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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第七章 赤い糸のつむぎ歌

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7-20.ロッテの気持ち

 見物に店外へ出て行った客たちも含め、アミュウたちは店内に戻った。ジークフリートは木の椅子にどっかりと座り、自分の膝に頬杖をついていた。アミュウは預かっていたジャケットをジークフリートの肩にかけてやった。


「無茶するんだから」

「相手にもならねえぜ」

「よくこういうことがあるの?」

「まあな」


 他のテーブルの客たちの視線がちらちらとこちらに向かってきて、アミュウは居心地が悪かった。店内のざわめきは大きかったが、やがて客たちの興奮は落ち着いていった。

 じきにロッテが黒ビールのジョッキとブッターミルヒ(バターミルク)を運んできた。アミュウは飲み物を注文した覚えがなかったのでロッテに確認すると、サービスとのことだった。アミュウは有難くブッターミルヒ(バターミルク)を受け取ったが、酸っぱすぎて口に合わないというのが正直な感想だった。


「あんたみたいに小っこい子も、これを飲んでりゃ大きくなるって!」


 ロッテは歯を見せて笑ったが、返すアミュウの表情は作り笑いだった。

 運ばれてきたシュニッツェル(カツレツ)アイントップ(スープ)は、素朴ではあったが、温かく美味だった。アミュウはゆっくりと食事を楽しんだが、ジークフリートはものの数分で料理を平らげた。黒ビールのジョッキも空になっていた。アミュウが食べ終わる頃には、昼時の客の波はだいぶ落ち着いてきて、ロッテにもお代わりの注文を取る余裕ができたようだった。


「同じやつでいい? それともあんたの好きそうなシュバルツがあるけど、それにする?」


 ジークフリートは眉をぴくりと動かして答えた。


「あぁー……そんじゃ、それにする」

「オッケー。お嬢ちゃんは? 軽めのピルスナー持ってこようか?」


 水を向けられたアミュウは「ピルスナー」が分からずに困ってジークフリートの方を見た。アミュウの視線を受けたジークフリートは「あー……」と口ごもってからロッテに答えた。


「任せるぜ」


 ロッテが厨房の方へ行ってしまったあとで、アミュウはジークフリートに訊ねた。


「ピルスナーって何?」

「ああ、ビールだよ。飲みやすいやつ」


 アミュウはかぶりを振った。


「私、アルコールは嫌よ。勝手に答えたんだから、ジークが飲んで」

「えぇ……」


 ジークフリートはうんざりとした声をあげる。


「俺、黒ビールの方が好きなんだよ……ってか、こんな風に良いように飲まされたら、昨日の繰り返しじゃねえか」


 昼食の客たちがほぼはけたところで、ロッテがまかないの盆を持ってやってきた。


「ねえ、ここで休憩していい?」


 ジークフリートは胡乱な目つきで答えた。


「また俺を酒漬けにするつもりだろ」

「なに? お代わりがほしいの? まだジョッキに残ってるじゃん」

「てめえの耳は仕事してんのか?」

「だって、ジークは上客だもん」


 ロッテはあははと笑ってアミュウたちと同じテーブルについた。彼女のかき込んでいるのが豆のアイントップ(スープ)であることに気付いたアミュウは、遠慮がちに彼女に話しかけてみた。


「そのお豆のスープ、すごくおいしかったです」

「でしょ! うちは酒だけじゃなくて、ごはんものも自慢なんだから」


 ロッテは誇らしげに笑った。先刻からビールばかり飲んでいたジークフリートは、アミュウとロッテが話しているのを見て安心したのか、「便所行ってくるわ」と言って席を立った。

 ジークフリートの姿が見えなくなると、ロッテは椅子をアミュウの側に寄せて小声で訊ねた。


「……ねぇ。あいつ、今までどこにいたの?」


 ロッテが自分に話を振ってくるのが意外で、アミュウはやや気圧され、つられて小声で答えた。


「東部です。船の護衛をしていたところ、嵐で遭難して、カーター・タウンに流れ着きました」

「遭難⁉ 何それ⁉」

「秋の大嵐です。確か十月頃だったかしら……そのあと王都へ移動したんですけど、そこでひどい怪我を負って。ようやく最近治ったばかりなんです」


 ロッテはスープの椀に匙を置くと、腕を組んで難しい顔をした。


「あいつ、半年も姿を見せないと思ったら、そんなに危ない目に遭ってたんだ……」


 ロッテがそれ以上何も言わないので、アミュウはなんとなく決まりが悪くなった。


(勝手に話しちゃいけなかったかしら……でも事実だし、多分この人はジークのことをとても心配しているんだわ)


 ロッテは相変わらず考え込んでいる様子だったが、ついとアミュウに視線を向けると、もったいぶって訊ねた。


「それで? お嬢ちゃんは、あいつとはどういう関係なの?」


 それでアミュウは合点がいった。ロッテの気持ちは、ジークフリートに向いているのだ。だから大量のビールを飲ませたり、こうしてまかないの皿を持ち込んだりして、ジークフリートと少しでも長い時間を過ごそうとしているのではないか。

 気付いてしまえば、ナタリアが頭に思い浮かび、アミュウの口は自然と重くなった。


「……海を漂っていたジークを保護したのが、私の家族だったんです。そういう縁で、ジークには姉の捜索を手伝ってもらってて……」

「おっ、なんだなんだ。俺の話か?」


 店の奥の厠から戻ってきたジークフリートが、アミュウとロッテの間にずいっと割って入った。ロッテはすぐにいつもの調子を取り戻して軽口を叩いた。


「ったく、しばらく見ないうちに死にかけてたんだって? 月の神様たちも、あんたに用はないと見た」

「ほんとだぜ。月に召される前に追い返されたってわけだ」


 ジークフリートは自分の椅子に座り、残っていた黒ビールを飲み干してからピルスナーに手を出しかけた。そこでついと手を止めて、彼はロッテに訊ねた。


「そういえば……カールとヒューって知ってるか? 織物商の」


 ロッテはアイントップの匙から手を離し、口の周りをぺろりと舐めてから考え込んだ。


「うーん……もぐりなんだろ? 名前を聞いたことはあるけど、よく知らないや……っていうか、なんか、触れちゃいけない雰囲気? みたいなものを感じるっていうか……客の話にのぼっても、やけにひそひそ話しててさ」

「そっか。それじゃ、どこにいるとか、家族とか、分かんねえか」

「分かんない。ごめんね」


 ジークフリートは「ああ」と頷いてから、喉を鳴らしてピルスナーを飲んだ。カール、そしてヒューといえば、ジークフリートが護衛していた商船に乗り込んでいた商人たちの偽名だ。表向きはクーデンの繊維商だったが、裏の顔はブリランテの武器商人で、規制された兵器の取引にジークフリートを巻き込んだ。アミュウは、ジークフリートがまだ彼らのことを気にかけているのが意外だった。

 ジークフリートとロッテはその後も世間話を続けた。ロッテがアイントップを食べ終わると、二人は会計を済ませて店を出た。男たちが転がって倒した木箱は、きれいに積み上げられていた。

 アミュウはジークフリートに訊ねた。


「あのときの船に乗っていた商人さんたちについて訊いていたけど、どうするつもり?」


 ジークフリートは腕を組んで宙を仰いだ。薄い雲が空の彩度を落として、太陽のまわりにぼんやりとした光の輪を作っていた。ジークフリートは目を細めていたが、やがて視線を落とした。


「なんか気になるんだよな……カールの家族には無事だって知らせてやりたい気もするし。本当のことを知らせるかどうかまでは分かんねえけど」


 アミュウは脱力した。ジークフリートは人が好すぎるのだ。そのくせ、きっとロッテの気持ちには気付いていない。知っていれば「いい人ね、で終わっちまう」だなんて言わないだろう。

 そしてジークフリートは、ナタリアのことをまっすぐに見ている。

 ロッテに肩入れすることはもちろんできないが、アミュウは彼女に同情した。彼女を哀れむ立場にないことは理解していても、身体の芯がぎゅっと痛むのだ。樽横丁(ファスガッセ)から絹の道(ザイデン・ストラ―セ)へ出たとき、アミュウは突然、その痛みの理由に気が付いた。聖輝がナタリアを追い求めるのをずっと近くで見てきた自分と、ロッテの立ち位置に、通じるものがあるように感じられるのだ。

 アミュウは、その考えを追い払うようにあわてて頭を振った。


(私もロッテさんも、哀れなんかじゃない)

「ん? どうした?」


 ジークフリートが首をかしげる。アミュウは「なんでもない」と即答した。

 自分を哀れむなんて、まっぴらごめんだった。ロッテにしても同じだろう。アミュウは背筋を伸ばして、ジークフリートと並んで歩いた。

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