1-20.ジョンストン・タルコット【挿絵】
支払いは、聖輝がもった。
「年上男性を立ててください」
そう聖輝は言ったが、一人前ではないと軽んじられている気がして、アミュウは面白くなかった。聖輝が給仕に金を渡すのを見ながら、あの金の出どころはオリバーの財布なのだと、ぼんやり考えていた。礼を言う気になれなかった。
アラ・ターヴォラ・フェリーチェを出ると、聖輝は訊ねた。
「アミュウさんは、この後どうするつもりですか」
アミュウは答えに詰まった。今日は聖輝と会った後、ジョンストン・タルコットを訪問するつもりだったが、また聖輝に邪魔をされたらたまらない。
「ひょっとして、お仕事ですか」
アミュウはぴくっと肩を震わせた。
「そうなんですね」
「ついてこないでくださいよ、迷惑です」
「そんなことおっしゃらずに」
どちらからともなく、自然とキャンデレ・スクエアの広場へと足が向いた。広場では大勢の子どもたちがめいめいの方角に向かって歩いていた。
「ん?」
「あれって……」
広場を横切って南側へと歩いていく子どもの姿があった。ジョシュアだった。
「カーターさんに、牧師の先生!」
ジョシュアの方もアミュウたちに気が付き、大きく手を振って走り寄ってきた。
「こんにちは、お父さんの具合はどう?」
「もうすっかり良くなって、今日から仕込みに入っています」
「それは良かったわ」
アミュウの隣で、聖輝がにやにやと笑っている。アミュウは嘆息を噛み殺した。あのしたり顔が憎たらしい。アミュウは聖輝からジョシュアのほうに目をやって訊ねる。
「学校の帰りなの?」
「うん。これから、イアンの家に行くんです」
そう言ってジョシュアは、手提げ袋から封筒を取り出して見せた。
「あいつ、今日も欠席で、学校の手紙を預かってきたんです。昨日だったら、本人が直接受け取れたのになぁ。」
アミュウは、口にするかどうか迷いながら言った。
「私も、ちょうどこれからイアン君のお家へ行こうと思ってたの」
聖輝がアミュウを見る。聖輝に行先を知られるのは面倒だが、下手に誤魔化そうとしたところで、何も言わないまま先方でジョシュアと鉢合わせをしたら格好がつかない。
「……と言っても、イアン君でなくて、お父さんに用があるんだけどね」
「一緒に行きますか?」
ジョシュアはアミュウを見上げて訊ねた。その目は曇りなく、白目は青みがかって、きらきらと輝いていた。そしてその目の輝きをそのままに、ジョシュアは聖輝に顔を向けた。
「牧師の先生も、一緒に」
――ぷっ。
聖輝が吹き出した。アミュウは眉間を固くしぼった雑巾のようにしわくちゃにして、声を絞り出した。
「……いいわ、一緒に行きましょう」
ジョンストン・タルコットの家は、カーター・タウン南部辺縁にあり、キャンデレ・スクエアからは徒歩で二十分ほどの距離だ。町の南は農耕地帯となっていて、さらに南に下ると、アミュウの住む森がある。ベイカーストリートは北部にあるので、ジョシュアの帰り道とは真逆の方向だ。アミュウは、なぜ先生は近所の生徒にお使いを頼まなかったのか、ジョシュアに訊ねた。
「だって、クラスの中でイアンと話せるの、ぼくしかいないんですよ。先生も、ぼく以外に頼みようがないんだと思います」
今朝見た夢が思い出された。あの騎士も、同級生の中で孤立していた。アミュウの胸がぎゅっと痛んだ。
「そのイアン君というのは、お友達が少ないんですか」
聖輝が話に割って入ってきた。
「一人だけ、ニリューなんです」
「ニリュー?」
アミュウが首を傾げた。ジョシュアがアミュウに説明する。
「二年、留年してるんです。ぼくらはまだサード・グレードなのに。それに、イアンってばあんまり学校に来ないし、来てもずっと黙ってるから、話しかけづらいんです」
聖輝が「ふぅむ」と納得したような声を出した。
「それでも、ときどきは学校に来るんでしょう。感心ですね」
「前はもっと来てたんだけど、最近はあんまり。雨の日しか来なくなっちゃいました」
話しているうちに、ジョンストン家に着いた。広い庭には花も無く雑草がはびこり、物干しざおがあるあたりの砂利の合間からはセイタカアワダチソウがにょっきり伸びていた。一本だけ植えられた柿の木には薄く色づき始めた実が連なっていた。これから甘く実るだろうが、庭の荒れ具合を見る限りでは、収穫されずに腐っていくのではないかと、アミュウは訝しんだ。
アミュウがドアの戸を叩く。
「ジョンストンさん、魔術師のカーターです」
柿の木にヒヨドリがとまり、ビイィィィー……と高く鳴いて、飛んで行った。暫く待っても返事は無い。アミュウがもう一度戸を叩こうとしたとき、ゆっくりと扉が開いた。
「……」
扉の奥から、髪も髭も伸び放題の痩せた中年男性が無言で出てきた。陰鬱な目が落ちくぼみ、金髪には脂がまみれ、輝きを失っている。ガウンも羽織らず寝間着姿のままだった。
「お久しぶりです、ジョンストンさん。先日はご挨拶もせずに失礼しました。こちら、教会からいらした聖輝さんに、イアン君のクラスメイトのジョシュア君です」
アミュウは努めて穏やかな声で、珍客の二人を紹介する。
「……イアンなら、畑です」
ジョンストンの口から、枯れ葉のように乾いた声が上滑りして漏れた。アミュウがジョシュアのほうを見ると、ジョシュアは顔色も変えず頷いて見せた。ジョンストンの様子に慣れているらしい。聖輝のほうを見てみると、いつものような胡散臭い笑みを浮かべているかと思いきや、無表情でジョンストンを見ていた。
「……」
ジョンストンは黙って聖輝の胸元あたりを見つめ、それからアミュウを見た。アミュウは、ジョンストンが聖輝の来訪を胡乱に思っているのだと気づいた。今日の聖輝は、いつもの白いチュニックを着ておらず、教会関係者のようには見えない。そのくせ、彼は自己紹介をするでもなく、ただ黙っていた。
「聖輝さんは牧師見習いで、施療の勉強のために一緒に来てもらっているんです。お邪魔でしょうか」
仕方なく、アミュウが昨日聖輝から聞いた口上を繰り返すと、ジョンストンは大儀そうに首を横に振った。邪魔ではないらしい。
「お家に上がらせて頂いても、いいですか」
「……どうぞ」
ジョンストンは身体をずらし、アミュウたちを招き入れた。庭だけでなく、家の中も荒れていた。玄関先には土がついたままの農具が山と積まれ、居間に続く廊下には、そこに水瓶があるわけでもないのに、唐突に柄杓が転がっていた。居間はもっとひどくて、ソファには毛布が散らかり、食卓の上は洗われていない食器で占領され、鞄や脱ぎ散らかした衣類が床に転がっていた。
「……適当に座ってください」
ジョンストンがそう言ったが、アミュウはどこに座ればいいのか分からなかった。椅子もあるにはあったが、背にはタオルが掛けられ、座面には脱いだ靴下が丸まっていた。立ったまま途方に暮れていると、ジョンストンがタオルと靴下を回収して、居間を出てどこかに行ってしまった。
「アミュウさん、気付きましたか」
聖輝が背を丸め、小声で話しかけてきた。
「ジョンストンさんは、極度に気力が弱っているんです。いつもこうですよ」
「違います、そうじゃなくて」
聖輝はあちこちに目を走らせながら、さらに小さな声で言った。
「今度こそ、憑いているんです」




