表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第六章 きくは我

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

214/285

6-33.見舞い

 街門は、門番の衛兵たちが日没と判断したときに、容赦なく閉じられる。例え日の沈み切る前に入市手続き待ちの列に並んでいても、である。

 アミュウと聖輝はうまく日没前に壁内街区(アンテリウール)へと滑り込んだ。その上、街門と同様、日没とともに運行終了となる馬車鉄道にも乗り込むことができた。南北線に乗ってブールヴァールを北上し、中央広場停留所で降りる。そのころには馬車鉄道東西線の運行時間は既に終わっていたので、あとは徒歩でソンブルイユ教会へと向かう。


 日暮れ後とあって、大晦日に見たような混雑ぶりではなかった。それでも人通りは絶えず、目抜き通りである中央広場界隈の店は、煌々(こうこう)と灯りをともし、日没後も営業を続けていた。車道には、富裕層の使う馬車がまばらに家路を急いでいた。

 年の瀬にロサと鉢合わせた歩道を、今度こそ聖輝とはぐれないよう、すぐ後ろについて西へ西へと向かう。アミュウは先を行く聖輝の背中に訊ねた。


「日が暮れてしまいましたが、施療院に入れるんでしょうか?」

「通用口から入ります。まあ、私は顔パスだから大丈夫ですよ」

「私は? また外で待つんですか?」


 聖輝は声を上げて笑ってから振り向いた。


「いつぞやのナイフの調査じゃないんですから、一緒に来て大丈夫です。安心なさい」


 アミュウは、なんとなく子ども扱いされたようで、面白くない。それきり黙っていたが、既に店じまいとなった花屋を通り過ぎるときに、思わずこぼした。


「……花束でも用意できたらよかったのに」


 その界隈は既に門前町となっていて、人通りはぐっと少なくなっていた。聖輝は歩調を緩めて、アミュウの隣を歩きながら言った。


「今日のところは駆けつけるだけでよしとしましょう。ジークが花を愛でることのできる容態なのかどうかも分かりませんし」


 アミュウは顔を曇らせた。聖輝の言うとおりだ。まずはジークフリートがどのような状態なのか、確かめなくてはならない。


 納骨堂のところで、聖輝は参道から外れて裏道に入っていった。道と呼ぶことも躊躇われるような、納骨堂と修道院の間の隙間をずんずん分け入り、納屋を撫でるようにして回り込むと、ソンブルイユ教会を囲む並木の裏手の、未舗装の坂道へと出た。

 形ばかりの門となっている通用口は胸の高さの錆びついた門で、開くときに嫌な音がした。坂の左の斜面は雑木林で、そのすぐ奥が西の街壁だ。右手は石壁で、これはどうやら聖堂の基礎部分らしい。表参道の灯火は届かず、暗闇の中に聖輝の白い二重マントがぼうっと浮かび上がる。靴裏の感触から、坂道は小石が除かれ、掃き清められていることが分かった。


 坂を上がると、そこは併設された孤児院の裏庭で、ちょうど夕飯の支度をしているのだろう、炒めた玉ねぎの香りが充満していた。外廊下を横切って中庭に出ると、右手に聖堂の背面が、左手に施療院があった。聖輝は慣れた足取りで施療院の玄関口に向かい、ノックもせずに木の扉を開けた。

 アミュウは彼の後ろからするりと院内に体を滑り込ませ、辺りを見回して溜息をついた。等間隔に設置されたランプの灯りに浮かび上がる施療院は、これまでに見たどの施療施設よりも整然としている。玄関に入ってすぐのカウンター奥はカルテ庫となっており、患者情報をすぐに引き出せるようになっている。小ざっぱりとした廊下の壁際には長椅子が並んでいて、この施療院のキャパシティの大きさを示していた。開きっぱなしの扉の奥にはメインとなる施療室が窺える。なかなかの広さのようだ。聖輝はその施療室にひょいと頭をのぞかせて声を張り上げた。


「夜分の来訪をお許し願いたい。数日前にこちらに運び込まれたジークフリート・ヴィルヘルムスはどちらでしょうか」

「おや」


 奥から声と足音が聞こえてきた。白衣姿の中年の牧師がやってきて、聖輝の前で足を止めた。


「御神楽大司教枢機卿のご子息ではありませんか。ヴィルヘルムスさんのお見舞いですか」

「ええ。可能であれば本人に面会したいのですが」

「どうぞ。あちらの病室です」


 白衣の牧師は廊下に出て、さらに奥の病室へと案内した。きしむドアを開けると、十台ほどの寝台が並び、衝立で区切られていた。患者が横たわっているのはほんの数台で、そのうちのひとつに牧師は足を運ぶ。


「ヴィルヘルムスさん。お客様ですよ」


 ジークフリートは、背中の傷をかばってか、うつぶせになっていた。上掛けからのぞく手からは、点滴の管が伸びている。彼は薄目を開けてアミュウたちの顔を見るや、肘をついて起き上がろうとしたが、すかさず牧師が制した。


「起き上がってはいけません。絶対安静ですよ」


 牧師は容赦なくジークフリートの頭を枕に沈める。彼のトレードマークの赤毛は、気のせいか色艶を失って見えた。目もとろんとしている。


「ジーク、具合はどう?」


 膝を折って寝台の高さに目線を合わせたアミュウがジークフリートに問いかけると、彼は力なく笑った。


「おうよ。こんなかすり傷、すぐに塞がらあ。お前こそどうだ? おやっさんと話せたか? お師匠さんとお別れできたか?」


 弱り切った状態でなおアミュウのことを気にかけるジークフリートの優しさが胸に迫り、アミュウは小さく頷くことしかできなかった。


「彼は今どういう状態なんですか?」


 聖輝が白衣の牧師に訊ねる。


「傷が開いたところで細菌感染したようでしてね。ずっと高熱が続いていたんですが、ようやく今日になって少し食事が取れるようになりました」

「傷が開いた? ジーク。あなたまさか、無理をしたのではないですか」


 聖輝が鋭い声で問うと、ジークフリートはぶっきらぼうに答えた。


「……なんもしてねえよ」


 白衣の牧師が咳払いをしてから冷たく言い添えた。


「傷のふさがらないまま出歩いて出血したと、申し送りを受けていますが?」

「何それ⁉ ジーク、まさかとは思うけど、ナターシャを探してほっつき歩いたんじゃないでしょうね?」


 アミュウが問い詰めるが、ジークフリートはうつぶせで枕に顔をうずめたまま声を上げなかった。


「信じられない……八栄さんたちにどれだけ迷惑をかけたと思っているの」


 口に出してしまってから、アミュウは言い過ぎた気がして語気を弱めた。


「……何か、心当たりがあったの?」


 ジークフリートは黙ったまま寝巻きの胸ポケットから何かを引きずり出した。ゆっくりと開いた手のひらには、アモローソ王女の残したアメジストの首飾りが、病室のランプの灯りを反射して燦然さんぜんと輝いていた。彼がそれを施療院にまで持ち込んでいるという事実に、アミュウは愕然とした。


「……布団で寝てるとさ、あの夜の夢ばかり見るんだ。で、ナタリアが王女になったところで決まって目が覚める。笑わねえでくれよ。嫌な予感がするんだ。なんだか、もうすぐ取返しのつかないことになるような……」


 ジークフリートは首飾りを握りしめて言葉を続けた。


「……おかしいよな。もう既に取返しのつかねえことになっちまったってのに」


 アミュウは唇を噛んだが、すぐに冷静さを取り戻し、ジークフリートの頭を撫でた。


「安心して。ナターシャのことは私と聖輝さんで必ず探し出すから。まずは傷を治すことに専念してね」

「アミュウさんの言うとおりです。あなたがいつまでも伏せっていたら、ナタリアさんに笑われてしまいますよ」


 アミュウに続いた聖輝の言葉には、彼がジークフリートに向けるものとしては珍しく、気遣わしげな雰囲気がにじんでいた。


 そろそろ退出すべき頃合いだった。

 白衣の牧師はランプの光を弱めながら説明した。


「ヴィルヘルムスさんにはもう数日点滴が必要ですが、熱がすっかり下がったら退院してよろしいでしょう。二、三日のうちにまたどなたかいらしてください」

「分かりました」


 聖輝は病室を出た。アミュウも立ち上がり、「お大事にね」と言い残して後に続く。白衣の牧師に礼を述べてから施療院を出ると、すっかり深まった夜の中庭を冷たい風が吹き抜けた。聖堂を見上げても、ステンドグラスは暗く輝きを失い、色味すら分からない。


「思ったほど深刻な状態ではありませんでしたね」


 うんと伸びとしながら聖輝が言うが、アミュウの声は浮かない。


「元気ってわけでもありませんでしたけどね」

「ラ・ブリーズ・ドランジェからずっと元気がありませんね。ジークらしくもない」

「元気を出せという方が無理ってものかもしれませんね……さて、帰りもあの暗い坂道ですか?」


 アミュウが孤児院の方へ戻ろうとぐるりと身体の向きを変えると、事務棟の前に誰かが立っているのに気が付いた。


「あら?」


 その人物は、事務室から漏れ出る灯火を受けて逆光になっていた。しかしこちらをじっと見ているのは明らかだ。アミュウは目を凝らし、あっと声を上げた。聖輝もその人物に気が付いたようだった。

 スタインウッドのグレゴリー・エヴァンズ司祭の養子、ジャレッド・エヴァンズがにやにやと薄笑いを浮かべて、アミュウたちを眺めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Copyright(C)2018-志茂塚ゆり
cont_access.php?citi_cont_id=11211686&si

小説家になろう 勝手にランキング
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ