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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第七章 赤い糸のつむぎ歌

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7-29.結ぶ絆、そして別れ【挿絵】

 参列者たちは新郎新婦を取り囲み、ワンズを滅茶苦茶に振りながら、それぞれに祝いの言葉を投げかけていた。色とりどりのリボンが渦を巻き、たいそう華やかだった。工場の仲間が多いのだろう。アミュウとジークフリートはその輪には入れずに、少し離れたところから見守っていた。


「みなさん、新郎新婦をお見送りください」


 司会役の修道士が声を張り上げると、参列者たちは参道の両脇に分かり、新郎新婦のための道を作った。そしてまた滅茶苦茶にワンドを降る。


「おめでとう!」

「おしあわせに!」


 祝福のリボンシャワーを浴びてゆっくりと歩くギュンターとフリーデリケは、晴れた日差しのスポットライトを浴びて、そこだけ錦のように輝いていた。二人は時折顔を見合わせて、この上ない笑顔でわらい合った。完璧な幸福がそこにあった。

 教会の目の前には、無蓋の馬車が停車していた。二人はあれに乗って製糸工場まで行くのだろう。馬車の後部にも、色とりどりのリボンが結わえ付けてあった。教会の前の通りを行く人々も、新郎新婦に拍手を送って祝福している。

 アミュウたちは端のほうでワンドを振っていたが、フリーデリケはアミュウたちがいるのに気付いたようだった。


「アミュウさん、ジークさん! 来てくれたんですね!」

「お二人とも、どうぞ幸せにね」


 アミュウが笑顔を返すと、フリーデリケはそばかすが顔中にはじけ飛ぶような笑顔を見せた。


「そうだ! あの馬車の中にね、おばあちゃんへのプレゼントが入ってるんです。持ってこなくちゃ」


 そう言ってフリーデリケはギュンターの腕をほどき、持っていたブーケをアミュウに託すと、ドレス姿のまま馬車へと走った。そのお転婆ぶりに、参列者たちからあたたかな笑い声が湧き上がる。フリーデリケはすぐに戻ってきた。赤いチョッキを胸に抱えて辺りを見回し、誰にともなく訊ねた。


「……おばあちゃんは?」




 聖堂のドアが開かれた。母親に付き添われたフリーデリケは、身廊を走り抜ける。つい先ほど、父親と歩いたバージンロードは、結婚式の魔法が解けてすっかり普段通りの教会に戻っていた。

 ヒルデガルドは、最前列の親族席に今も座っていた。太陽の動きにともなって、今はステンドグラスの七色の光はヒルデガルドの肩にかかったショールを照らしていた。


「おばあちゃん! 大丈夫⁉」


 フリーデリケはヒルデガルドの前に回った。ヒルデガルドは穏やかに眠っていた。フリーデリケがほっと胸をなでおろすと、母親がフリーデリケの肩を抱いた。


「おばあちゃん、疲れちゃったんだって。今は寝かせてあげて、起きたときにプレゼントを渡してあげましょう」

「そうね」

「おばあちゃんには私がついていてあげるから、あなたは新居へ向かいなさい」


 母親がフリーデリケに言い置いたところで、遅れてやってきたアミュウもヒルデガルドの表情を見た。膝の上に重ねられた手を丁寧に取り、脈をはかった。手が重なっていた部分にほんのりとぬくもりがのこっていたが、脈動はなかった。

 すぐさまジークフリートに、牧師を呼んでもらうよう頼んだ。何が起きたか分からず混乱するフリーデリケを、母親が抱きしめる。慌てたギュンターが聖堂に入ってきた。ギュンターも、母親もろともフリーデリケを抱きしめた。


「おばあちゃん! どうして⁉ どうしてこんな急に⁉ これからいっぱい恩返ししたかったのに、どうしてこんな時にいなくなっちゃうの……⁉」


 二人を引きはがしたフリーデリケは、ヒルデガルドの膝にとびついた。彼女をどうすることもできずに、ギュンターはフリーデリケの頭を、母親は背中をさすっていた。


 やがてカタリーナがやってきた。典礼用の赤いガウンはもう脱いでいた。カタリーナはヒルデガルドの胸に手を当て、「月の御神のもとへ迷いなくのぼれるよう、お導きを」とだけ言った。フリーデリケの泣き声が一層大きくなった。


 アミュウとジークフリートは、彼女たちの輪から少し離れたところで様子を見守っていた。こうなるかもしれないということは予想していた。むしろ、ヒルデガルドは式当日までよく粘っていたとみるべきだろう。だが、婚礼の直後に亡くなってしまう様子を目の当たりにすると、アミュウの胸は痛んだ。この若い新婦は、これからずっと、結婚記念日と最愛の祖母の命日を同時に迎えることになるのだ。

 アミュウの肩に手が置かれた。隣を見上げると、ジークフリートがこちらを見ていた。


「お前、やっぱすげえや。あのばあさんの最期の願いをきっちり叶えたんだな」


 アミュウはヒルデガルドを取り囲む一群を見た。


「笑って……笑って、フリーデリケ」


 ギュンターが優しくフリーデリケを諭している。フリーデリケはしゃくり上げていたが、嗚咽はどうにかこらえている様子だった。


「ヒルデガルドさんは、どうしても君の花嫁姿が見たかったんだ。君の笑顔を守るために頑張っていたんだよ。だから笑ってあげて。ね?」

「うう……うん」


 フリーデリケはまだひっくひっくとしゃくり上げていたが、ヒルデガルドの膝から離れ、ぎこちなく笑ってみせた。


 濡れて輝く睫毛に縁取られた目は赤く腫れあがっていた。その目を細め、そばかすの頬をきゅっと持ち上げるように口角を上げたフリーデリケの笑顔は、幼い少女のようだった。きっとフリーデリケがまだ小さなころには、泣きわめいたあと、祖母にこんな笑顔を見せたこともあったのだろう。

 そしてフリーデリケはギュンターと母親の手を借りながら、晴れ着姿の祖母の体に赤い絹のチョッキを着せた。絹はステンドグラスの光を柔らかく反射して、不思議な色に照り輝いていた。




 ヒルデガルドの葬儀の手配は両親が引き受けた。ギュンターとフリーデリケは、二人乗りの婚礼用の馬車を引き払い、ごく普通の四人乗り馬車を呼びつけた。


「アミュウさんとジークさんもぜひ乗って下さい」


 フリーデリケが馬車に乗り込むのを手伝いながら、ギュンターはアミュウたちを誘った。工場へ行くのだろうか。アミュウが訊ねると、ギュンターは「ゼーレ川まで行きます」と答えた。アミュウとジークフリートは、それ以上は訊ねずに、馬車に乗り込んだ。

 馬車はゆるりと動き出す。

 馬車の中で、ギュンターはフリーデリケに病封じの願掛けについてすべて話した。フリーデリケは何度も目に涙を浮かべた。


「教えてくれたらよかったのに……」

「話したら、結婚式が延期になってしまうだろう? ヒルデガルドさんは、君が笑顔で花嫁になるところを見たかったんだよ」

「だからって、急よ……ううん、私が思っていたよりもずっと悪かったのね。私、なんて鈍感なんだろ……」


 婚礼用の白いレースのハンカチーフは既にずぶぬれだった。アミュウがハンカチを貸そうとするより早く、ギュンターが自分のハンカチでフリーデリケの涙を拭った。


「君の笑顔は、君が思っているよりも大きな力があるんだよ。君が笑っていてくれたから、ヒルデガルドさんは今日まで元気に頑張ってこられたんじゃないかな」




 馬車は絹の道(ザイデン・ストラ―セ)を通って町の南の外れまで行き、古びた扉が備えつけられているだけの通用門を通って街の外に出た。婚礼衣装姿の二人を見た衛兵が「おめでとう!」と声をかけた。フリーデリケは泣きすぎて嗄れてきた声で「ありがとう」と応じた。

 街を出てすぐは小規模の菜園が多かったが、少し離れると広大な綿花畑が広がる。灌木は今は葉を全て落とし、なんとも寂しい有様だったが、よく目を凝らして見てみると、枝のそこここに新芽が芽吹いていた。


 馬車は、シュナイダー製糸工場が水を引いているという水路沿いの道をくねくねと行く。そしていくらも経たないうちにゼーレ川本流へたどり着いた。川岸に馬車を待たせて、アミュウたちは河原へ降りた。丸い石のごろごろと転がる河原は白く、日の光にきらめいている。花崗岩かこうがんだ。


 ギュンターは靴と靴下を脱いで二月最後の冷たいせせらぎの中へ入っていった。そして、この七日間に集めた七つの石英を川の水の中にぼとぼとと落とした。ギュンターはしばらく足元を見ていたが、彼の目に石英の小石が見分けられていたのか、アミュウには分からなかった。

 フリーデリケも靴を脱ぎ、靴下留めから靴下を外して放り投げた。靴下はひらひらと散らばる。フリーデリケは靴下留めをぶらぶらさせたまま、ギュンターの近くまで川を進んで行った。彼女は膝丈の婚礼衣装の裾を濡らしてしゃがみ込み、適当な川底の石を拾い上げると、ひゅっと横ざまに投げて水切りをした。石は水面を一回だけ跳ねて、流れに沈んでいった。

 ギュンターも川底から石を拾い上げて、水切りをした。石はやはり、一回だけ跳ねて沈んだ。


挿絵(By みてみん)


 ふたりは何度も水切りを繰り返した。石の跳ねる回数は徐々に増えていった。

 フリーデリケが石を三回跳ねさせることに成功すると、突然彼女は空を仰いで泣き出した。殆ど絶叫に近いような、大泣きだった。ギュンターはフリーデリケの肩を抱いて、ゆっくりと川岸へ連れてきた。乾いた河原の石の上に、彼らの足音が濡れて濃く浮き出る。アミュウは飛んで行って、ハンカチを貸した。フリーデリケはわんわん泣いたままハンカチを受け取ると、しゃがみこんでまずギュンターの足を拭きあげてから、自分の足を拭いた。二人の脚は冷たい水にさらされて、赤を通り越して紫色になっていた。


 アミュウとジークフリートは、ギュンターと協力してフリーデリケを馬車に乗せ、来た道を戻っていった。ギュンター製糸工場に着く頃には、フリーデリケは泣きつかれて眠っていた。もうじき昼を迎えるかという頃だった。

 馬車を降りるとき、ギュンターはジークフリートの手を借りて、フリーデリケをおぶさって降りた。


「お世話になりました。あの歌姫が早く見つかるよう、祈っています」


 ギュンターはアミュウとジークフリートにしっかりと目を合わせて礼を述べた。


「あんた、良い旦那になれるぜ」


 ジークフリートは目を細めて言うと、ギュンターは恥ずかしそうに言った。


「まだまだこれからです。すぐに葬儀があって、これから工場も忙しくなってきますし……」


 葬儀という言葉が出たところで、アミュウは身じろぎした。ギュンターはその仕草を見逃さなかった。


「お二人は、葬儀にはいらっしゃいませんよね。分かっています。お忙しい中、本当にありがとうございました」

「あの……これを」


 アミュウは用意していたマーガレットの花束を差し出した。渡せるタイミングが見つからなかったのだ。


「ギュンターさんとフリーデリケさんのために用意したお花ですが、ヒルデガルドさんの墓前に供えていただけますか」

「わかりました」


 ギュンターたちの帰りに気付いた工員たちが、一人、二人と工場から出てこちらに駆けてきた。彼らに花束と、フリーデリケの靴を渡すと、アミュウたちは別れの挨拶をして、シュナイダー製糸工場を後にした。

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