7-8.眠りねずみ
毛皮の山はじっと動かない。ジークフリートは御者に馬たちを止めさせた。停車した状態で目を凝らすと、それは空を仰ぐような格好で、ピンク色の手足を丸めているらしいというのが分かったが、木々の間に隠れて全体像が見えない。林冠から覗いている手足は身体に比して小さく、短い。
「あれはなんだろう」
ジークフリートが呟くが、ここからではよく分からなかった。
「今のところ動く様子はないけど、ソンブルイユの方まで近付くことがあれば危険だわ」
アミュウの言葉に頷くと、ジークフリートは駅馬車の荷台からひらりと飛び降りた。
「あんちゃん、なんのつもりだ⁉」
御者が慌ててジークフリートを制止するが、ジークフリートは腕をぐるりと回して準備運動を始めた。
「ずっと寝込んでてなまっちまったからなぁ。良い肩慣らしだぜ」
アミュウも革のマントを脱ぎ捨てると、蓮飾りの杖を片手に荷台から降りた。御者台に近付き、ドロテから分けてもらったけもの除けの香水の小瓶を御者に差し出した。
「万が一のことがあったら、私たちのことは気にせず逃げてください。大型獣はこの香りを嫌います。馬たちも嫌がると思うから、使い方には注意してくださいね」
「お、おいっ……」
御者が止める間もなく、ジークフリートとアミュウは新雪の積もる森へ分け入っていった。
けものがうずくまっているのは、街道からほど近い空地だった。近くには朽ちて久しいと思しき巨木が倒れている。この木の陰に隠れて他の木が育たず、空地が出来上がったらしい。遮るものがないため、ここだけ積雪量が多い。けものは微動だにせず、眠り込んでいた。
けものの身体は砂色の毛皮で覆われていた。その毛先に雪片が付着しているのが分かるほど、アミュウたちはけものに接近していた。それでもけものは一向に目を覚ます気配がない。寝息を立てているのかさえ分からなかった。
「ヤマネね」
アミュウが断じると、ジークフリートは眼前のけものに視線を向けたまま「なんだそりゃ」と素っ頓狂な声をあげた――もちろん、小声だ。海辺で育ったジークフリートは、ヤマネを知らないらしい。
「木の中に巣を作って、長い間冬眠する生き物よ。眠りねずみとも呼ばれていて、本来は片手におさまるくらい小さいの。どうしてこんなところで寝ているのかしら」
ヤマネは身体を丸め、長いふさふさの尾を身体に巻き付けて、天に腹を向けて眠り込んでいた。そこらの木よりも巨体だが、こうしてじっくりと眺めていると、なかなかに可愛らしく、愛嬌がある。
ジークフリートが訊ねる。
「なんでこんなところで寝てるんだ。冬眠っていったら、ふつう、あなぐらの中でするもんじゃねえのか」
「そうね」
アミュウは慎重に大ヤマネのまわりを一周し、観察する。ジークフリートは大ヤマネの腰あたりに腕を伸ばし、そっと触れてみた。やはり大ヤマネは眠り込んだままだった。
「こいつ、春までここで寝てるつもりかな」
「もしかしたら、そうかもね」
ジークフリートは腰に帯びた剣の柄に一応手をかけていたが、その手に力は入っていない。
「寝込みを襲うのは忍びねえな。ネンネしてるだけだぜ。実害がねえじゃないか」
「でも、春になって目を覚ましたら? ヤマネは雑食性よ。南下して畑を襲うかもしれない。ラ・ブリーズ・ドランジェやソンブルイユに向かうことも考えられるわ。ここで仕留めなきゃ、後で被害が出る恐れがある」
口ではそう言ったものの、アミュウも心情的にはジークフリートに同意していた。ヤマネは寒い中では動くことができない。外見の愛らしさも手伝って、アミュウはすんなりと割り切ることができなかった。
それでもアミュウは蓮飾りの杖の石突で林床に線を描き、大ヤマネの身体の周りを円で囲んだ。空地の近くに茂っていたヒイラギの葉を数枚むしりとり、魔法円の東西南北に並べる。
「気が進まねえな……」
日向の林床に胡坐をかいていたジークフリートがぼやく。「そんなの、私も同じよ」と同調したあとで、アミュウは結界を構成する言霊をつむぐ。
「サトゥルヌスは告げる、時は満ちたり。ホーリーの名において、けだものの眠りは永遠に!」
アミュウがヒイラギの枝で大ヤマネの身体を数度打ち付けると、魔法円が燐光を帯びた。結界が立ち上がったのだ。ジークフリートは剣の柄を握ったままアミュウに訊ねた。
「この結界で縛り付けておけば、こいつだって悪さをしないんじゃねえか?」
「縛り付ける? いつまで? その間ずっと私はここで結界を維持していなくちゃならないの?」
アミュウの返答に、ジークフリートは言葉を詰まらせた。
「それに、ここに囚われたまま生き長らえることが、この動物にとっての幸せかしら」
「……それもそうだな」
ジークフリートは頷くと、結界の中に足を踏み入れ、大ヤマネの身体をよじ登る。無遠慮に毛を掴んでいるが、大ヤマネは身じろぎひとつしない。仰向けになった腹の部分までのぼると、ジークフリートは大ヤマネの身体のあちこちに手を当てた。脈動を探しているらしい。やがてその場所を見つけると、ジークフリートは一息で深々と剣を突き立てた。ヤマネの身体がびくりと跳ね上がるのに合わせ、ジークフリートは飛び降りて結界の外に出た。ヤマネはしばらく結界の中で暴れていたが、やがて動かなくなった。
剣を回収するとき、ジークフリートは無表情だった。剣を振ってから、ヤマネの毛皮に刃をこすりつけて血を落とす。アミュウもまた、無表情で剣の始末をするジークフリートの背中を見ていた。
先ほどよりも雪が激しくなってきた。雪片は大ヤマネのふさふさとした毛皮を、次から次へと隠していく。




