7-6.焼かれた書物
アルフォンスは音を立てて茶をすすってから答えた。
「そうだねぇ、大事な研究だ。何せ、きみとの仕事の軌跡だからね」
アミュウは深くため息をついた。
「……なんとなくそんな気がしていました。燃やしていたのは、やっぱり空間せ……」
「ストップ」
アルフォンスは人差し指を立ててアミュウを制し、ジークフリートの方をちらりと見た。彼の前で空間制御術に関わる話をするなという意図らしい。
「……ンだよ。こっち見て。分かってるぜ。聖輝の使ってた空間転移とかいうワザのことだろ」
「……」
「…………」
沈黙が粘度を増してアミュウたちを包んだ。アミュウは頭を抱えて首を振る。アルフォンスは目を丸くして、口をぽかんと開けていた。心なしか、眼鏡がずり下がっている。ジークフリートにはアミュウとアルフォンスのリアクションが意外だったようで、二人を見比べながら「俺、変なこと言ったか?」などと口走っている。
アミュウは、アルフォンスに対しては聖輝が空間転移術を操ることを話していない。口の滑ったジークフリートを横目に、ここへ連れてきたのは間違いだったかと訝しむ。
アルフォンスはこめかみの辺りを掻いて腕を組んでから、ジークフリートの呟きに応じた。
「いいや、何も変なことはないさ。そうだよね、例のあんちょこがミカグラ家の遺産なんだから、あのお兄さんが空間制御術を扱っていたって不思議じゃない。ただ、ちょっと驚いただけ――そうか。僕はミカグラ家の秘密を暴いたということになるのか。ご当主が血相を変えてやって来た理由がよく分かったよ。誤魔化して追い返したけどね」
ジークフリートは今さらになって「しまった」という顔をした。アミュウはこれ見よがしに溜め息をついてから師に訊ねた。
「それで、どうして燃やす必要があるんです? そこまでしなくてもいいのに。家だってなんだか片付いてる気がするし、様子がおかしいわ」
「これで片付いてんのか?」
至極もっともな茶々を入れてくるジークフリートを無視して、腕を組んだままアルフォンスは答えた。
「実はね、お出かけしようとしてるのは僕も同じなんだよ。しばらく家を空けることになりそうでさ。その間に誰かがうちの蔵書を見ても大丈夫なように、整理しているところなんだ」
「お出かけ?」
「そう。仕事が立て込みそうでさ」
アルフォンスが腕をほどいて茶をすすったので、つられてアミュウもボウルに口を付けた。ジークフリートも憮然とした表情で茶を口にしている。
アルフォンスの言う「仕事」がどのようなものか、実のところ、アミュウにはよく分かっていなかった。大猫騒動のときには精霊鉄道の機関部を調整するよう、グレミヨン卿の使者から言われていた。鉄道の開発に携わっているのだろうか。アミュウはふと思いついたことを口にした。
「ひょっとして、精霊鉄道の延伸に関わることですか?」
アルフォンスは唸ってから言った。
「アミュウにはかなわないなぁ。それも確かに大切な仕事ではあるんだけど、今回は別件だよ。悪いけど、ビジネスに関しては何も話せないんだ。守秘義務ってものがあるからねぇ」
アルフォンスはにこやかに回答を拒んだが、アミュウはなおも食い下がった。
「じゃあ、どこへ行くかだけでも教えて下さいよ」
「いや。それも答えられない」
師の口は堅かった。彼は再び腕を組んでしまった。こうなると、何を言っても暖簾に腕押しであると、アミュウは経験上分かっていた。それで、控えめに訊いてみた。
「いつ帰ってくるんですか?」
「仕事次第だけど、一か月や二か月ではないだろうね。だから家を片付けているんだよ。もともと見られてまずいものなんてほとんどないけど、万が一にもあの研究成果につながるようなものがあっては、アミュウにとっても危ないから」
黙って茶を飲んでいたジークフリートがぴくりと眉を上げた。
「なんだって? アミュウが巻き込まれてんのか」
アルフォンスには、ジークフリートの剣呑な様子が意外だったらしい。少し驚いたような表情をしてから、アルフォンスは柔和な笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ。巻き込まないために、こうして整理をしているんだから。きみは、アミュウのことを心配してくれる、やさしい人なんだね」
ジークフリートの顔がさっと赤くなる。アルフォンスはほほ笑んだまま釘を刺した。
「空間制御というのは、きみが考えている以上に危険な技術なんだ。ぼくが相手だから良かったけど、ほかの人の前でその話は一切しないでくれ。理由は、アミュウがよく知っているよ」
ジークフリートは憤然とした表情で黙り込んでしまった。アミュウは話題を変えてみることにした。
「ところで、大猫騒動の一件で、先生は国王陛下から感謝状を受け取っていますか? 授与式のときに姿が見えませんでしたが」
「うん? もらっていないよ」
あまりにあっけらかんとアルフォンスが答えるので、アミュウは思わず重ねて訊ねた。
「どうして? 精霊鉄道が無事だったのは先生がいたからじゃないですか」
「だって、ぼくはなんにもしていないもの」
「そんなこと……!」
アルフォンスの言葉を否定しようとしたアミュウは、こちらを見るアルフォンスの表情に謙遜以外の何かを感じ、口をつぐんだ。アルフォンスの口元は、先ほどジークフリートを諭したときと同じほほ笑みの形をなぞっていたが、目は真剣そのものだった。アルフォンスはアミュウに開示する情報と、そうでない情報を、明確に仕分けているらしい。アミュウは注意深くその境界線を見極めようとする。
「……陛下からのお呼び出しはなかったということですか」
「だから、そういうこと。ああいうのはアミュウみたいに活躍したひとたちがもらうものだよ。それに、鉄道の乗客たちが首尾よく逃げられたのは、運転士たちのお陰さ」
アルフォンスは、本当に感謝状には何の未練もない様子だった。それがかえってアミュウの悔しさを助長した。彼がいなければ、首尾よくロサが大猫を氷漬けにすることはできなかっただろう。彼の功績こそ称えられるべきだろうに、そうならなかったことに、何らかの政治的な圧力があったのだと疑わざるを得ない。アミュウはその圧力の出所に心当たりがあった。
「……先生が表舞台に上がるのを阻んでいるのは、グレミヨン卿ですね」
アルフォンスは答えなかったが、真剣なまなざしは変わらなかった。否定しないということを肯定と受け止めたアミュウはうなだれた。
「アル先生から研究の自由を奪って、この工房に閉じこめて。挙句の果てに、先生が危険を顧みずにあのけものに立ち向かったことさえ、なかったことにされるなんて、私、納得できません」
「アミュウ」
名を呼ばれて、アミュウは顔を上げた。アルフォンスの口元にほほ笑みは残っていなかった。隣のジークフリートは師弟の会話に割り込むことはせず、じっと耳をそばだてているようだ。
「ぼくがどうしてグレミヨン卿の名前をきみに教えたか、分かるかい?」
アミュウは素直に首を横に振った。年始に一人でアルフォンスを訪ねた際、やけにあっさりと口を割るものだと拍子抜けしたが、その理由までは考えが及ばなかった。
「もしものときに、きみ自身が自分を守れるように、警戒してもらいたくて話したんだよ。ぼくのことを気にかけてくれるのは嬉しいけど、頼むから妙な考えを起こさないでおくれよ。ぼくのことを思うなら、深入りしないでほしい」
アミュウたちがアルフォンスの家を出る際、来たときと同じ様にアルフォンスはジークフリートに握手を求めた。
「西部はもともと物騒なところだけど、これからもっと危険になるよ。ジークくん、くれぐれも気を付けて。アミュウのことをよろしく頼んだよ」
「ああ。どこへ行くんだか知らねえが、先生も気を付けて」
ジークフリートはアルフォンスの手をしっかりと握って答えた。
斜めから差す日は、テラスの下に影を落としていた。日が暮れれば馬車鉄道の運行が終わってしまう。アミュウたちは急ぎ足で停留所へ向かった。




