歳月を経て変色している。かなり昔に作られたもののようだ。ロウランド王国時代には大公領だったこのブリランテは、革命の戦火を逃れたために古い建物が残存している。噴水の彫刻も見ものだが、聖堂の外壁を埋め尽くす彫刻もまた見事だった。市場を抜けて聖堂へ目をやれば、朝の光が文様の陰影を深め、写実的な天使や草花のモチーフの合間に悪魔が見え隠れしていた。具象的な造形は、古い時代の作品の特徴だ。


(メイ先生が言ってたっけ。昔は恐ろしい悪魔の姿が、当たり前に造形美術として受け入れられていたって)


 メイ・キテラは、まだ幼いアミュウに古い絵本を見せて悪魔についてあれこれと教えた。アミュウが怖がるとこう言ったものだった。


「恐ろしいからこそ、知っておかなくちゃならないこともあるのさ。絵にして、言葉にしなくちゃ、人はすぐに忘れちまう。昔むかーし、あたしら魔女が受けた、むごい仕打ちをね」


 そのときアミュウは、なぜ恐ろしい過去の出来事を忘れてはいけないのだろうかと不思議に思った。今なら、過酷な歴史を学ぶことの意義は分かっているつもりだが……


(つらい過去を忘れて今を楽しく過ごしてほしい、なんてナターシャに願うのは、勝手なことなのかもしれない)


 ふわふわと一人歩きをはじめた思考は、聖輝に肩を叩かれてぷつりと途切れた。


「裏手に入ってみましょうか」


 聖輝の指す方向を眺めれば、レモネードを売るスタンドの脇に、小ぢんまりとした路地がぽっかりと口を開けている。確かにジークフリートなら、広場に面した高級ホテルよりも、安くて落ち着ける宿を選ぶだろう。ふたりは教会方面から方向を変え、広場のへりを歩いた。


 路地は薄暗く、生活音に満ちていた。崩れそうな簡易バルコニーから洗濯ものと蔦が垂れ下がり、錆びた排気管の吐き出す煙が空をぼんやりと覆っている。道の舗装は途中で終わり、むき出しの地面の隅には苔が生えていた。仕立屋や金物の修理工、代筆屋といった細々とした店がひっそりと肩を寄せ合っているが、こんな場所で客商売が成り立つのだろうかとアミュウは訝った。店は次第に減り、代わりに集合住宅アパルタメントが増えてきた。

 曲がりくねった道を進むと別の方向から伸びてきた路地とぶつかり、丁字路になったところに、小さな宿があった。アミュウたちはさっそく屋内に入り、宿の女将に赤毛の青年が泊まっていないか訊ねた。


「ああ、ずっと前にそんな感じのお兄さんが来たっけね」

「本当ですか!?」


 アミュウはずいと身を乗り出すが、女将はゆっくりと両手を挙げた。


「見てのとおり、うちは小さいからね。満室だって断ったんだ」


 肩を落としたアミュウは礼を述べ、すごすごと宿の玄関扉へ向かった。すると、背後から女将の声が飛んできた。


「もう一軒、海側に宿があるんだ。お兄さんにはそっちを勧めたよ」


 女将の言ったとおりに丁字路をさらに奥へ進むと、潮の香りが強くなってきた。ブリランテ湾が近いのだ。建物の間隔があき、聖堂広場ピアッツァ・デル・ドゥオーモからだいぶ離れたところに、湾岸荘ロカンダ・ゴルフォという宿があった。家庭菜園を備えた素朴な造りの建物だ。観音開きの戸を開けて中に入ると、おいしそうな香りが鼻をくすぐった。一階は食堂になっていて、今は昼の仕込み中らしい。無人のカウンターでベルを鳴らすと、厨房の方から主人がやってきた。アミュウは主人に訊ねた。


「ここに赤毛の青年が泊まっていませんか? ひと月くらい前にブリランテへ来たはずなんですが」

「ああ、いたねぇ。知り合いかい?」


 アミュウは頷き、重ねて訊ねた。


「今はもういないんですか?」

「しばらく前に出ていったよ。噂じゃ、教会と領主邸を行き来してるとか……」


 アミュウと聖輝は顔を見合わせた。ふたりの様子を見て、主人は首を傾げた。


「詳しくは分からないけど、えらい人の護衛をしてるって話だよ」


 アミュウが「護衛」と繰り返すと、聖輝が顎に手を当てて言った。


「ジークらしいですね」


 まだ残っていた空室を、二人はさっそく押さえることにした。手続きを終え、噴水亭アルベルゴ・フォンタナに置いてきた荷物を取ろうと聖堂広場ピアッツァ・デル・ドゥオーモに戻ってくると、とうに昼時を過ぎていた。聖輝の食欲が戻らないので、レモン・スタンドのレモネードとサンドウィッチを買い求め、軽く食事を済ませることにする。噴水のへりに腰かけてサンドウィッチを頬張る二人の姿は、タイミングを間違えた観光客のようだ。物珍しげに、時に白い目を街の人々から向けられたアミュウは、そそくさと食事を終えた。聖輝は周囲の視線をものともせずに、もぐもぐとマイペースに口を動かしている。甘酸っぱいレモネードは、美しい街並みにぴったりだったが、アミュウは一刻も早くその場から離れたかった。


「荷物の回収は後にして、先に教会に行ってみます? 大荷物で行ったら、失礼なんじゃないかしら」


 聖輝を急かそうとアミュウが水を向けてみるが、「そうですねぇ」と間延びした聖輝の生返事はのんびりとしたものだった。結局、アミュウが聖輝を引きずるようにして噴水を離れたのは、それからだいぶ経ったあとだった。

挿絵(By みてみん)


クリスマスを過ぎてしまいました!

今年も一年、お世話になりました。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。

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