1-24.イアン・タルコット【挿絵】
タルコット家の畑は、住居からさらに十分ほど南へ下った場所にあった。疲れの見えてきたジョシュアに飴をやり、元気づけながらその区画へやってくると、畝に茂る緑の中に腰を屈めて働く少年の姿があった。畑の一角には遠目にも大きく見える積み藁がいくつも鎮座していて、その上を小鳥の影が行き交っていた。
「イアン!」
ジョシュアが手を振って呼びかけると、イアンはうんと背中を伸ばしてこちらを見た。金髪が陽の光を受けて白く輝いている。ジョシュアは荒地野菊の茂みをかき分け、畝間を進み、イアンに近付いていった。
「広いね! これ全部、イアンが耕してるの?」
しかしイアンはジョシュアの質問を無視して、ジョシュアの顔と、アミュウと聖輝の顔とを見比べてから言った。
「……お前、ホゴシャを二人も連れて、なんでこんなところまで来たんだ?」
「こんにちは、イアン君」
アミュウも、ヌメ革の靴を汚さないようそろりそろりとイアン達に近付きながら挨拶をした。ワンピースのそこかしこに荒地野菊の綿毛がくっ付いている。
「さっき、お父さんのところへ伺ったところなのよ。あなたに届け物があるんですって」
ジョシュアが手紙を取り出してイアンに渡す。イアンは手にしていた剪定鋏を野良着のベルトにひっかけると、泥まみれの手袋を外して、その手紙を受け取った。封を破って便箋を取り出し、目を通す。そして舌打ちし、手紙を丸めた。
「こんな手紙、急いで寄越すほどのものかよ」
「なんて書いてあったの?」
ジョシュアが訊ねる。
「出席日数が足りなくて、このままじゃ今期もまた単位をくれてやれません、だとよ」
「……そんなにやばいの?」
「年間欠席日数の枠は大方使い切った。けど、次の麦を植えるまであと一月しかないんだ。それまでにここを全部片づけないと、来年の稼ぎが無くなる」
イアンは畑をぐるりと見まわして言った。畑には、休耕中の畝と畝の間が広く開いていて、そこではインゲンや玉ねぎ、人参といった野菜が収穫期を迎えていた。遠くには巨象のような積み藁がいくつも残っている。ジョシュアが悲壮な声を上げた。
「でも、せっかくここまで頑張ったのに」
アミュウがちらりと後ろを見ると、農道で聖輝が頭を掻いていた。我関せずといった態度だ。アミュウはため息をひとつついて、イアンに言った。
「イアン君……お父さんを支えて一人で頑張っているのはものすごく偉いけど、そろそろ限界じゃないかしら。頼れる親戚の方とかは、いないの?」
イアンは仏頂面をあさっての方向に向けて言った。
「……葡萄畑をやってるから、今は向こうも忙しいんです。それに、こういう時に甘えて隙を見せたら、あいつら、じきにうちの畑を乗っ取りに来る」
アミュウは眉をひそめた。
「そういう方たちなの?」
「……って、父さんが言ってた」
アミュウは頭を抱えた。気力が低下すると、極度の人間不信に陥ることがある。ジョンストンも例外ではないのかもしれない。
「あのね、落ち着いて聞いてほしいんだけどね……さっき、ちょっと気になることがあって、無断でお庭を調べさせてもらったの。たちの悪い悪戯が見つかったわ。お父さんの体調が寝込むほど悪くなったのは、きっとそれが原因よ」
「まさか、あいつらが⁉」
イアンの顔色がさっと変わった。アミュウは訊ねる。
「心当たりがあるの?」
「本家のやつらが、父さんをつぶして、うちの畑に踏み込もうとしたのかも」
イアンは腰に下げた剪定鋏をぐっと握りしめて声を荒げた。
「畜生、きっとそうだ! うちは本家から嫌われてるから」
鋏を握るイアンの手は、よく注意して見ると震えていた。薄い肩も。アミュウも身震いした。イアンには母親がいない。親戚の力も借りられず、彼はその肩に病床の父親を背負って孤軍奮闘してきたのだ。
アミュウはこの瞬間、彼の母親代わりになりたいと強く願った。願う一方で、それがおこがましい自惚れであることも自覚していた。
(人のために力を使うというのは、驕りにすぎない。すべて、自分のためなのだと心得るべきだ)
つい先刻の聖輝の独り言が耳によみがえる。それでも、彼の力になりたいという気持ちがあふれて止められなかった。
アミュウはイアンの震える手にそっと手を重ねた。
「落ち着いて、イアン君。害はもう除いたわ。じきにお父さんも回復するはず」
イアンはアミュウの手を払いのけた。しかしアミュウは振り払われたイアンの手をそっと取り、ポケットから組み紐を取り出すと、言霊を紡ぎながら、日に焼けたその手首に組み紐を巻き付けた。
芽吹きの緑 大地の茶 麦穂の金
陽だまりにあそぶ みどりごが
日ごと 月ごと 大きくなるよう
母のかいなに抱かれて
眠るごとに 大きくなるよう
雨に打たれ 風に吹かれ
倒れた分だけ 大きくなるよう
流れるような声でアミュウが言霊を紡ぐ間、イアンは自分の手首をじっと見つめていた。最後にアミュウは紐の長さをイアンの腕に合わせて、きゅっと結び付けた。
「結べ、豊かな実りをどうかこの手に」
イアンは腕を傾きかけた太陽にかざして、その組み紐を眺める。
「……これは?」
アミュウは答えた。
「豊作の願掛けよ。イアン君。一人で抱え込んだら駄目。身内を頼れないなら、私を頼って。そのために私はここにいるのよ」
イアンは目を丸くしてアミュウを見た。アミュウはイアンの赤茶色の目を見つめて言った。
「私も手伝うわ」
ジョシュアが歩み寄って来て、紐飾りを結んだイアンの手にその手を重ねた。
「僕も……僕も、手伝うよ!」
ジョシュアは恥ずかしそうに笑って言った。
「友達だもん」
アミュウは振り向いて、農道で見物を決め込んでいる聖輝へ向かって声を張り上げた。
「聖輝さん、あなた、私のことを観察するとか言ってましたよね?」
聖輝は再び頭を掻いて、困ったように首を傾げた。
「……弱ったな、農作業なんてやったこともないのに」
「何を言ってるんですか」
アミュウは、普段聖輝が見せているような、にんまりとした笑みを顔に貼り付けて言った。
「さっきちゃんと鋤を使ってたじゃないですか。貴重な男手、頼りにしてますよ」




