6-37.拝聖面接
翌朝、八栄はアミュウと聖輝の分まで朝食をこしらえてくれた。アミュウはちらりと深輝に目を向けた。彼女は何食わぬ顔で椀の汁を啜っている。アミュウも務めて普段通り振舞うよう心掛けた。
朝食をあらかた腹に収めたところで、糺が聖輝に話しかけた。
「グレミヨン卿が、ぼちぼち今年の拝聖対象者の名簿を制作しているとのことだ。アポを取って、今年の面接を済ませなさい」
聖輝は一瞬目を丸くしてから、すぐに面倒くさそうに眉を寄せた。
「まだ拝聖するつもりはありませんよ」
糺は溜息をひとつついてから、息子に念を押した。
「それはそうだろうが、形式的に毎年面接を受けなければならんのだよ。お前も分かっているだろう」
「……承知しました」
聖輝は頭を垂れた。
実際に、そのあと聖輝は教会へ出かけて行った。アミュウは、里帰りの間にジークフリートの世話をしてくれた八栄とヒコジの恩に報いるため、彼らの仕事を手伝った。
旅の荷物を片付ける際、八栄とともに聖輝の祭服を広げた。大蛇の牙を受け、肩の部分が破れて、血液汚れが茶色いシミになっている。カーター邸で洗濯したが、既に受傷から時間が経過していたため、汚れは完全には落ちなかった。
「白い生地だから、目立ちますね」
落胆したアミュウが言うと、八栄は祭服を手に取った。
「ある程度はきれいになると思いますが、破れ方が酷いですね。こちらの二重マントは、穴の部分から生地が裂けてしまっています。洗って繕ってみますが、ほかにも傷んでいる部分がありますから、新調した方が良いかもしれませんね」
「そうですか……」
祭服は、外側から内側に向かって祭服、ガウン、帯、チュニック、そしてゆったりとしたズボンから成る。それらを丹念に調べてから、八栄はほほ笑んだ。
「若様はぐんぐん背が伸びたので、何度も祭服を作り変えたのですよ。なんだか懐かしいですわ」
聖輝はアミュウと同じ年の頃にこの屋敷を出たという。八栄はどんな思いで彼を見送ったのだろうか。
八栄は祭服一式を抱えて街へと降りて行った。入れ替わるようにして、聖輝が帰ってきた。
拝聖のための面接は五日後の運びとなった。聖輝は用事のついでに再びジークフリートを見舞ったようだった。今朝は熱が引いているらしい。このまま無事であれば、聖輝の面接日に退院するよう手筈を整えたとのことだった。
五日後、聖輝はアミュウの見たことのないスーツを着込んでいた。明るい鼠色に格子模様の浮かぶツイードの生地は、温かそうだ。
「随分前の仕立てですが、妙ではないでしょうか」
聖輝は鏡の前であちこち調べながら、八栄に訊ねた。
「ご立派ですよ。祭服の仕立てが間に合わず、申し訳ございませんねぇ」
八栄はウールのコートにブラシをかけながら答える。いつもの二重マントが破れてしまったので、急遽、糺のコートを借りることになったのだ。最後に聖輝はタイを直してから、コートに袖を通した。
アミュウもオーバーの上から、キンバリーの贈り物のショールを羽織る。聖輝に同行し、ジークフリートの退院に付き添うつもりだ。
「まあ、どうせ形ばかりの面接です。祭服でなくても問題ないでしょう」
「そのようなことをおっしゃらず。ドゥ・グレミヨン卿とのご面談がうまくいくよう祈っております」
八栄はいつも通りの穏やかな笑顔で聖輝とアミュウを送り出した。
ピネードの山道を下り、流れ橋を越えると、聖輝は馬車鉄道南北線に乗り込んだ。中央広場停留所で東西線に乗り換えると、ソンブルイユ教会はあっという間だ。
門前町の参道を行き、納骨堂を通り過ぎて正面階段を上っていく。聖輝は聖堂に入ると、迷わず会堂を進み、交差部を右側へ折れて外廊下へ続く扉を開いた。
ひんやりとした外気がスカートの裾から侵入してくる。アミュウは思わず身震いしてから、辺りを見回した。昼の光のもとで目にする教会の中庭は、先日訪れたときとは印象が異なったが、聖堂の背面の施療院には確かに見覚えがあった。聖輝はそちらを指さした。
「あれが施療院です。分かりますね? 面接が終わったらそちらへ向かうので、ジークの退院準備をしていてください」
「ええ」
アミュウは施療院の方へ向かう途中で、振り返って聖輝の方を見た。聖輝の方でも、事務棟へ足を進めながらアミュウの方を振り返ったところだった。
「面接、頑張ってくださいね」
「もとより拝聖するつもりはないのですから、気楽なものです。それでは、また後で」
事務棟へと消えていく聖輝の背中を見送り、アミュウは施療院に足を踏み入れた。
ジークフリートは起き上がってアミュウを待ち構えていた。
「よお! 久しぶりだな」
「呑気に言わないでよ……たった五日ぶりでしょう」
アミュウは呆れた。もとはといえば、ジークフリートが無茶をして細菌感染を起こしたために、入院騒動となったのだ。
「寝ながら過ごす五日間っつーのは、死ぬほど退屈だぜ」
「自業自得でしょう。言っておくけど、寝る場所が施療院から聖輝さんのおうちに変わるだけよ。傷がふさがるまでは絶対安静なんだからね」
アミュウの言葉に、書類と薬を持ってきた牧師も深く頷く。
「お嬢さんの言うとおりです。また傷が開いたらどうするんですか」
「……っせーな、わかったよ……」
ジークフリートは俯き、牧師の差し出す書類にサインする。牧師はジークフリートとアミュウに薬の服用方法について説明した。
少ない手荷物をまとめてしまうと、途端に手持無沙汰になった。アミュウはベッドサイドの丸椅子に腰かけて足をぶらつかせる。寝巻を着替え、セドリックのお古のジャケットを着込んだジークフリートは、ベッドに腰かけたまま、奇妙な体勢で背筋を伸ばしていた。やはり傷が痛むらしい。
ややあってから、ジークフリートは口を開いた。
「あのさ。聖輝のねーちゃん、大丈夫か」
思いがけず深輝の話題が飛び出して、アミュウは心底驚いた。アミュウは先達ての深輝の話を思い浮かべながら、注意深くジークフリートに問い返した。
「大丈夫っていうのは、どういうこと?」
「いや、なんていうか……元気がねえっつーか……塞ぎこんでるっつーか。平気なふうに振舞ってるけどさ」
ジークフリートは赤毛をわしゃわしゃと搔き乱す。アミュウはこの粗野だが心優しい友人を見直した。彼は、深輝が思い悩んでいるのに気付いていたのだ。彼は言葉を続けた。
「俺は男だから分かんないけどさ、やっぱ、腹に赤ん坊がいるって普通じゃねえと思うんだ。その上、父親の話がいっさい出てこねえ……俺は気の利いたことは言えねえけどよ、アミュウは女同士だし、その辺の微妙な扱い、うまいだろ? ちょっと気にかけてやってくれよ」
アミュウが頷くと同時に、何か空気が硬化したような、奇妙な気配を感じた。
「う、うわああぁぁぁ⁉」
中庭の方から、男の悲鳴が聞こえてくる。ジークフリートの目つきが険しくなった。
「なんだってんだ、おい!」
アミュウは即座に椅子から立ち上がり窓辺へ駆け寄るが、角度が悪く、この病室からは中庭を見通せない。アミュウは病室を飛び出した。すると、施療院の玄関扉が開いて、事務員風の男が中庭から駆け込んできた。血相を変えた男は大声で叫んだ。
「誰か、施療師の先生はいませんか⁉ 早く来てください!」
「何事ですか、騒々しい」
先ほどまで病室に詰めていた牧師が、奥から顔を出す。
「大変です、人が刺されました」
アミュウの胸が音を立てて縮こまった。アミュウは惑乱している事務員を押しのけて、施療院を出た。
外に出た途端、ぴりりと肌が焼き付くような緊張感が走った。寒さのせいだけではない。
広場の中央よりやや事務棟に近い場所に、今、血だまりが広がりつつあった。その中に倒れているのは、アミュウの見慣れぬコートを着た男だった。その男の髪が黒くなければ、肌が黄色くなければ、アミュウは彼を見間違えていたかもしれない。
見間違いであってほしいとアミュウは願った。
倒れていたのは、父親から借りたコートを身にまとった聖輝だった。




