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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第八章 軍靴、蒼天に響けば

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8-5.凸凹コンビ

 ヴェレヌタイラまでの道中ずっと御者台にいたロサは、時おり荷台の方を振り返って、籠の中のピッチに話しかけていた。


「ねぇねぇピノ、あなた普段なにを食べてるの?」

「ピッちゃん、りんゴすき!」

「ああ、果物はおいしいわよねぇ。穀類も野菜もバランスよく食べるのよ」


 ピッチへ向けるロサのまなざしの温度をはかりながら、アミュウはぼんやりとラ・ブリーズ・ドランジェでのやりとりを思い出していた。


(ディムーザン卿のお屋敷でも、こんな顔をしてたっけ)


 ピッチ――その頃はピノと呼ばれていた――の足環に、迷子防止のまじないを仕込んだのはロサだという話だった。マリー=ルイーズがピッチに愛情を注いでいるのは一目瞭然だが、きっと、ロサも同じなのだろう。当のピッチは、どんな名前で呼ばれようが気にしていないらしい。

 ソンブルイユ郊外に大猫が現れたときも、ロサはガチョウを手懐けていた。彼女は動物の扱いに長けている。今も、難なく馬を御している。


(動物好きの人に悪い人はいないと言うけれど)


 カルミノは荷台の後方に腕を組み脚を伸ばしてどっかりと座っている。アミュウが自身を棚に上げるならば、狭い場所で小柄な彼がもっとも多くの面積を占領しているのは滑稽だった。聖輝は中央で長い手足を折り畳み、荷物に背を預け眠り込んでいた。

 馬の歩みの向こうに覗く荒野には緑が芽吹き、あちらこちらに野の花が咲いていた。ひと月ほど前には雪に覆われていたのが嘘のようだ。あのときはジークフリートとカードで遊んだ。もしも今、この面子めんつでゲームをやったらどうなるだろうか。カルミノの仏頂面をちらりと見やったアミュウは、自分の空想に身震いした。絶対にやりたくない。


 大型獣に出会うこともなく、こまめな休憩を挟みながら、馬車は日暮れ前にヴェレヌタイラに到着した。海は不思議なほど凪いでいた。薄曇りの黄味がかった日がおだやかな磯波に差しかかり、金色に光っている。台地の下へと目をやれば、瓦礫の合間から萌え出た八重葎やえむぐらの緑が目に快い。紫の彩りはなんだろうかとよく見れば、ハマダイコンがちらほらと咲き始めていた。崖下の崩壊した街並みは少しも変わるところがなかったが、暮れなずんだ空の下、太古の遺跡が風化して自然と一体となった景観のように見えた。牧歌的とも言えるかもしれない。ここにジークフリートがいたらおよそ抱かないだろう印象がじんわりと浮かび上がってきたことに、アミュウは自分がひどく薄情者であるような後ろめたさを感じた。


 幌馬車は、村でただひとつ残る建造物、ホステル・ヴェレヌタイラへと向かう。街道沿いの農家ハーレンハウスは静かだ。宿泊客がいればそろそろ食事の準備時だろうが、煙突から煙は立ちのぼっていない。馬車庫の戸は閉まっているようだ。


「先客はいないようね」


 御者席のロサが荷台に向かって声を張りあげる。後ろ側から外を眺めていたカルミノがつと顔を上げて返事をする。


「幸先がいいな」


 ロサが馬車をホステルの正面へ引き入れると、カルミノが荷台から飛び降りて玄関の戸を叩いた。いくらも待たないうちに宿の主人のベルンハルトが姿を現す。


「いらっしゃい」


 出迎えたベルンハルトはカルミノの頭から足元までさっと目線を下ろしてから、荷物を下ろすアミュウと聖輝へ顔を向けた。カルミノはよれよれの鳥打帽を脱いでベルンハルトに言った。


「四人分のベッドを用意してくれ」

「男女二人ずつだね。車は奥に止めて、馬は裏手の家畜小屋に入れるといい――おおい! 案内を頼む」


 ベルンハルトが土間の奥へ呼びかけると、エプロンを身に着けたウルズラが出てきて、ロサを馬車庫へ誘導した。

 アミュウはベルンハルトに導かれ女部屋に入る。細長い部屋の両側に三段ベッドが並んでいるが、やはりほかに宿泊客はいないようだ。右側の板壁は天井部分が抜けていて、隣の男部屋に繋がっている。実際に行き来ができるほどの隙間ではないが、落ち着けるものではない。道中ずっと御者役を買っていたロサを差し置いて、左側のベッドを使うのは気が引けた。アミュウは右側のベッドの近くに荷物を置き、窓を閉めてピッチを鳥かごから出してやった。

 すぐに隣の部屋からベルンハルトの声が聞こえてきた。


「それじゃ、ごゆっくり。廊下のむこうの食堂は、いつでも使えるよ」

「世話になります」


 聖輝の返事のあと、ドアの閉じる音が聞こえ、ベルンハルトの足音が遠ざかっていった。


「さて、どちらのベッドを使いますか?」

「どっちでも構わん」


 聖輝とカルミノの声が思ったよりもはっきり聞こえたので、アミュウはいたたまれずに声をかけた。


「この部屋の造り、どうにかならないかしらね」

「アミュウさん? 丸聞こえじゃないですか」


 聖輝の驚く声と、カルミノの舌打ちが聞こえたのはほぼ同時だった。再びドアの開け閉めの音がして、廊下の足音が土間の方へと消えていった。ピッチがピョロロと声を上げる。アミュウは女部屋を出て隣の男部屋をノックした。すぐに聖輝が扉を開けると、アミュウは顔をしかめて言った。


「なんですか、あれ?」

「ご機嫌ななめのようですね。これから先が思いやられます」


 聖輝は苦笑いを浮かべて肩をすくめた。聖輝は今晩、彼と二人きりで過ごさなければならない。アミュウにしても、ロサと同室なのだ。胃が痛くなってくる。


 馬の世話を終えたロサが部屋に入ってきても、カルミノは戻ってこなかった。彼を見かけなかったかロサに問うと、彼女はすげなく答えた。


「散歩かなにかよ。気難しい人だから。分かるでしょ」

「まぁ、それは見れば分かる……かしら……」

「お腹が空いたら戻ってくるわよ。ねぇ、ピノ。あなたもお腹空いたんじゃない?」


 言葉を濁すアミュウのほうを見もせずに、ロサはピッチに話しかけた。床をトコトコと歩き回っていたピッチは、目を丸くして言った。


「ピッちゃん、りんゴ。たべたい」

「林檎かぁ……厨房へきいてみるわね」

「りんゴ! おいシー」


 ロサは荷ほどきもそこそこにベッドから立ち上がり、部屋を出ていった。取り残されたアミュウはぼんやりとピッチを眺める。今日いちにちの旅程で一番疲れているのはロサだろうに、甲斐甲斐しくピッチや馬たちの面倒を見る彼女の姿を見て、アミュウは彼女を好ましく思いはじめていた。


「ロサって優しいの?」


 何の気なしに訊ねてみたが、ピッチは嘴で脚を噛んだまま答えなかった。アミュウはベッドの上で膝を抱き、壁に寄り掛かった。板壁の向こうでは、聖輝が聞き耳を立てているだろうか。あるいは、眠っているだろうか。

 ロサは林檎のかけらを片手に戻ってきた。ベルンハルトから食堂へピッチを連れて行く許可を取りつけたとのことだった。どうやら、狭い部屋にうんざりしているらしい。なし崩しでアミュウも食堂へ移動することになった。


 クロスのかかっていない、年季の入ったテーブルでピッチに林檎を食べさせていると、ベルンハルトが二杯のビールとつまみを持ってきた。アミュウがビールを断る間もなく、ロサはジョッキを掲げ、喉を鳴らして飲み始めた。


「ほら、あんたも飲みなさいよ」


 アミュウは誤魔化し笑いを浮かべてビールを一口すすり、つまみに手を伸ばした。プレッツェルにチーズペーストが添えられている。バターの風味の漂うチーズペーストで、刻んだ玉ねぎが練りこまれていた。なかなか美味だ。

 ロサは何を話すわけでもなく、時おりピッチを撫でながらビールをぐいぐい飲む。アミュウがやっと三回目にジョッキに口をつけたとき、ロサはビールを飲み干した。


「なんだか飲んだ気がしないわね」


 口の周りの泡をぬぐいながらロサがつぶやき、アミュウは目を回した。


「流し込んでたわよね……⁉」

「いつもワインを飲んでるから、ビールはなんだか軽すぎる感じがして」


 それからロサは、やれあのワイナリーは甘いとか、どこそこの酒屋は品揃えが良いとか、ソンブルイユやラ・ブリーズ・ドランジェのワイン事情についてひとしきり喋りはじめた。アミュウはまったく話についていけず、ちんぷんかんぷんだったが、ふらりと食堂へやってきた聖輝が途中参戦してからは、ロサのおしゃべりはますます過熱した。ピッチはどこ吹く風で、テーブルや椅子の脚の林の合間をウロウロと歩き回って探検している。

 ロサと聖輝のワイン談義の中身はまったく分からなかったが、アミュウにはロサの饒舌ぶりが意外に思われた。どこか親しみやすさすら感じられる。前にも同じような光景を見ていた気がして、口の周りに泡をつけたまましゃべるロサと、にこやかに相槌を打つ聖輝を眺めた。声はまったく耳に入ってこない。


(なんだろう、このなつかしい感じ)


 今日の聖輝はあまり飲まない。本来ならばまだ休んでいなければならない身体なのだから、当然だ。饗される酒がビールだけでなく、ワインもあればどうだっただろうか。ワインを飲んでも力が出ないと言っていたが、彼は滋養強壮の目的だけでなく、風味を楽しむ目的のためにもワインを飲んでいたはずだ。今、彼はワインを楽しむことができるだろうか。それとも、失ったものを見せつけられるような気がしてしまうだろうか。楽しみがひとつ失われるのは、世界からひとつの色が消えてしまうように味気ないことなのではないかと、アミュウはぼんやりと考える。


 ベルンハルトは早々に給仕を諦めて食堂を出ていった。ふたりきりでホステルを切り盛りしているのだから、忙しいのだろう。ロサは自ら食堂の片隅のビヤ樽へおかわりを注ぎに行った。ベルンハルトがビヤ樽のそばに置いた紙切れに、ロサはおかわりの度に回数を書き付けた。

 ウルズラがアイスバインを運んでくる直前に、カルミノが食堂に入ってきた。彼が席に腰かけようとした瞬間、彼のほうを見もせずにロサが声をかけた。


「飲むなら自分で持って来なさいよ」


 カルミノは舌打ちしながらも、ロサに従って自らビールを調達し、ゆっくりと飲み始めた。次から次へとビールを喉に流していくロサとは対照的に、カルミノはまるで強い蒸留酒を舐めるかのようにビールに口をつける。その慎ましやかな飲み方が普段の不遜な態度とまったくつりあわないのが可笑しくて、アミュウはそっと聖輝に目くばせする。聖輝も意外に感じているようで、ニヤリと笑った。


 アイスバインには潰した芋とザワークラウトが添えられていて、ほろりと崩れるほどじっくり煮込まれた肉が美味だった。料理が運ばれて腹が満たされてくると、重かったカルミノの口はゆるゆるとほどかれていった。


「この辺りの料理はどうにも大ざっぱだな」


 カルミノの発言は、ジークフリートが聞いたら激怒しそうなものだった。アミュウが呆気に取られている間に、ロサが言った。


「なら食べるのをおよし」


 カルミノはギロリとロサを睨みつけたが、ロサはどこ吹く風だ。アミュウはカルミノがまた臍を曲げるのではないかと冷や冷やしたが、彼は黙って料理を口に運び続けた。


「そういえば、ふたりとも名前の響きがブリランテ風ですよね。あちらの出身なんですか?」


 聖輝がカルミノに投げかけた質問はやや唐突だったが、硬くなりかけた場の雰囲気がふっと緩むのをアミュウは感じた。


「いや、俺はロウランドの出だ。ブリランテ出身なのはこっちだよ」


 カルミノが隣のロサに目線を流すと、今度はロサがあからさまに不満げな顔をした。


「よしてよ。思い出したくもない」

「久々の里帰りだろう。こんな事態でなければゆっくりできたものを」

「やめてってば!」


 ロサは雷のように鋭い声をあげて立ち上がり、憤然として食堂を出て行ってしまった。

 アミュウは二人の感情の起伏の激しさに呆然としていた。聖輝が「触れてはいけない話題でしたね」と弁明する。


「あいつ自身の問題だ。気にするな」


 カルミノは何事もなかったかのように、ゆったりと芋を咀嚼していた。どちらか一方が激昂すると、もう片方が自然と落ち着く。不安定なようで、不思議とバランスの取れた二人組だ。

 ロサがいなくなってしまうと、途端に静かになってしまった。ピッチはいつの間にかアミュウの膝の上で眠っていた。アミュウは思い切ってカルミノに訊ねてみた。


「ロサが私のことをペテン師って呼ぶのには、なにかわけがあるのかしら」

「そんなこと、俺に訊いてどうするんだ。本人に訊け」


 にべもなく答えると、カルミノはビールを啜った。アミュウがそれ以上何も言えずにいると、カルミノは今度は聖輝に向かって言った。


「良い親御さんじゃないか、え?」

「なんの話ですか、いきなり」


 聖輝が面食らうと、カルミノは皮肉気にわずかに口の端を持ち上げた。彼が笑うのは珍しい。


「息子を心配して、わざわざ主公様に声をかけたのだろう。目が高い」


 聖輝は噴きだした。


「大層な自信ですね」

「いや、俺たちの腕が立つという点も事実だが、御神楽卿がドゥ・ディムーザン卿を選んだのを、見る目があると言っているんだ」


 聖輝は椅子に座りなおし、脚を組み替えて「なるほど」と言った。


「確かに父には先見の明があるでしょう。でも、良い父親だということについては、どうでしょうかね……」

「ふぅん」


 カルミノは頬杖をついて目をすがめ、正面の聖輝をじっと見た。彼の顔には浅いがしっかりとした皺が刻まれている。正確な年齢を聞いたことはないが、きっと四十半ばだろう。彼はたっぷり聖輝の顔を見分してからふと目をそらして言った。


「親子関係は色々だ。親の心子知らずと言うが、親の側だって子の心を分かっていないことはざらだろう。難しいな」


 アミュウは拍子抜けした。カルミノが聖輝に対してささやかな思いやりを示したように見えたのだ。

 アミュウは、彼らのことを何も知らない。無論、森の小屋を焼かれたことはアミュウの胸に熱くくすぶり続けている。しかし、フォブールに現れた大猫の行く手をロサとともに阻んだときから、彼女が極悪非道の輩であるとは言い切れないと感じ始めていた。カルミノにしても、一度はナタリアが頼った人物で、気難しくはあるが、本人の言う通り、腕は確かだ。ディムーザン卿の雇った傭兵であるカルミノに、私設魔術師のロサ。到底堅気とは言えないふたりが何を考えているのか、道中少しでも理解することができるだろうか。


 酒豪のロサを欠いた晩餐は、そのまま尻すぼみになった。カルミノはエスプレッソが飲みたいとぼやきながら、食堂を出ていった。聖輝も早く休むべきだが、カルミノと時間をずらしたいようだった。アミュウも、ふてくされたロサのいる部屋に戻るのは気づまりだ。


「ちょっとだけ、おもてに出ませんか」

「冷えませんかね」


 アミュウが提案すると聖輝は渋ったが、言葉とは裏腹にほっとしたような表情を見せた。アミュウは聖輝を引っ張るようにして、土間の玄関扉からホステルの外へ出た。

2024年7月27日に、「月下のアトリエ」は20万PVに到達しました。

読んで下さる皆様に、心から感謝申し上げます。


挿絵(By みてみん)

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