6-34.自らの手は汚さずに
ジャレッドはいやにゆっくりと礼を取ると、聖輝に訊ねた。
「こんな時間に教会に御用ですか」
「ええ、ちょっと」
聖輝が煩わしげに答える。聖輝の態度には拒絶的な雰囲気がにじみ出ていたが、ジャレッドは引き下がらず、眼鏡の奥の目を細めてくつくつと笑いながら話を続ける。
「お友達がネンネしているようで。正月からケンカとは大変でしたねぇ」
(この人……御神楽の屋敷の事情をどこまで知っているの?)
アミュウは気味が悪くなって後ずさった。ジャレッドは法王との距離が近いと聞いた。そのために色々な情報が入ってくるのだろうか。
聖輝はジャレッドの絡むような物言いには取り合わなかった。
「ええ、そうですよ。色々と取り込んでいますので、失礼します」
踵を返した聖輝に、ジャレッドはなおもつっかかってきた。
「お忙しいのですねぇ。ご無理をなさるとお体に障りますよ、斎王のように」
「ご心配痛み入りますが、その必要はありませんよ」
聖輝は目線だけで振り返ってジャレッドを睨みつけたが、ジャレッドは意に介さないかのように薄笑いを続けていた。
「斎王はご健勝ですか。きちんとものを召し上がっていますかね」
これには流石の聖輝もうんざりしたようで、身体ごとジャレッドに向き直り、はっきりと言い返した。
「エヴァンズ助祭。あなたは姉のことを根掘り葉掘り聞こうとなさる。そのような態度はやめていただきたい」
「これは失礼、怒ってしまわれたかな。しかし、無関係ではありませんからねぇ」
ジャレッドの言葉を受けた聖輝は何か言い返そうとしたが、すぐに青くなって黙り込んでしまった。
「まさか……いや、それはあまりにも」
アミュウはそっと聖輝の顔色をうかがう。彼は目を見開いてジャレッドを見据えていたが、その口から次の言葉が発せられる気配はない。代わりにアミュウが口を開いた。
「あなたが深輝さんのことをあれこれ聞こうとするなら、私も質問させてもらうわ。シンプトン農場のマイラさんのこと、覚えていますか?」
ジャレッドの唇は弧を描いて薄ら笑いを浮かべたままだったが、目からは笑みが消えた。背後の事務棟から漏れる灯りを反射して、金縁眼鏡の蔓が甲虫のように照り輝いている。冷たい風が吹いて、アミュウは思わず肩を縮こませたが、外套もひっかけずに立っているジャレッドはびくともせず、わずかにダークブロンドの縮れ毛の房が揺れただけだった。
「あなたは父に、あの女について何か訊ねていたそうですね。昔の痴話げんかを掘り返して、さぞ楽しいでしょうねぇ……まあ、いいでしょう」
ジャレッドは宙を見上げた。空には薄雲が広がり、月はまだ上がっていない。
「シンプトンの娘は生意気な女でした。ちょっとばかり顔と身体は良かったが、それを鼻にかけて図に乗って。よその街の男に気に入られて、そいつがたまたま土地持ちの息子だったからといってすぐに股を広げるような、あばずれでしたがね。まんまとそいつと結婚して甘い汁を吸っていたから、当て馬をけしかけてやりましたよ」
ジャレッドは声を上げて笑う。胸の奥から湧き上がる嫌悪感にアミュウは眉をひそめて、オウム返しに訊ねた。
「当て馬?」
「そう。お嬢さんのご記憶にもあるでしょうか。ほら、先達ての感謝状授与式にも来ていたあのクソババア。ドゥ・ディムーザン卿のところの召使いですよ」
アミュウは息を飲んだ。
いつも何かに疲れたような、何かを諦めたような、ルシールの化粧っ気のない顔が目に浮かぶ。ジョンストンとヘンリーは、何と言っていたか。ジョンストンと婚約していたルシールは、マイラが現れたために婚約破棄を余儀なくされた挙句、彼女が継ぐはずだった畑を丸ごとタルコット本家に横取りされたと話していた。そしてその恨みを、彼女はマイラにぶつけたとも。
心労の重なったマイラは、ジョンストンと、生まれて間もないイアンをカーター・タウンに残して、スタインウッドへ出戻った。そして無理を押して修道に入り、ジャレッドの養父・グレゴリーの元で隠遁生活を送ったのだ。数年後に突然カーター・タウンに舞い戻り、夫への恨みを込めたナイフをタルコット家の庭に埋め、柿の木に首を吊ったというのは、アミュウもよく知るところだ。
このタルコット夫妻の波乱に満ちた結婚生活が、表にあらわれるだけのゴシップであったなら、アミュウは深入りしなかっただろう。しかし、土台、呪いのナイフに教会が関わっている点からして妙だったのだ。マイラの母・キンバリーは、彼女はジャレッドに色目を使われていたと話していた。これらの悲劇の裏で、マイラの気を引くことができなかったジャレッドが逆恨みして、同じく恋破れたルシールを焚き付けていたとしたなら、ジョンストンを顧客に持ち、イアンに対しても母親のような情を抱いているアミュウとしては、看過できない。
いかにマイラが修道を望んでいたとしても、ほんの数年のうちに外道である呪術を学ぶことは難しいだろう。ましてや、スタインウッドは田舎の小さな村だ。グレゴリーも、自身がマイラに呪法を授けたとは言っていなかった。老司祭が示唆していたとおり、道を修めようとするマイラにジャレッドが手ほどきしたのではないか。
アミュウは知らずこぶしを握っていた。絞りだした声は、自分でもみっともないと思うほど震えていた。
「……それでマイラさんを追いつめて、ジョンストンさんを呪うよう仕向けたんですか? 自分の手は汚さずに?」
ジャレッドはせせら笑った。
「ジョンストン? はて、どなたでしょうか。それがあの女の連れ合いの名なのですか?」
アミュウはたまらず一歩踏み出した。しかしその腕を聖輝が掴んで引き戻した。
「アミュウさん。こらえて下さい。証拠がありません」
ジャレッドの高笑いが薄曇りの夜空に響いた。背後からの灯火を受けて、彼の金縁眼鏡が冷たい光を放っている。眼鏡の向こうの三白眼はさらに冴え冴えと冷え切っていた。
「証拠――なんのことでしょうかねぇ。とんと見当もつきません。昔の話など面白くもなんともない。私としては、斎王が無事に元気な御子を出産されますよう、願うばかりですよ。くれぐれも斎王によろしくお伝えくださいね、聖輝どの」
ジャレッドはもう一度高笑いを響かせて、事務棟へと戻っていった。アミュウは、自分の腕を掴む聖輝の手が震えていることに気付いた。その手を外してからそっと自身の両手で包み、アミュウは聖輝に礼を述べた。
「ありがとうございます、お陰で頭が冷えました……聖輝さんは、大丈夫ですか?」
聖輝はゆっくりと視線をアミュウに合わせた。
「ええ、平気です。一刻も早く実家に戻りましょう。姉に確かめなければならないことが、山ほどあります」
アミュウは少し考えてから答えた。
「そうですね。でも、このまま帰ってしまっては、八栄さんを困らせてしまいます。ひとまず何か食べてから帰りましょう。ね?」




