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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第八章 軍靴、蒼天に響けば

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8-3.ビスキュイを召し上がれ

 その日の夜、糺は珍しく早めに帰宅した。姉弟は父親に何やら話をしていたようだが、すべて糺の私室内で行われたので、アミュウがその内容を知ったのは、翌日になってからだった。

 糺は聖輝のブリランテ行きを許した。出発するなら早期が望ましいという聖輝の意見に賛成しているそうだ。ブリランテ教会に宛てた書状をしたためるので、準備が整い次第すぐに向かうようにと指示したらしい。


「まったく、息子の体をなんだと思ってるんだか」


 朝食のあとで深輝がこぼした愚痴に、アミュウはどう反応したらいいか困った。


「糺さんって、自分に対しても他人に対してもすごくストイックな方ですよね」

「言葉を選んでくれてありがとう。身内としてはつらいわよ」


 アミュウは黙ってうなずいた。聖輝が出ていけば、深輝はこの屋敷に糺とともに残されるのだ。八栄もヒコジもいるが、出産を控えた身であの父親と暮らすのは相当なプレッシャーだろう。

 膨らんだ腹が苦しいのか、深輝はふうっと息を吐いてから立ち上がった。居間を出ようとしたところで振り返り、アミュウに訊ねる。


「今日はこのあとどうするの?」

「街へ下りて旅の支度をします。駅馬車も予約しなくちゃ」

「そう。気を付けてね」


 自室へと戻る深輝の背中を見送ってから、アミュウは座布団を片付けると、昨夜のうちに書いておいた二通の手紙を持って屋敷を出た。セドリックとマリー=ルイーズにそれぞれ宛てたもので、ナタリアとピッチが見つかったこと、そしてブリランテへ向かうことを知らせる文面だった。

 ピネードの山を下りたアミュウは、まず馬車鉄道でフォブールへ向かった。街門手前のブールヴァールを彩る桜並木は五分咲きで、軽装で行き交う人々は春の訪れに浮足立ち、街は華やいでいた。街門を抜ければ、駅前広場プラス・ドゥ・ラ・ガールの市場の喧噪がすぐそこまで伝わってくる。アミュウは駅馬車を押さえようと事務所へ向かったが、あいにく定休のようだった。無駄に入市税を納める羽目となり、踏んだり蹴ったりだ。


 次にアミュウは中央広場に向かい、郵便局に手紙を差し出した。そのあとで足を運んだのは、アルフォンスの工房だった。ブールヴァールから路地に入り、石壁に据えられた鋼の階段を上ったが、三階建ての家の窓はどれも鎧戸が閉まっていた。扉を叩くまでもなく、留守は明らかだ。

 師に会えるとは期待していなかったが、それでもアミュウは落胆した。ジークフリートとともにアルフォンスを訪ねたのはひと月前のことだ。出不精なアルフォンスがこれほど長く家を空けるのは珍しい。輪郭の曖昧な不安がアミュウの胸に広がるが、アミュウは来た道を引き返し、旅に必要な買い出しを済ませ、御神楽邸に戻った。




 翌日、取り損ねた駅馬車の予約のために再びアミュウが街へ下りる支度をしていると、扉を叩く音が来客を告げた。八栄が玄関へ向かう。何とはなしに聞き耳を立てていると、八栄がぱたぱたと舞い戻ってきた。


「若様とアミュウさんにお客様がお見えですが――」

「私?」


 寝耳に水のアミュウは間抜けな声を上げた。八栄はすっかり困った様子だ。


「あのご容体の若様にお取次ぎしてよいものでしょうか。すみませんが、代わりにお話を聞いてもらえませんか」

「ええっと……ええ、もちろん行きます。けど、私に分かる話かしら……」


 八栄に促されるままに廊下を進み、玄関へやってきたアミュウは今度こそひっくり返りそうになった。春のやわらかな逆光の中、戸口に立っていたのは小男と大女の二人組、ロサとカルミノだった。カルミノは相変わらず揃いの黒ずくめに身を包み、同じく飾り気のない黒のドレスを着たロサと並ぶと異様だ。


「ちょっと、また来たの⁉ あんたたち!」

「おい、若造を呼べ。寝ている場合じゃないとな」


 噛みつきそうなアミュウの剣幕を無視して、カルミノが言った。隣のロサがいそいそと紙袋を差し出す。


「はい、これ。今日持ってきたのはラガルド通りのビスキュイで、門前町の梅のコンフィチュールをサンドした――」

「待ってよ、いきなりお菓子を勧めないで⁉ 確かにこの前のババロアはおいしかったけど」


 アミュウが目を白黒させて固辞していると、カルミノとロサの後ろから落ち着いたアルトの声が響いた。


「そのお菓子を選んだのはわたくしですの」


 半身をひねったカルミノとロサの奥から、楚々としたマリー=ルイーズが進み出た。呆気にとられたアミュウの目の前で、彼女は桜色の唇をふんわりと持ち上げた。


「お久しぶりです、アミュウさん。いつも突然来てしまってごめんなさい」


 アミュウは困惑した。彼女たちが御神楽邸へ直接乗り込んでくるのは、決まって悪い報せがあるときだった。まさか、昨日差し出した手紙がもうマリー=ルイーズに届いたわけでもあるまい。王都内の郵便であっても、相手の元に届くのに数日はかかる。ましてラ・ブリーズ・ドランジェとなるともっと日数がかかるはずだ。かぶりを振ってアミュウは答えた。


「聖輝さんは退院したばかりで、まだ休まなくてはならないんです。お話なら私が聞くわ」

「これからブリランテへ行くというのに、とんだ寝ぼすけだな」


 冷たく言い放ったのはカルミノだった。すかさずマリー=ルイーズが彼をたしなめる。


「礼を欠いた言葉はおよしなさい」


 彼女はアミュウに向き直って詫びた。


「いつもこのような態度で申し訳ございません。この前も、聖輝様がお休みのところを邪魔してしまいましたわね。もちろん無理にとは申しませんが、急ぎお伝えしたいことがございまして――」

「起きていますよ。今日は最初からお話を聞きましょう」


 廊下の奥から聖輝がぬっと現れた。墨染めの着流し姿はやや乱れていて、今の今まで寝ていたらしい。マリー=ルイーズは慌ててドレスを摘まみ上げて礼を取った。


「ごきげんよう、聖輝様。いきなり押しかけてしまった失礼をお許しください。お加減はいかがでしょうか」

「悪くありませんよ。月に召されるには早かったようですね」


 飄々と答える聖輝を見て、マリー=ルイーズは胸を撫でおろした。聖輝はカルミノに鋭い視線を投げた。


「ところで、私たちがブリランテへ行くことを知っているとは、おおかた父の差し金でしょう? マリー嬢。御父君は、あなたがここに来ることをご存じなのですか」

「はい」


 マリー=ルイーズは神妙に頷いた。聖輝は三人を客間へ通した。

二〇二三年九月十三日、「月下のアトリエ」は連載五周年を迎えました。

長い長い連載を、ここまで読んでくださりありがとうございます。

五周年を迎えるにあたり、素敵なイラストを頂戴しましたので、ご紹介するとともに、改めて御礼申し上げます。



挿絵(By みてみん)


↑ 加純様に、アミュウを描いていただきました。

月明りの中でほほ笑むアミュウ、なんて神々しい……!

ふんわりと広がる髪、手に持つお花も繊細で素敵です。

加純様、ありがとうございました。




挿絵(By みてみん)


↑ ティルダ様にアミュウを描いて頂きました。

結界を張るアミュウの気迫がすさまじいです。

光と影のコントラスト、反射で輝く瞳、強く訴えかけてきます。

ティルダ様、ありがとうございました。




挿絵(By みてみん)


↑ 志茂塚画。

アミュウたちをお見守りくださりありがとうございます!

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Copyright(C)2018-志茂塚ゆり
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