7-5.師を訪ねて【挿絵】
中央広場の郵便局に手紙を預けると、アミュウとジークフリートは連れだってブールヴァールを東へ歩き始めた。途中、博物館の前に差し掛かる。ラコルヌ館長がせせこましい庭を掃き清めていたが、彼は鳥たちが食べ散らかしたナナカマドの実を片付けるのに夢中になっていて、アミュウに気付く様子がない。アミュウは彼から目をそらし、そのまま博物館を通り過ぎた。
寒さの底を迎えた二月、わずかに日差しのぬくもりが感じられる昼下がりには、往来は常より多かったが、年の瀬のような賑わいではない。アミュウとジークフリートは他愛もない話を交わしながら、のんびりと歩を進める。街路樹がナナカマドからマロニエに変わる頃、道行く人々は若者だらけになっていた。ジークフリートも街並みの変化に気付いたらしい。
「なんかこの辺、雰囲気が違うな」
「学生街なのよ」
「ふぅん……」
アミュウは魔術学校をドロップアウトしたことを、ジークフリートには話していない。話す気もなかった。だからアミュウは魔術学校の門前を、案内もせずに素通りした。
路地に入り鋼板の階段にたどり着くと、ジークフリートは矢印の形の看板をしげしげと眺めた。
「コンスタン魔術工房……カーター・タウンのお師匠さんみたいな仕事か?」
「メイ先生は薬草の調合からおまじないや占いまで何でもこなしたけど、こちらの先生は研究がメインね。頼まれれば道具の制作なんかも請け負うけど」
説明しながらアミュウが階段を上っていると、階上のテラスからぬっと頭が突き出した。適当に括られた伸ばし放題の栗色の髪が、風にあおられてふわふわと揺れている。
「アミュウ! やあ、どうしたんだい」
アミュウは「噂をすればなんとやら、ね」と、ジークフリートに目配せしてから師に挨拶を返した。
「こんにちは、先生。ちょっとご挨拶をと思って来ました。外に出ているなんて珍しいですね」
「今日は別のお友達を連れているんだね」
アルフォンスはにこにこと丸眼鏡の奥の目を細める。目じりに細かな皺が寄った。
折り返し階段を上りきってテラスに出てみると、風向きが変わってアミュウを煙が包んだ。思わず咳き込むと、アルフォンスはさらに笑った。滅多に使わず、殆ど化石となっていたような石窯に火が入っているのだ。アミュウは涙目で訊ねた。
「何を作っているんですか」
「あはは、作っているんじゃないよ。燃やしているだけなんだ」
「え?」
アミュウはアルフォンスからグローブをひったくって自らの手に嵌めると、石窯に駆け寄り、炉室の鉄扉を開けた。上段の焼き床は空っぽで、下段の火床では書物とくしゃくしゃに丸められた紙を炎が舐めていた。
「どういうことですか、これは⁉」
振り返りざま、アミュウはアルフォンスを非難する。にやにやと誤魔化し笑いを浮かべたアルフォンスはアミュウからグローブを受け取り、炉室の扉をしっかりと閉めた。
「ちょっと色々あってね……ところでお友達をほったらかしにしていて、いいのかい?」
アルフォンスの指摘に、アミュウははっと顔を赤らめた。テラスの入口では、所在なさげに腕を組むジークフリートが棒立ちになっていた。
「ごめんなさい……こちら、友人のジークフリートです。今日は一緒に来てもらいました。ジーク、数年前までお世話になっていた師匠のアルフォンス=レヴィ・コンスタン先生よ」
「やあ、ジークフリートくん。アミュウと仲良くしてもらっているようで。アミュウにお友達が多くてほっとしたよ」
アルフォンスはグローブを脱いでから満面の笑みでジークフリートに右手を差し出した。ジークフリートは腕組みを解いてアルフォンスに向き直り、しっかりとその手を握った。
「どうも。ジークでいい。突然押しかけて悪いが、俺はこいつを送り届けようとしただけなんだ。師弟水入らずのところ、邪魔するつもりはねえぜ」
ジークフリートはアルフォンスの手を放し、ひらひらと手を振って踵を返そうとしたが、その腕をがしりとアルフォンスが掴んだ。
「まあまあ、そう言わずに。せっかくだから上がっていきなよ。ちょっと散らかってるけどさ」
ジークフリートは困ったようにアミュウに目配せをしたが、アルフォンスはしっかりとジークフリートの手を掴んで離さない。彼の意志は固いようだ。念のため、アミュウは師に訊ねた。
「えっと……ご迷惑でありませんか?」
「アミュウのお友達なら是非お話してみたいな」
アルフォンスはにっこり笑って答えた。アミュウの頭を、年初に聖輝を連れてここへ来たときの顛末が一抹の不安とともによぎる。どうも師は、アミュウの交友関係に興味があるようだ。アミュウは諦めて頭を下げた。
「それじゃ、お言葉に甘えてお邪魔します」
「そうこなくっちゃ! この間アミュウがくれたお茶が残っているんだよ。気の利いたお菓子なんてないけど、いいよね」
アルフォンスは破顔して、ジークフリートの腕を掴んだまま玄関へずるずると引きずっていった。その背中に向かってアミュウは念を押すように声を上げた。
「本を焼いていた理由も、しっかり説明してもらいますからね!」
師の家に一歩足を踏み入れたアミュウは、違和感を覚えた。以前よりもがらくたが減っている。この間は山となった荷物を廊下の両脇に押しのけて居間まで進んでいたのが、楽に通れるようになっている。
とはいえ、がらくた屋敷に違いはない。後ろでジークフリートが小さく「うわ」と呟くのが聞こえたが、先を歩くアルフォンスには聞こえなかったのか、あるいは気にしていないのか、反応は見えなかった。
居間の長椅子には、本が一冊も置かれていなかった。ジークフリートをそこに座らせながら、アミュウは不穏な雰囲気を肌で感じていた。あのアルフォンスが片付けをしている? 師がなぜそんな殊勝な真似をしているのか、アミュウは考えあぐねていた。
「お茶を淹れてくるね」
アルフォンスの言葉に、アミュウは立ち上がった。
「私が用意します。水は新しいでしょうね?」
「うん。今朝ちゃんと汲んだよ」
アミュウは内心で師の言葉を疑いながら台所へ向かい、水瓶を確かめた。中を覗くと、新鮮な水がなみなみとたたえられている。今朝はきちんと水汲みをしたというのは嘘ではないらしい。
キッチンストーブの火室の扉を開けると、灰は全て掻き出され、綺麗になっていた。
(おかしい)
アミュウは震える手で炉の扉を閉めた。
(アル先生が家を片付けようとしている――普通じゃない)
掃除された炉を汚すのは忍びなくて、アミュウは水を入れたケトルと茶道具一式を居間に運んだ。火の入っていた居間の暖炉で湯を沸かすつもりだった。
居間の扉のノブに手をかけたところでアミュウは立ち止まった。
「――ふぅん。あのお兄さんがね」
(聖輝さんのことを話している)
中から漏れ聞こえたアルフォンスの声に、アミュウの身体は硬直した。
「それじゃあアミュウは落ち込んでいるだろうね」
「アミュウだけじゃねえ、俺もだ。あの場にいたのに、何もできなかった……ほんと、情けねえぜ」
話し声が途切れた。ここで居間へ入っていかなければ、タイミングを見失ってしまうだろう。アミュウは一呼吸おいてから扉を開けた。
「ああ、アミュウ。ありがとう。早かったね」
「こっちでお湯を沸かしちゃおうと思って」
アミュウは応接テーブルに茶盆を置くと、暖炉のフックにケトルをひっかけてから長椅子に座った。以前は聖輝と並んで座った場所に、今はジークフリートと並んで座っていることが不思議に思われた。
「私としては、先生がどうして研究書を燃やしていたのか、わけを聞かせてもらいたいのだけど、先に私たちのことを話した方が良さそうですね」
アミュウは、ナタリアを追ってクーデンへ向かおうとしていることを、淡々とした口調で説明した。暖炉のケトルはいつの間にか湯気をもうもうと上げていた。アミュウはのろのろと立ち上がりケトルを取りに行き、茶の支度を始めた。
膝に肘をついて頬杖としていたアルフォンスは、ぽつりと口を開いた。
「……それで、ソンブルイユを発つ前に僕のところへ来てくれたってわけか」
アミュウは頷く。茶匙を持つ手が震えそうになるのを、力を込めてごまかしていた。アルフォンスは眼鏡の奥の目を光らせてアミュウの様子を見ていた。
「アミュウ。それに、そっちのジークくんも。お姉さんのしでかしたことに、責任を感じてはいけないよ」
アミュウははっとして顔を上げた。名を呼ばれたジークフリートも顔を上げてアルフォンスを見つめている。アルフォンスは前傾姿勢で頬杖をついたまま、アミュウにぴたりと視線を止めていた。
「お姉さんがやったことは、あくまでもお姉さんの罪だ。妹のきみが肩代わりをする必要はないし、してはいけない。それは同一化の始まりになってしまう。きみたちはお姉さんを探し出して、一体どうしたいんだい? 謝ってもらいたいのかい? 更生してもらいたいのかい?」
師の言葉に、アミュウの頭は真っ白になった。ジークフリートも言葉を失っている。アルフォンスは続けて言った。
「もちろん、色んな迷惑をこうむっただろうし、心労もあっただろうけど……謝罪を求める権利があるのは、当のセーキさんだけだ。彼は、そう望んでいるのかな?」
重い沈黙を割って、先に口を開いたのはジークフリートだった。
「謝らせたい……ってわけじゃねえ。もちろんあいつが、自分のやっちまったことに向き合って、聖輝に謝るっつーんなら、それに越したことはねえんだろうけどよ。聖輝だって、そんなことのためにあいつを探せって言ってるわけじゃねえだろうよ。俺はただ、あいつに会いたいから探すんだ。会って、俺は味方だって言ってやりたい」
アルフォンスはわざとらしく明るい口調で訊ねた。
「おや? ジークくんがお姉さんの味方なら、セーキさんは敵ってことになるのかな?」
「そういうわけじゃねえ! 敵だ味方だなんて、白黒はっきりつけられるもんじゃねえんだ。色々込み入ってて、全部は説明できねえんだけどよ。せめてきちんと話し合いたい」
アルフォンスは、強い口調で否定するジークフリートに、同じ調子でなおも訊ねる。
「じゃあ、お姉さんとセーキさんを仲直りさせたいってことかな。それをセーキさんが望んでいると?」
しばらく黙っていたアミュウは、ここへ来てようやく重い口を開いた。
「そうです。そして私も、それを望んでる。何が何でもナターシャに協力してもらわなくちゃならないことがあるんです」
「ふぅん……」
アルフォンスは頬杖をやめて、椅子の背もたれに寄り掛かった。アミュウは、すっかり濃くなってしまった茶をポットからボウルへ注ぎ分けた。湯気をあげる茶で口を湿してから、アルフォンスは両手を小さく挙げた。
「わかった。ほんとは西部なんて危険な場所に行ってもらいたくなかったけど、きみたちの決意は固いようだ。降参だ」
「当たり前ですよ。どれだけ私たちが考えたと思ってるんですか」
アミュウはつんとそっぽを向いて言ってから、その顔を再びアルフォンスへと向けた。
「さあ、次は先生に話してもらう番ですよ。どうして本を焼いていたんですか。大事な研究書でしょう」




