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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第七章 赤い糸のつむぎ歌

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7-12.スリにご用心

 まだ寒い時分だというのに、そのカフェテリアの前にはテラス席が並んでいた。テラス席に陣取る客は二組五人。レンガのアーチ窓から窺うに、店内の席はまだ空いている。丸テーブルには伝統的な花模様のクロスがかけられ、可愛らしい雰囲気を演出している。温かい屋内に落ち着けばよいものを、わざわざテラスに陣取るとは、季節を先取りしたいのか。たしかに、壁際のプランターには黄花節分草が開いていて、間もなく冬が終わると控えめに告げていた。

 ジークフリートがずんずんと店の戸口へ向かうのを、アミュウは慌てて引き留めた。


「まだランチの時間帯よ。迷惑だわ」


 ジークフリートはたたらを踏んで振り返った。


「聞き込み、しねえのか? いかにもナタリアが好きそうな、しゃれた店だぜ」

「後でまた来ればいいじゃない。まずは温かいものが食べたいわ。良いお店、知ってるんでしょう」


 ジークフリートはぐっと返事に詰まったようだった。アミュウは首をかしげて訊ねた。


「詳しいんじゃないの? クーデンで仕事してたんでしょう?」

「確かにこの街のことはよーく知ってるけどよ……女を連れていけるような気の利いた店とは、縁がなかったよ」


 アミュウは声を立てて笑った。ジークフリートの顔がみるみる赤くなっていくのは、羞恥からか、苛立ちからか。アミュウは目じりの涙をぬぐうと、目を細めて言った。


「私に気を遣ってくれなくていいのよ。温かいところで落ち着いて食事できたら、それだけで充分。できれば安いお店の方が有難いわ」


 ジークフリートはほっとしたように歯を見せて笑った。


「それなら心当たりがあるぜ。こっちだ」




 石畳の道幅はこぢんまりとして狭かったが、行き交う人々は絶えず、賑やかだった。軒先や上階のバルコニーには、さっきのカフェテリアにもあった黄花節分草が咲いていて、レンガだらけの赤茶けた街を彩っている。剥き出しになった木の梁が幾何学模様を描いていて、おとぎ話に登場しそうな可愛らしさだった。切妻の破風を削ぎ落したような、独特な形の屋根が同じ高さに並んでいる。

 通りの両脇には食料品や雑貨を扱う店に混じって、仕立屋の多さが目立つ。糸の専門店、鋏の専門店、ボタンの専門店といった店はあるが、意外にも布地を専門に扱う店は見当たらない。アミュウはそのことをジークフリートに問いかけた。


「そういう店は、南のもっと広い通りに集まってるんだ。生地を扱う荷車が通れるし、工場は南側にあるしな。このローゼナウ通り(シュトラーセ)はマルクト広場への裏道なんだ」

「マルクト広場?」

「名前の通り、市が立つんだ。そこから一本はずれたところに、うまいメシ屋がある」


 ジークフリートによると、岬に位置するこの街は、ロウランド城下町のほうから流れてくるゼーレ川の水運と、大昔に整備された海運で栄えたらしい。ロウランド城下町のさびれた今では河川水運はあまり使われなくなったが、それでもデウス山の氷室(ひむろ)を活用した養蚕技術は未だに健在で、クーデンの絹織物の生産を支えていた。川の恩恵は、水運だけではない。川の運んでくる肥沃な土のお陰で、ゼーレ川の流れる南方には綿花畑が、メットリヒ川の流れる北方には養蚕のための桑畑と、ビールを醸造するための大麦畑が広がっていた。また、アミュウたちが通ってきた荒野は、春には牧草地となる。輸出量において畜産の村スタインウッドには及ばないものの、酪農も養豚も盛んで、クーデンの人口を支えていた。

 しかし、治安はすこぶる悪い。


「そうは思えないけど……」


 アミュウは、ミニチュア細工をそのまま大きくしたかのようにおもちゃじみた通りを眺めながら呟いた。ジークフリートはとんでもないと肩をすくめた。


「お前がいるから、安全な道を選んでるんだよ!」

「……その言い方やめて。ナターシャが聞きつけたら厄介だわ」


 アミュウは渋い顔をして、もう一度辺りを見回し、通行人たちの顔を確認した。もしもアモローソがこの町にいるのなら、どこからか自分たちのことを見ているのではないか。そんな気がした。

 ジークフリートは何か言い返そうとしたが、やめたらしい。口をもごもごさせてから「広場では注意しろよ」とだけ言った。




 ジークフリートが裏道と言ったローゼナウ通り(シュトラーセ)は突然に終わり、広場に出た。

 マルクト広場には、アミュウたちが通ってきた道も含め大小六本の通りが集結していて、クーデンの街を長方形に切り出していた。正面のひときわ大きな建物は市役所らしい。庁舎の裏手には十字を頂く教会の尖塔が見えた。


 市場マルクトの名の通り、広場の中央には市が立っていて、色とりどりの幌が青空の下で輝いていた。食堂の近くにはテラス席が設けられ、ここでもちらほらと客の姿が見られた。四角い広場を花壇が縁取っていて、そこにも黄花節分草が植えられていた。早春に花が見られるのは嬉しく、心浮き立つものだ。アミュウの顔には自然と笑みが浮かんだ。


「あっちの、クララ横丁(ガッセ)へ行くぞ。荷物に気を付けろよな」


 往来は混みあっている。アミュウは笑顔を引っ込めて口元を引き締めると、帆布のかばんを身体の前に持ってきて、しっかりと抱えた。


 広場に足を踏み入れてしばらくは、てんでばらばらの方へ進もうとする通行人を避けるのに苦労したが、ジークフリートが先を歩くようになってからは、いくらか楽に歩けるようになった。ジークフリートの赤毛の頭と赤いマントは、人混みの中でよく目立つ。彼は市場を突っ切って目的の横丁へ行こうとしているようだった。


 市場の一画は屋台になっていて、立ち食いができるようになっていた。簡易式のテーブルにベンチが据えられ、座って食べることもできるようだ。恰幅の良い店主が焼きたてのソーセージ(ブラートヴルスト)にケチャップとマスタードをたっぷりとかけ、パンに挟んで客に手渡す。客は熱々のヴルストを、ふうふう言いながら頬張った。


(あれが食べたい)


 アミュウの腹がきゅうと鳴った。猛烈にあのヴルストが食べたくなったが、わざわざ店を案内してくれるジークフリートの厚意を無下にすることもできない。アミュウは後ろ髪を引かれる思いでジークフリートの後を追った。


 だんだんと屋台の一画を離れていきながら、アミュウはもう一度だけヴルストの屋台を振り返った。屋台の前の若い男女のうち、男の方が空いている席を探そうと簡易テーブルの方へ行くあいだ、女がヴルストを待っていた。すると、今度は別の男性客が彼女に何やら話しかけ、アミュウから彼女の顔がよく見えた。ふんわりとそばかすの散る、可愛らしい顔立ちだった。


(彼氏さんが離れたとたんに声をかけられているんだわ)


 アミュウはなんとなく気になって、彼女から目が離せなくなった。

 だから、彼女の背後から近付いた、帽子の男が彼女のかばんから財布をこっそり盗み出すのが、よく見えた。


「泥棒!」


 アミュウは自分でも驚くほどの声で叫んでいた。大分前を歩いていたジークフリートがびっくりして振り返る。

 帽子の男は慌てて、はじめに女に声をかけた男性客と一緒になって逃げ出した。女は何が起きたのか分かっていないようで、呆気にとられている。


「あの帽子のやつだな?」


 ジークフリートはアミュウに念を押すと、盗っ人たちがかき分けていった人波が割れているうちに、彼らを追って駆け出した。

 きょとんとしてジークフリートの背中を見送る女に、アミュウは発破をかけた。


「何ぼーっとしてるんですか! あなたのお財布が盗まれたんですよ⁉」

「えっ……ああっ、ほんとだ!」


 かばんの中を確かめて慌てふためく女を尻目に、アミュウもジークフリートたちを追いかけた。

 盗っ人たちは人混みの中を無理やりに突き進んでいくが、俊足のジークフリートには敵わない。ジークフリートはあっという間に帽子の男に追いつき、背後から飛びついて取り押さえた。地面に組み伏せ、馬乗りになり、男の両腕を後ろ手に抑える。もう一人の男は帽子の男を見捨て、市場の向こうへと逃げて行った。

 アミュウが追いつくと、ジークフリートは男を組み敷いたままアミュウに言いつける。


「こいつの荷物を調べてくれ。ポケットもな」


 アミュウが男のポケットを調べているうちに、女と、彼女の連れの男がやって来た。


「これ、あたしの財布です!」


 アミュウが男の上着の内ポケットから取り出した財布を見て、女は甲高い声を上げた。ジークフリートが声を荒らげる。


「ほかにもあるんじゃねえのか?」

「いや……それだけだ。ちょっと魔が差しただけなんだ、勘弁してくれ!」


 懇願する男に、アミュウはぴしゃりと言い放った。


「二人がかりで盗みをはたらいたのに、魔が差すも何もあるものですか」


 男は、騒ぎを聞きつけて飛んできた聖堂騎士団員に連行された。すぐ裏手に見えているクーデン教会へ連れていかれるのだろう。彼らの後ろ姿を見送りながら、ジークフリートは皮鎧やマントについた埃を払った。


「あ、あのっ! ありがとうございました」


 財布を握りしめ、女がぴょこりと頭を下げる。連れ合いの男に向かってアミュウは言った。


「こんなに可愛い彼女さん、放っておいたら駄目じゃないですか」

「いやぁ、面目ない。良かったら、お礼にヴルストを食べませんか。ご馳走します」


 連れの男が愛想よく言ったので、アミュウはパッと顔をほころばせた。「どうすっか?」とアミュウの方を窺ったジークフリートは、やや呆れたように言った。


「あー……悪いな。世話になるぜ」

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