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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第七章 赤い糸のつむぎ歌

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7-28.婚礼

 婚礼の朝も、病封じの願掛けは続いた。よく晴れていて、青空の中でヒルデガルドの家の赤い屋根瓦が日差しを受けてきらきらと輝いていた。ギュンターは花婿衣装の詰まった鞄を抱えながら、片手に川の水のバケツを提げてやってきた。いつものようにみんなで言霊を唱和して、ヒルデガルドは川の水を飲む。


「儀式を行うのも今日が最後なのね」


 ベッドの中のヒルデガルドは感慨深げに溜め息をついた。


「こうして婚礼の日を元気に迎えられたのは、小さな魔女のアミュウさんと、それにギュンターさんのおかげね」


 ヒルデガルドはしわくちゃの顔をさらにしわくちゃにして笑った。ギュンターもほっとしたような笑顔を見せている。


「そうだわ、アミュウさんに御礼をしなくては」


 ヒルデガルドはギュンターに支えられながら、サイドボードの抽斗から封筒を取り出し、アミュウに差し出した。おずおずと受け取ったアミュウはその重みに違和感を抱き、「失礼します」とことわってから中を検めた。紙幣ではなく、金貨がいくらか入っていた。


「……こんなにいただけません! フリーデリケさんとギュンターさんの新生活のために使ってください!」


 慌ててアミュウはヒルデガルドに封筒を突き返す。ヒルデガルドは穏やかな笑みを浮かべたまま、それを受け取ろうとはしなかった。


「私だけじゃないのよ。ギュンターさんの分も併せてあるの」


 ヒルデガルドが目くばせすると、ギュンターが頭を下げた。


「大事な目的があって旅をされていたのに、こうして僕たちの頼みを聞いていただいて、ありがとうございます」


 ギュンターから面と向かって言われると、アミュウは複雑だった。今の自分がやらなくてはならないのは、目の前の困っている人に力を貸すことだと思う。その気持ちに間違いはないだろう。ただ、ナタリア探しをジークフリートに任せきりにしたのは、どうだっただろうか。だからジークフリートは一人で彼女を探すなどと言ったのではないか。

 アミュウは金貨の入った封筒をぎゅっと握りしめた。


(違う、ジークは私の考えからはまったく離れたところで考えていたわ。あれはジーク自身の出した結論。私の入り込む隙間なんてすこしもない……)


 ギュンターは別室を借りて花婿衣装に着替えた。アミュウも、ヒルデガルドが晴れ着に着替えるのを手伝った。アミュウ自身は一張羅のワンピースを着ていた。荷物が増えるからと御神楽邸から持ってくるかどうか迷った一着だったが、鞄に入れておいて正解だった。靴はいつものモカシンの代わりに、よそ行きの紺のストラップシューズを履いていた。


 支度が整うころ、家の戸を叩く音があった。フリーデリケがノックするときのような、せわしない甲高い音ではない。ギュンターが戸を開くと、正装の男性が空の車椅子を押していた。


「フランツさん! 着てくださってありがとうございます」


 ギュンターが挨拶すると、フランツと呼ばれた男性は目を細めていった。


「立派だねぇ、ギュンターくん。うちのじゃじゃ馬をくれぐれもよろしく」


 男性はフリーデリケの父親らしい。フランツは室内に車椅子を押して入ってくると、ヒルデガルドに声をかけた。


「お加減はどうですか?」

「大丈夫。今日のお空のように、とっても晴れ渡った、良い気分なの。これも皆さんのお陰ね」

「無茶しないでくださいよ。準備はどうですか?」

「万端よ。みんな来てくれたもの」


 ヒルデガルドはフランツとギュンターの手を借りて、車椅子に移った。ギュンターに訊ねると、教会施療室からの借り物らしい。

 準備を整えた一行は、坂を下ってかもめ通り(メーヴェ・ストラ―セ)に出て、教会を目指した。




 教会には既にシュナイダー製糸工場の仲間たちが集まっているようだった。隅の方にジークフリートもいて、彼は皮鎧は身に着けていなかったし、剣も帯びていなかった。そのことにアミュウが触れると、彼はぶっきらぼうに「結婚式に刃物は縁起が悪いだろ」と言った。

 アミュウはジークフリートとともに聖堂の一番後ろの席に座った。


 式の始まりを待っていると、シュナイダー製糸工場の従業員らしい女性がワンズを持ってきて、アミュウとジークフリートに一本ずつ手渡した。木の棒の先に色とりどりの絹のリボンが何本か取り付けられている。シュナイダー製糸工場の製品だろうか。カーター・タウンでは見たことのないものだった。


「これはなんですか?」


 アミュウが女性に訊ねると、彼女は親切に教えてくれた。


「式が終わって新郎新婦が退場したら、私たちは外で参道の両脇に立って、このワンズを振ってお祝いするんです」

「フラワーシャワーみたいなものですか」

「ええ。今の季節はなかなか花びらが手に入らないし、この方がうちの工場らしいですから」


 女性はほかの何人かと協力して、参列した全員にワンズを配って回っているようだった。身を乗り出して前の方を覗けば、ヒルデガルドが見えた。ヒルデガルドの隣に座った正装の女性が、老婆の肩に分厚いショールを掛けてやっている。フリーデリケの母親かもしれない。


 奥の通用口の方から、数人が姿を表した。修道士たちと、カタリーナ・ハインミュラー司教だった。彼女は赤いガウンをまとい、厳粛な印象を見る者に与えた。カタリーナは内陣の説教台に立ち、ほかの修道士は、司教のそばや、リードオルガンや扉近くといったそれぞれの持ち場についた。

 聖堂内はこれから始まる婚礼の儀式への期待にざわついていたが、話し声は少しずつやんでいき、やがてしんと静まり返った。


「新郎、入場!」


 進行役の修道士が高らかに宣言すると、ドアマン役の修道士が聖堂の扉を開く。オルガン奏者が和音を鳴らす。眩しい光と共に、ギュンターのシルエットが入口にくっきりと浮かび上がる。伝統衣装に身を包んだギュンターは堂々と、そしてゆっくりと身廊を進む。そして内陣に立ち、くるりと向きを変えて、今しがた自分の入ってきた扉を見つめる。

 古い扉だった。小さな彫刻が施されただけの、質素な扉だった。子が生まれ、洗礼を受け、結婚し、老いてやがて死にゆくまでを見つめ続けている扉だ。


「新婦、入場!」


 進行役の修道士の声とともに、その扉が開く。伝統の婚礼衣装に身を包んだフリーデリケとフランツが姿を現した。花嫁は父親のエスコートを受け、一歩一歩ゆっくりとバージンロードを進む。緊張した面持ちで、普段の振る舞いからは見られない楚々とした歩きぶりだった。彼女が着ているのは、母親がその昔身に着けていた婚礼衣装だった。父親は既に涙ぐんでいた。彼の隣にいるのは、数十年前に彼の妻となった女性と同じ格好をした娘だった。

 フリーデリケたちはあっという間にアミュウたちの脇を通り過ぎ、内陣のほうへと歩いて行った。内陣では緊張した面持ちのギュンターが花嫁を待っていた。


 内陣まであと少しというところで、フリーデリケとフランツは立ち止まり、フランツは一歩脇へと退いた。フリーデリケが振り返って父親を見る。父親はハンカチーフを目の端に当てながら、娘に小さく手を振った。フリーデリケが頷くと、頭のシルクフラワーの飾りが揺れた。

 フリーデリケがギュンターに並び、二人が祭壇に向かうと、オルガンの音が止んだ。かと思うと、聞き覚えのある旋律が流れ始めた。

 前の長いすの背もたれの後ろについている箱には、讃美歌の歌詞の書かれたカードが入っていた。アミュウとジークフリートは顔を寄せて、つっかえつっかえ讃美歌斉唱の輪に加わった。



 いと高きにおはします ふたはしらのかみがみよ

 このいもせの新屋(にひむろ)を 光の家(ドムスルミニス)のうちにたてたまへ


 愛のいしずゑはかたく

 いつくしみの屋根は なげきの雨をよせつけず


 愛のともしびはとこしえに

 いもせの歩む道をてらさん


 背にになえる重荷は わかちあい

 みまえに立ちて 交はすちぎりはとこしえに

 まごころもて みかみにつかえん


 おお あめなるめぐみいつくしみもて

 このいもせを 祝しませ 祝しませ



 唱和する声の響きが消えないうちに、カタリーナは新郎新婦に誓いの言葉を促す。そしてギュンターに指輪を渡し、ギュンターはフリーデリケの指に指輪をはめた。次にカタリーナはフリーデリケに指輪を渡し、フリーデリケはギュンターの指に指輪をはめた。

 次いで用意された結婚証明書に二人は名前を書き入れ、ひざまずいたその姿勢のままカタリーナの説教を聞いた。ふたりにはちょうど、控えめなステンドグラスからの光が虹のようにかかっていた。

 説教が終わると、二人は進行役の修道士に促されて、立ち上がって誓いの口づけをした。一番後ろのアミュウからはよく見えなかったが、参列者から自然と湧きあがる拍手につられて、アミュウもジークフリートも手をたたいていた。


「この結婚は成立しました。お集まりいただいた皆さんが証人です」


 カタリーナがよく通る声で朗々と宣言する。拍手の音がいっそう大きく響いた。拍手の嵐の中を、ギュンターとフリーデリケは恥ずかしそうに、しかし誇らしそうに歩き、聖堂から退場していった。参列者たちも新郎新婦の後を追うように、席を立ち外へ出ようとする。扉はそれほど大きくないため、ちょっとした列になった。特に急ぐ気のないアミュウとジークフリートは、長椅子に座ったまま参列者たちがはけるのを待っていた。

 すると、最前列の方にまだヒルデガルドが座り続けているのに気付いた。彼女の娘――フリーデリケの母親と何か話している。


「ちょっと疲れたから、ここで待っているわね」

「疲れたって……大丈夫なの、お母さん? 牧師の先生に診てもらいましょうか?」

「大げさねぇ。大丈夫よ。ただ、もうすこしここで神様に祈っていたいの。あの子たちの幸せを……」


 アミュウが親子の会話になんとなく気を取られていると、ジークフリートに小突かれた。


「おい、そろそろ外へ出られるぜ。俺たちも行こう」

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