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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第七章 赤い糸のつむぎ歌

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7-17.祖母と孫娘

 聖堂の階段を降りてから、アミュウはフリーデリケを見かけたのを思い出した。ジークフリートのマントを引っ張って呼び止め、裏庭へ回ってみることにした。

 古い石畳の参道から外れると、剥き出しの地面になっていた。きれいに掃き清められていると思ってあたりを見回してみると、隅の方に堆肥箱が据えられていた。ここで落ち葉を処理しているらしい。


「あっちが教会所有の市民農園クラインガルテンになってるんだ」


 ジークフリートが木立の奥を指さす。アミュウは首をひねった。


市民農園クラインガルテン?」

「貸し農園だよ。使用料は教会への寄進になるんだ」

「ふぅん……」


 木立が途絶えるとぽっかりと空間がひらけ、黄色や空色、桃色といったパステルカラーの背の低い板塀が見えてきた。この可愛らしい板塀によって区画が分かれていて、利用者は自分の区画の庭を好きに使えるらしい。


「まあ、花とか、収穫した野菜のいくらかは、教会に寄付するのが習わしみたいだけどよ……」

「なるほどね」


 板塀の間の通路は自由に歩けるようになっていた。区分けされた庭を覗いてみると、菜園になっているもの、早春の花の咲き始めたもの、小屋を備えているものなど、なかなか個性があって面白い。一時期、カーター・タウンのタルコット家の畑を手伝っていたジークフリートも、それなりの興味をもってそれぞれの庭を眺めているようだった。

 散策しているうちに、隅の方の区画で丸くなっているフリーデリケの背中を見つけた。冬野菜の収穫をしているらしい。アミュウは彼女に声をかけてみた。


「精が出ますね」


 フリーデリケは「ひゃっ」と間抜けな声を漏らし、こちらへと振り返った。


「あ、アミュウさん。それにジークフリートさんも。こんなところで、どうしたんですか?」


 ジークフリートはいつもの通り「ジークでいいぜ」と前置きしてから、教会の見学に来たのだと説明した。


「それにしても、よく手入れされていますね」


 アミュウは感嘆の声を漏らす。フリーデリケの庭は菜園を主としていて、葉物がすくすくと育っていた。隅の方には庇つきのベンチがあり、その正面にはビオラが咲いている。森の小屋の菜園が思い出されて、アミュウの胸がちくりと痛んだ。

 フリーデリケはラプンツェルを摘み取りながら答えた。


「祖母の庭なんです。あたしはお手伝いをしているだけで……おばあちゃん、足腰が弱ってきちゃったから」

「お庭を維持するのは大変でしょう」

「ここが駄目になったら、おばあちゃん、がっかりしちゃいますから」


 フリーデリケは葉に付いた土を払ってから、籠にラプンツェルを入れた。籠には既に丸々としたキャベツ(コール)が入っていた。フリーデリケは収穫した野菜を愛おしそうに撫でて言った。


「あたし、毎日お祈りしてるんです。おばあちゃんが元気になりますように、またこのお庭に来られますようにって。もう少しあったかくなったら、チューリップだって、レンギョウだって咲くわ」

「きれいでしょうね」


 アミュウが相槌を打つと、フリーデリケは嬉しそうに微笑んで、庭の隅に咲いている水仙を剪定ばさみで切り取った。


「こうやって切り花を持っていくんだけど、本当は地面から咲いているところを、そのまま見せてあげたいんです」


 フリーデリケが祖母の家に行くと話すと、すかさずジークフリートが口を挟んだ。


「あんた、昨日スリに遭ったばかりだろ。送っていくぜ」


 そしてアミュウに「いいだろ」と目くばせした。積極的に反対する理由はアミュウには見つからなかったが、もしもナタリアの目に入ったら面倒なことになるだろうと感じた。そうでなくても、彼女にはギュンターという婚約者がいるのだ。あまり深入りしない方が良いのではないか。

 ジークフリートはアミュウの沈黙を肯定と受け取ったらしく、フリーデリケと一緒に庭の区画を出ていった。少し遅れてアミュウも二人に続いた。




 フリーデリケの祖母の家は、教会の西側、港へと続くかもめ通り(メーヴェ・ストラ―セ)から路地に入り、坂を上がったところにあった。見晴らしは良かったが、足腰の弱った老人には住みにくい場所だろう。潮風に耐えられるよう赤レンガで造られた家は、質素ではあったがどっしりと重厚感があり、塩害対策のニスで艶めく屋根瓦は春先の陽をきらりと照り返していた。海の方から風が吹き上げてきて、アミュウのショールを膨らませる。潮騒が穏やかに丘を包んでいた。

 フリーデリケは、収穫した野菜の籠を抱えて嬉しそうに玄関の戸を叩いた。彼女はノックの後、たっぷり十秒ほど待ってから、用意していた合鍵で扉を開けた。


「おばあちゃん、調子はどう?」

「リケかい。今日も来てくれたのね」


 奥の方から老女の声がした。フリーデリケは屋内を覗き込んで続けた。


「今日は友だちも来てるんだけど、入ってもらってもいい?」

「あら、まあ」


 コツコツという音が響き、杖を付いた老女が玄関先に現れた。ゆったりとした寝巻を着ていた。ふわふわの白髪を陽の光にきらめかせ、皺くちゃの顔で笑う。


「リケのお友だちにお会いできて嬉しいわぁ。どうぞ上がって。こんな格好でごめんなさいね」

「あの、私たちはこれで」


 辞そうとするアミュウをフリーデリケが引き留めた。


「良かったら、サラダを食べていってください。摘みたては本当においしいんですよ」


 そう言ってアミュウとジークフリートを半ば強引に家の中へ押し込むと、フリーデリケは入ってすぐの台所の食卓に二人を座らせた。フリーデリケの祖母もゆっくりと椅子に腰かける。


 農家(ハーレンハウス)風の造りとなっていて、台所の左右には別の部屋がつながっているようだった。部屋の様子を見ればひとり暮らしであることが伺えるが、老人の独居には広すぎる。片方のドアが広く開いていて、奥の寝室が見えた。寝室の壁には、ウェディングドレスがかかっていた。

 アミュウの目線に気付いた老女が目を細める。


「あの子の母親のためにこしらえたドレスなの。それを初孫が着てくれるっていうんですもの。嬉しくって、嬉しくって」


 ウェディングドレスは西部の伝統衣装の様式に則ったものだった。白い木綿の膝丈のドレスに、同じく白の綿レースのエプロンが、水色のリボンで留められていた。


「素敵ですね……」


 うっとりと呟くアミュウの隣で、ジークフリートが居心地悪そうに足を組み替えた。

 フリーデリケはくるくるとよく働いていた。水瓶を抱えて水汲みに行ったかと思うと、スカートの裾を濡らして帰ってきて、かまどに火を起こす。湯が沸くのを待つ間に部屋中を掃き清め、摘んできたばかりのラプンツェルをざっと洗い、水を切った。そのうちに沸いた湯で茶を淹れる。亜麻仁油に酢と塩と砂糖を混ぜて、あっという間に即席のドレッシングを作ると、小鉢に盛ったラプンツェルに回しかけた。蒸らし終わった茶も、良い塩梅に湯気を立てている。


はい、どうぞグーテン・アペティート!」


 フリーデリケが三人の前にサラダと茶を差し出したところで、玄関のドアが小気味よくコンコンと鳴った。


「いやだ、もうそんな時間?」


 フリーデリケは叫びながら玄関の戸を開く。表には、製糸工場のギュンターが立っていた。


「フリーデリケ、迎えに来たよ」


 ギュンターは婚約者に優しくほほ笑んでから、部屋の中を見て目を丸くした。


「あれ……ジークフリートさんに、アミュウさん? どうしてヒルデガルドさんの家にいるんですか?」


 アミュウが答える前に、フリーデリケが答えた。


「教会からここまで送ってくれたのよ。さあ、行きましょう」

「おい、行くって、どこに?」


 手早く手荷物をまとめたフリーデリケに、ジークフリートがしどろもどろになって訊ねる。


「工場です。これから仕事なの。二人とも、ゆっくり召し上がってくださいね!」


 フリーデリケは元気よく手を振ると、空になった籠を抱えて出ていってしまった。


「ちょっと……お客を放っていくのかい? 工場には少し遅れるって、僕から言っておくよ?」


 同じく狼狽した様子のギュンターがフリーデリケを引き留めようとしたが、遠くからフリーデリケの甲高い声が聞こえてくるだけだった。


「だめよ、サボりになっちゃうもの!」

「参ったな……ごめんなさい、皆さん。またどこかでゆっくりお会いしましょう」


 そう言って、ギュンターはフリーデリケを走って追いかけていった。取り残されたアミュウとジークフリートが唖然としていると、ヒルデガルドと呼ばれたフリーデリケの祖母がフフフと笑った。


「困った子でしょう。あんな嵐みたいな子が結婚だなんて、嘘みたいよね」


 ヒルデガルドは、いつの間にか立ち上がっていたアミュウたちを椅子に座らせると、「確かパンがあったはず」と呟きながら戸棚の方へと杖をついて歩き始める。と、アミュウが支える間もなく転倒してしまった。

 駆け寄ったアミュウは打ち身の場所を確かめながらヒルデガルドの名を何度も呼びかけたが、彼女は意識もうろうとした様子で、うまく受け答えができない。アミュウはジークフリートとともに、彼女を隣の寝室のベッドへと運んだ。

挿絵(By みてみん)


「この絵を塗ったの、だ〜れだ!」企画の正解者プレゼントとして、倉河みおり様にアミュウと聖輝を描いて頂きました。

一章の頃の二人の関係をイメージして描いてくださったとのことです。


挿絵(By みてみん)


こちらはほろ酔いバージョン!

ほんのり赤くなった聖輝に、アミュウの突っ込む声が聞こえてきそうです。


倉河みおり様、ありがとうございました!

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