6-31.ディムーザンの情報源
アミュウと聖輝は先に宿へと戻っていたドロテをつかまえ、御用達証明を手渡した。その足でセントラル・プラザの荷運び屋へと向かうと、さっそく御用達証明が役に立った。
「かなり狭くなるが、積み荷と一緒でよければ、ラ・ブリーズ・ドランジェまで運んであげられるよ」
気の好さそうな番頭は手元の帳簿を見て言った。大型獣事件から十日ほどが経ち、少しずつ物流が回復しつつあるのかもしれない。
「明日の朝一番の便だ。馬を増やさなきゃならないから、その分は追加料金をもらうよ……ざっとこんなところだ。どうだい?」
番頭は算盤をはじいて見せた。ドロテが嬉しそうに手をたたく。その上アミュウの手を握ろうとしたものだから、アミュウは辟易した。聖輝は番頭に頷く。
「是非お願いします」
「前料金で頼むよ。今、勘定はできるかい」
アミュウはさっと財布を取り出して支払いを済ませた。番頭から手形を受け取るとき、じっとりと重たい聖輝の視線を肌に感じた。
荷運び屋を離れてから、聖輝はため息交じりに言った。
「お願いですから、ああいう場では私に支払わせてください。面目丸つぶれです」
聖輝は馬車の運賃の全額をアミュウに差し出すのを、ドロテが慌ててさえぎった。
「いえ、御用達証明は私のものですし、これも経費のうちですから……!」
アミュウはすがりつく二人を引きはがした。
「分かりました、運賃は割り勘で! そもそも今回カーター・タウンに帰ってきたことだって私の都合なんですし、本来ならうちに泊まるはずだったんですから、聖輝さんの宿代だって私が持つべきなんですよ」
アミュウはぼやきながら、聖輝とドロテからきっちり三等分の金を受け取った。
そのままキャンデレ・スクエアへ向かい、アミュウは二人と別れた。冬の日は短い。既に夕刻に差しかかっていたが、アミュウは街のあちこちに飛んで、出立の挨拶を済ませた。
エミリは「気を付けてね」と言ってアミュウの手を握った。
ジョシュアは残念そうに「また行っちゃうの?」と口をとがらせたが、イアンは何も言わず、表情らしい表情を浮かべないまま、ジョシュアの後ろで呆然としていた。アミュウは彼に声をかけたくなるのをこらえた。イアンが、きっと自分でもそうとは分からないほどに淡い好意をアミュウに向けてくれているのであろうと、肌で感じていた。だからこそ、アミュウはイアンを特別扱いしてはいけないのだと心得ていた。
モーリスは、ほんの一瞬不安そうな顔をしたが、すぐに笑顔で旅の無事を祈ってくれた。彼は近くメイ・キテラの家に移り住む予定だとのことだ。アミュウは彼に、見送りには来ないよう言い添えた。ドロテが同行するからだ。またアミュウは、東部地区の食料品店の主人に、この土地に慣れないモーリスが困らず暮らしていけるよう世話してほしいと頼み込んだ。主人は二つ返事で引き受けた。
翌朝、街はずれの駅にはイアンとジョシュア、エミリだけが見送りに来た。公務で忙しいセドリックとヴィタリーとの別れは、カーター邸で済ませてきた。
冬の曇天の下での寂しい見送りだった。部外者であるドロテの手前、別れの挨拶は簡素なものとなった。エミリはドロテを抱き寄せて、頬に軽いキスを落としてから、アミュウの肩にそっと手を置いた。
「ひとりで頑張ろうとしては駄目よ。周りを頼ってね」
アミュウはショールをしっかりとかき寄せて頷いた。ドロテはふにゃりと笑って言った。
「また納品のときに会いにいくわ。一週間後にね、ママ」
エミリは腕の中のドロテから、既に荷台へ上がりこんだ聖輝へと目を移した。
「アミュウさんをよろしくね」
「もちろんですとも」
聖輝は苦笑いを浮かべて承諾した。
挨拶が一段落したと見るや、御者は手綱をぴしゃりと鳴らした。その音を合図に、アミュウもドロテも荷台へ上がった。
「……元気でね!」
エミリの声を最後に、馬車は田舎道を滑りだした。四頭の馬の牽く車は早い。あっという間にエミリたちの姿は豆粒ほどとなり、葡萄畑の枯れ枝の向こうに消えていった。
荷馬車はラ・ブリーズ・ドランジェ直行便だった。時々馬を休ませるほかは寄り道もせず、街道をひたすら北上した。
すっかり枯れて茶色くなった牧草地帯を飛ぶように過ぎ、まだ日の上りきらないうちにスタインウッドに到着する。小休憩を挟み、荷馬車はすぐにラ・ブリーズ・ドランジェに向けて出発した。三本の川にかかる石橋はそれぞれに古びた意匠で、目に楽しい。遠くに見えるデウス山脈は、見る角度によって刻々とその表情を変えた。この道を歩いて南下したのはほんの五日前だ。馬を使えば、道中はこんなにも速く安全で快適だーー揺れで悲鳴を上げる腰の痛みを除けば。
馬を追加したこともあって、駅馬車なら一日がかりの路程を、ずいぶん早く駆け抜けた。
ラ・ブリーズ・ドランジェに到着してドロテと別れたとき、まだ精霊鉄道の午後便まで時間があった。切符を買ってからどこかのカフェで休もうかと駅前広場を出たところで、先を行く聖輝の足が止まった。聖輝の背中に鼻先をぶつけたアミュウが抗議しようと非難の声を上げようとしたが、尻切れトンボとなった。聖輝の視線を追う先、ジャスマン通りに面した暗い路地に、カルミノ・ザッカリーニが立っていたのだ。
カルミノは路地に入るよう手ぶりで示した。アミュウは聖輝と顔を見合わせてから、小さく頷き合うと、カルミノの立つ路地に足を踏み入れた。ただし、ほんの入口で立ち止まる。
そこは路地というよりも、建物と建物の間の隙間といった方が正しいのかもしれない。住人や猫がほんの通り抜けに使うような狭い小路だ。往来の激しいジャスマン通りとはうって変わって、住人の生活音が聞こえてきそうなほど静かだった。カルミノは路地裏の壁に背を預け、自分の靴先を眺めていた。
「なんのつもりだ。まだ後をつけていたのか」
聖輝が警戒心をあらわに問いただす。カルミノは首を横に振った。
「言っただろう。四六時中貴様らの後を追っているわけではないと。感謝状授与式での娘っ子のあわてぶりを見れば、カーター・タウンへ行ったのだと誰にだって分かる。故郷は無事だったか」
カルミノはアミュウへと視線を向けた。彼の真意をはかりかねて、アミュウはぼそぼそと答えた。
「被害は大きいけど、街は概ね無事よ……」
「それは何よりだ」
「世間話をしに来たのか」
聖輝が鋭い声で問うと、カルミノはふっと笑みをこぼした。
「なに、あそこには少しばかり滞在したが、良い土地だったからな。動静が気になっただけだ……むろん、本題は別にある。貴様らは、これから何のために王都へ戻る?」
アミュウは顔をしかめた。
「あんたがケガを負わせたせいで、ジークの具合が悪くなったからよ」
アミュウは精いっぱい嫌悪感を顔に表したつもりだったが、カルミノは眉一つ動かさなかった。
「そのことなら先日謝罪したな。貴様らの本来の目的は、運命の女を探すことだ。違うか?」
アミュウが返事に詰まるのを見て、聖輝がカルミノの問いかけを一蹴した。
「答える義理はない」
「そうか。だがこちらには貴様らに伝える義理があると考えているのでな」
カルミノは漆喰の壁に背を預けたまま、脚の前後を組み替えた。足裏の金属板が建物の基礎にぶつかって、ゴツンと鈍い音を立てる。聖輝は眉を寄せた。
「伝える? 何を?」
「我が主公から、新たな命が下された。運命の女を探し出して、ラ・ブリーズ・ドランジェに連れてくるように、だそうだ」
聖輝の眉根の皺がいっそう深くなった。
「しつこいぞ。……この期に及んでなぜナタリアさんを狙う?」
「そこまでは俺も聞き及んでいない。しかし、貴様の入れ込みようを見れば、あの娘が最重要なカードであることは自ずと知れる。それに……」
そこでカルミノは言葉を切って、少しの間聖輝をじっと眺めてから、再び口を開いた。
「主公は、あの女とお前が起こすであろう奇跡とやらに、興味があるようだ。俺自身は何の興味も湧かないが。どうやら何者かがあの方に吹聴しているようだな」
アミュウは、知らぬうちにカルミノの言葉を繰り返していた。
「吹聴……?」
「詳しくは俺も知らん。だが、ずっと前から感じていたことだ。主公には、なにか有力な情報源があるらしい。出所のわからない、怪しげな話ばかり吹き込まれているようだがな」
そこまで言うと、カルミノは壁から背を離し、アミュウたちの前を通り過ぎていった。アミュウはその背中に問いかけた。
「ザッカリーニ。なんでそんなことを私たちに教えるの?」
カルミノはほんの一瞬足を止めてから、振り向かずに言った。
「言っただろう。義理を感じているからだ。目的が同じなら、いずれどこかで鉢合わせるかもな」
そしてカルミノの背中はジャスマン通りの雑踏へと消えていった。




