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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第八章 軍靴、蒼天に響けば

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8-2.魂を削って

 施療院入院中の聖輝に、クーデンでアモローソに会ったことは既に話していたが、アミュウはその場にいた深輝への説明も兼ねて、かいつまんで話した。


「ジークはナターシャを追ってブリランテへ向かいました。半月以上も経つから、もうナターシャを見つけているかも」

「先にジークくんがお姉さんを探してくれているのね。うまく合流できればいいわね」


 深輝の相槌に、アミュウは顔をくもらせた。布団に横たわる聖輝はじっと耳を傾けていたが、ふっと息をもらした。


「それはないよ、深輝姉。ジークは僕とは会わないだろう」


 深輝が「え?」と首をかしげると、聖輝は低い声で続けた。


「単独行動はたぶん正解だよ。僕がいると王女が逃げる。あいつは僕にできないことをやってくれたんだ」


 梁を見つめる聖輝の目は遠く、ぼんやりと細く、まぶしいものでも見ているかのようだった。アミュウは聖輝に共感した。ジークフリートのうちでまっすぐに燃える炎は、アミュウの目にもまぶしい。そばにいると、温かいのだ。

 アミュウは傍らのピッチを撫でて言った。


「だいじょうぶ、ジークがきっとナターシャの心を開いてくれます」


 聖輝はアミュウに向けて目を細めてから、すぐに真顔に戻った。


「そうは言っても、すべて任せたままというわけにはいきません。私もブリランテへ行きます。あそこはもうすぐ戦争が始まる。本格的に封鎖してしまう前に、町に入っておかなければ」

「正気? その身体で?」


 深輝の眉間に皺が寄る。弟をギロリと睨みつけるが、聖輝は姉の非難をものともせずに淡々と答えた。


「動くなら、今のうちなんだよ。身体を休めるだけならどこだって同じだ」

「そうは言っても……」


 深輝は援護を求めるようにアミュウを見た。アミュウはピッチを撫でていた手を自らの膝の上に戻し、握りこぶしを作った。少し前のアミュウなら、深輝と一緒になって聖輝を止めただろう。聖輝と出会った頃、風邪で寝込んだオリバーがいつまでも起きあがってこないのを、アミュウが甘やかしたように。病人をゆっくりと休ませるのは当然だと信じて疑わなかったアミュウは、あの時、オリバーを平手打ちした聖輝に対して反発した。自分の信条を否定されたように感じたのだ。だが、今は違う。オリバーに対して聖輝のしでかしたことは突飛ではあったが、ひとつの現実的な方法であるということを理解していた。そういう手段をとらなければならない場合もあり、それが今なのだ。


「もちろん、私も行きます。聖輝さんの面倒は私がみるから、深輝さんは心配しないでください」


 深輝は目を丸くした。驚いたのは聖輝も同じようで、息を飲む音が聞こえてきたが、それはやがてため息となった。


「ありがとうございます、アミュウさん。ですが、先に話しておかなければ……私は、聖霊の申し子としての力の大部分を失いました」


 聖輝の言葉はアミュウにはピンとこなかったが、深輝は立て続けに驚いたようだった。


「……それ、どういうこと?」


 深輝は両手を畳について身を乗り出した。兵児帯へこおびの下のせり出した腹が重たげに垂れさがる。聖輝は痛みに顔をしかめながら上体を起こして座位をとり、姉ではなくアミュウを正面から見据えて言った。


「今回の怪我で、私は多くの血を失い、輸血を受けました。そのため、聖霊の力を帯びた血が薄まったようです。いえ、恐らく、あの巨大蛇に咬まれた時点で、血の汚染が始まったのだと思います。あの頃から、ワインを飲んでも力が出ません」

「ますます危ないじゃないの! ぜったい駄目、そんな状態でわざわざ戦争になる場所へ行くなんて。死ぬわよ」


 青ざめた深輝が聖輝の肩を揺さぶろうとして両手を伸ばしたので、アミュウは慌てて止めた。深輝は我に返り、身を引いて座布団の上に座り直したが、その身体は震えていた。傷のある聖輝よりも、アミュウはむしろ身重の深輝の方を心配した。


「いったん休みましょう。みんな疲れているわ」

「時間がありません。一刻も早く国産みを果たすためにも、今、話しておかないと」


 前にかしいだ姿勢で座る聖輝は、言葉を続けた。


「力は弱くなったが、無くなったわけではありません。血は汚されても、この肉体と、御神楽の魂が残っています」


 聖輝の目は真剣そのもので、普段の余裕はどこにも見当たらない。訴えかけるような目に射ぬかれて、アミュウはしばらく言葉を失った。隣の深輝も同じく呆然としていた。ピッチだけが体を前後に揺らしていて、大きな声をあげた。


「だいジョーブ?」

「……大丈夫よ」


 アミュウが手のひらを差し出すと、ピッチはすり寄って頭をこすりつけてきた。そのぬくもりを手に確かめているうちに、アミュウの心はだんだんと落ち着いていった。平常心を取り戻すと、その胸のうちにあるのは覚悟なのだと確かめることができた。アミュウは静かに言った。


「聖輝さんがそのつもりなら、私が聖輝さんを守ります」

「その気持ちはありがたいけど、その……どうやって」


 言いにくそうに口ごもる深輝に、アミュウは迷いなく答えた。


「私に戦う力はないけど、結界を張ることならできます。それに、いざとなったら空間を飛んで逃げることだってできます」


 深輝の顔色がさっと変わり、咎めるように弟を見たが、聖輝は動じなかった。


「以前、彼女たちを助けるのに、やむなく空間転移を行ったんだ。アミュウさんにはもともと素質があったようで、見よう見まねで会得した。御神楽の秘術をね」

「まさか……信じられない」


 深輝は額に手を当てた。その仕草は弟そっくりで、アミュウは胸が詰まった。


「国産みの使命のために魂を削るのが、聖霊の申し子や運命の女だなんて。なら、ほかの誰かがふたりを守るべきだわ。革命時代にソンブルイユ将軍が、軍都ウセの奥に御神楽家をかくまったみたいに。ジークはそのことを分かっていたんだと思う。だからナターシャを探しに行ったのよ」


 話しているうちにアミュウの胸に、ある疑問がわいてきた。魂を削るとはどういうことなのか。牧師たちは、魂は不滅であると教えているが、果たして削れてしまうものなのだろうか。もしもすり減り削れてしまう性質のものだとして、それなら、削れて粉になった魂はどこへ行くのだろうか。


 窓の外を眺めれば、痩せた下弦の月が昼前の空に浮かんでいる。頼りない乳白色の月を、アミュウはぼんやりと眺めていた。

 もの思いにふけるアミュウと、アミュウの手の中におさまるピッチとを、深輝は交互に見比べていたが、やがて重そうな口を開いて訊ねた。


「ねぇ、ピッちゃんって生まれてどれくらい経つのかしら?」


 唐突な質問にアミュウは面食らいながらも答えた。


「えっと……イアン君と同じだから……十一歳だと思います」

「そう……」


 深輝はしばらく顎に手を当てて考え込んでから、アミュウに言った。


「悪いけど、少し外してもらえないかしら。聖輝と二人で話したいの」


 聖輝は何か言おうとしたが、深輝が手ぶりでとどめた。目と目を見交わして何やら頷きあう姉弟のあいだに割り込む隙はなかった。アミュウが腰を浮かせると、聖輝が小さく頭を下げた。


「ありがとうございます。不甲斐ない自分で、申し訳ありません」


 聖輝が普段よりも小さく見えた。アミュウはピッチを腕に乗せ、「無理しないでくださいね」とだけ言って聖輝の部屋を退出した。





 昼食の時間になっても、姉弟は部屋から出てこなかった。八栄が二人分の食事を持って行き、アミュウとヒコジは居間で茶漬けを用意した。八栄が戻ってきたとき、アミュウは彼女に訊ねた。


「どんな様子でしたか」

「随分と深刻そうでした。何のお話かさっぱり分かりませんでしたが」


 八栄は沈鬱なため息をついた。


「退院早々、若様が無理をなさらなければいいのですが。お嬢様も、お腹のお子様も心配です」


 アミュウは頷き、八栄の飯に温かい茶を注いだ。八栄は礼を述べると、ふうふう息を吹きかけながら茶漬けをかき込んだ。アミュウとヒコジも黙々と茶漬けを腹におさめた。




 暮れなずむ頃になってようやく、廊下に深輝が出てくる気配を感じた。アミュウのあてがわれた部屋の前を深輝が通りすぎていき、足音が聞こえなくなるのを待ってから、アミュウはするりと部屋を抜け出した。聖輝の部屋の前まで行き、小声で呼びかけてみた。


「……アミュウさん?」


 閉ざされたふすまの向こうから返ってきた聖輝の声は湿っていて、アミュウは驚いた。思わずふすまへと問いかける。


「大丈夫ですか?」


 ややあってから聖輝は答えた。


「大丈夫ですよ。心配をかけてしまってすみません。少し休むことにしますね」


 くぐもった声は時折裏返りそうに頼りなく震えていた。アミュウは引手に手をかけようとして、すんでのところで止まった。今すぐに聖輝の顔を確認したかったが、聖輝はそれを望まないだろう。


(この戸を開けてはいけない)


 思いとどまったアミュウはできるだけ穏やかに「お大事に」とだけ言って、その場を離れた。聖輝が泣いているらしいということが、アミュウには大きな衝撃だった。いつも飄々としていて、皮肉屋で、余裕のある態度をとっていた聖輝が、その背中に隠していた荷物の重さを、アミュウは知ることができない。肩代わりはおろか、手伝うことすらできないのだ。彼のそばにいるということは、その無力さを思い知ることでもある。聖輝の使命に関して、アミュウにできることは何もない。


 表へ出たアミュウは、段丘からソンブルイユの市街地を見下ろした。刻々と色を変えていく空の下、灰色の街並みにはひとつ、またひとつと灯火がともっていく。先刻深輝に宣言した言葉を思い返しながら、アミュウは改めて心を決めた。国産みについて何もできないのなら、せめて聖輝が自由に動けるよう、彼を守ってやるのが自分の役割だ。恐らく、ジークフリートも、アモローソに対して同じ気持ちでいるのではないか。

 春の夕暮れはまだまだ冷える。二の腕を抱きながら、アミュウは暮れていく王都をいつまでも眺めていた。

挿絵(By みてみん)


↑長岡更紗様よりメッセージ付きのアミュウのイラストを頂戴しました。

柔らかなほほ笑みがとってもアミュウらしくて素敵です。

ありがとうございました!




挿絵(By みてみん)


↑貴様二太郎様よりメッセージ付きのアミュウのイラストを頂戴しました。

縁切りのまじないの場面ですね!

ありがとうございました。



挿絵(By みてみん)


↑ティルダ様から誕生日プレゼントとしてジークのイラストを頂戴しました。

優しい笑顔がオアシスのようです。

ありがとうございました。




最近に頂戴したイラストをご紹介させていただきましたが、ほか、月下のアトリエ五周年のお祝いイラストや、イラスト交換企画など、多数のイラストを描いていただいております。

連載進行とともに、ゆっくりとご紹介させていただきますね。

いつもありがとうございます。

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