7-11.クーデン
ベルンハルトとウルズラの用意した朝食は、パンにチーズとサラミを挟んだだけの簡単なものだったが、温めたミルクが添えられていて、アミュウはほっと一息つくことができた。御者はミルクを一気飲みすると、馬の支度を整えるため、パンを手に持ったまま家畜小屋へと向かった。
パンをかじりながら、向かいに座ったジークフリートの様子をこっそり窺うが、特に消沈している様子もなく、いたって平静だ。
(ヴェレヌタイラを通るたびに、ああやってお参りをしているのかしら……家族の誰も見つからなかったって言っていたけど。お墓も何もない、瓦礫に向かって……)
「ん? 俺の顔になにかついてるか?」
アミュウの視線を奇妙に思ったのか、ジークフリートは自分の口周りをぺたぺたと触っている。口の端にくっついていたチーズの切れ端に気が付き、ぺろりと舐めた。その様子が子どもじみていて、アミュウは思わず笑った。
「晴れてよかったわね」
「ああ。順調にいけば、昼にはクーデンだ」
ベルンハルトたちの見送りを受けて、駅馬車はまだ早い刻限のうちにホステル・ヴェレヌタイラを発った。海からの風が残っていた雲を吹き飛ばし、今日は珍しく青空が見えていた。街道には霜が下りていたが、馬たちはのんびりと一定の歩調を保っていた。
何事もなく荒野を進み、二本目の川が見えてきた頃、騎馬の人物がふたり、橋を渡ってくるのが見えた。御者は馬を停め、彼らが橋を渡りきるのを待った。馬上の人物たちの姿が大きくなるにつれて、彼らが聖職者の証である帽子を戴いているのが分かった。馬に乗りやすいよう旅装ではあったが、彼らが教会の人間であることは明白だった。
「かたじけない」
すれ違う際、彼らのうちの年嵩の方が声をかけてきた。御者は脱帽して一礼した。アミュウが「良いお天気ですね」と応じると、牧師はうんうんと頷きながら訊ねてきた。
「まったく、馬に乗るにはうってつけの空模様ですが、旅にはまだ少しばかり寒いでしょう。どちらまで?」
「クーデンです」
アミュウが答えると、牧師は眉を上げた。
「おや。我々はクーデンから来たのですよ。クーデンは賑やかで良いところです。しかし、旅の方々。そこから先へ行くのはおやめなさい」
アミュウは首を傾げた。
「どうしてですか?」
牧師は困ったように、連れのもうひとりの牧師と顔を見合わせてから答えた。
「南は治安がかなり悪化しています」
今度はアミュウとジークフリートが顔を見合わせる番だった。クーデンの南と言えば、ブリランテである。アミュウは牧師に訊ねてみた。
「クーデンなら安全ですか?」
「ええ。ハインミュラー様のもと、聖堂騎士団と僧兵が守りを固めていますから」
若い方の牧師が胸を張って言った。ジークフリートが重ねて訊ねる。
「なら、ロウランドはどうだ? 危険なのか?」
「ロウランド?」
牧師たちにとって、ロウランド旧城下町の名が話に出るのは意外だったらしい。驚きと困惑を顔に浮かべて、若い牧師が答えた。
「まれに山道に盗賊が出るとは聞きますが……あそこには何もありませんよ。ましてや雪の積もる今の時期に行く場所ではありません。もしどうしてもというなら、春を待たれるのがよいでしょう」
アミュウは牧師たちに礼を述べて、彼らを見送った。ジークフリートが呟いた。
「珍しいな。牧師の二人旅か。ソンブルイユにでも行くのかな」
「聖輝さんが、戦争が近いって言っていたわ」
牧師たちの姿は充分に遠くなっていたが、アミュウは声を落として言った。ジークフリートが頷く。
御者は馬を動かし、馬車はゆっくりと橋を渡った。川を越えてすぐのところで分かれ道になっていて、左手にはデウス山の方へと分け入っていく脇道が伸びていた。この道を辿ればロウランド旧城下町に着くが、駅馬車は街道をまっすぐ、クーデン方面へと進んで行った。
アミュウは来た道を振り返りながら、ナタリアはこの脇道を行ったのだろうかと訝しんだ。
馬車は昼過ぎにクーデンに到着した。
今は枝を刈り込み株だけとなった広大な桑畑や、麦踏を終えた畑の向こうに立派な街壁が見えたかと思うと、街に入るまではあっという間だった。
街門をくぐったところが小さな広場になっていて、その片隅の停留所で二人は馬車を下りた。既にフォブールで運賃を支払っていたが、ジークフリートは心付けを御者に握らせた。
「おっさん、この後ブリランテまで行くのか?」
ジークフリートの問いかけに、御者はニカッと笑って答えた。
「なに、慣れた道さ。あんちゃんは、もうちっと賭けに強くなれよ」
駅馬車は停留所を離れ、この街のどこかにある厩舎へと向かって行った。アミュウは御者の身を案じてその粗末な車体を見送っていたが、ジークフリートは目の上に手で庇を作って辺りを見回していた。つられてアミュウも周りを見た。
屋根瓦も漆喰も、晴れた真昼の空の下、夕焼けに染まったような赤茶色や黄金色に輝いている。半木骨造りの家々は、一階部分がレンガ造りになっていて、それがこの街の一層赤茶色に印象付けている。耳を澄ませば、あちこちからミシンの駆動音が聞こえてきた。人通りは思ったよりも少ない。ここが街外れであるためか、あるいは、ミシンの音が聞こえるということは、午後の仕事が始まっているのかもしれない。ともあれ、道行く人々の服装は、ソンブルイユの住人達のように着飾ってはいなかったが、機能的で、しっかりとした仕立ての品物であることが伺い知れた。
石畳は古びて摩耗し、凹凸が滑らかになっていた。この街の歴史がいかに古いかを物語っている。ある倉庫風の建物の前に大八車が止まった。車を曳いていた親子が、荷物にかけていたぼろ布をまくり上げると、中からはっとするほど色鮮やかな錦織が現れ、アミュウはそちらに目を奪われた。
「よそ見すんなよ。荷物に気を付けろ。すられるぞ」
ジークフリートが、帆布のカバンを提げている側のアミュウの腕をぐいっとひいた。アミュウは慌てて肩から提げたカバンを身体の前側へ寄せ、片手で抱えるように持った。
ジークフリートは広場の一点を見据えている。アミュウもその視線を追ってみると、食堂があった。まだ寒いのに、テラス席には二組の客が思い思いに食事をとっている。
「お腹が空いたわね。あそこでお昼ご飯にしましょうか」
アミュウが提案すると、ジークフリートは首を横に振った。
「いいや、あそこはよそ者向けのカフェテリアだから、割高だ。立地が良いから、何も知らずにクーデンにやって来たやつが、とりあえず休憩がてら飯を食う場所だよ。つまりさ――」
「土地勘のないナターシャが立ち寄ってるかもしれないってこと?」
アミュウが思い付きを口にすると、ジークフリートは頷いて、その食堂へ向けて大股で歩き始めた。




