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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第六章 きくは我

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6-26.再起、そしてマイラとルシール

 はじめにアミュウと聖輝の姿に気が付いたのは、ジョシュアだった。家の前の農道に出した手押し車に瓦礫を積んでいた彼は、二人を見つけると大きく手を振った。


「おぉーい!」


 ジョシュアの幼く屈託のない笑顔に、アミュウの心は自然とほぐれた。手を振り返すと、ジョシュアは庭からイアンを引っ張ってきた。イアンは聖輝の姿を見て目を丸くした。


「ミカグラさん! ……もう大丈夫なんですか?」


 聖輝はにっこりと笑って答えた。


「ええ、この通り」


 イアンの表情がほっと緩む。その顔つきを見れば、イアンがどれだけ聖輝を心配していたかが窺えた。アミュウはイアンの背後の家屋を見回して言った。


「話には聞いていたけど……めちゃくちゃね」


 崩れた壁の内側から、家財道具を抱えたジョンストンが姿を現した。伸びた髪をイアンと同じに後ろで括り、髭はさっぱりと剃り落としている。彼は庭の大八車に積んだ行李こうりに荷物をしまい込むと、アミュウたちに近づいてきた。


「カーターさんにミカグラさん。イアンが世話になりました」


 大八車の近くにはジョンストンとよく似た男がしゃがみ込み、荷物の整理をしていた。アミュウには、その男に見覚えがあった。赤みの差した瞳はジョンストンやイアンとよく似ている。昨年の秋、タルコット家の麦畑にグラッパの搾りかすを届けに来た男だ。確か、イアンの伯父と言っていた――その男が立ち上がり、「やあ」と言ってアミュウたちに向かって帽子を脱いだ。アミュウたちも挨拶を返すと、ジョンストンが男を紹介した。


「兄のヘンリーです。兄さん、この人たちが……」

「ああ、例の魔女さんに、牧師の先生だね。弟と甥が世話になってます」


 壁や屋根が激しく崩れているところでは、オリバーが瓦礫を片付けていた。彼はうんと背筋を伸ばしてから、アミュウたちに手を振った。

 どうやら総出で倒壊した家の片付けをしているらしい。アミュウと聖輝も仕事に加わった。

 ジョンストンが家の中から荷物を持ち出してきて、イアンとヘンリーが仕分けをする。オリバーは瓦礫を集め、ジョシュアが手押し車で運び出している。聖輝はオリバーを、アミュウはジョシュアを手伝った。


「こうして作業していると、なんだか麦打ちを思い出すなぁ」


 オリバーが強張った腰をひねりながら、懐かしそうに言った。ジョシュアも大きくうなずいた。


「あのときはエミリさんもいたし、カーターさんのお姉さんもいたね」

「ヴィタリーもいたわ」


 アミュウが目を細める。歌いながら麦打ちをしたのはほんの数か月前だが、遠い昔の出来事のような気がした。

 昼には、オリバーの持ってきた山のようなパンをみんなで分けた。シンプルなカンパーニュにジャムを添えたもの、ハムとチーズを挟んだバケットサンド、ベーコンエピ。レーズンロールやブリオッシュといった、甘味のあるパンも取り混ぜてあった。めいめいが好みのパンを取り、庭の地面に直接腰をおろして食べる。イアンとジョシュアがそれぞれのパンを半分に割り、交換して頬張るのを、アミュウは目を細めて眺めた。


 ジョンストンは柿の木の根元に座っていた。

 柿の木は被害を免れていた。葉を落とした裸木はいかにも寂しげだったが、ジョンストンはまるで木と一体となるかのように、その頼りない幹に背を預けていた。ジョンストンの尻の下の地面は、ちょうど動物の死骸と呪いのナイフが埋まっていたあたりだ。


(よくあんなところに座れるわね……)


 アミュウは半ばあきれてジョンストンを見ていた。そのジョンストンが急にこちらを見たので、アミュウはどぎまぎしてごまかし笑いを浮かべた。するとジョンストンも目じりを下げて微笑んだ。その表情は、ほんの数か月前の状態からは考えられないほど柔らかかった。

 ヘンリーと話し込んでいた聖輝が、わざわざジョンストンの方まで移動してきて、柿の木の根元に座り込んだ。ヘンリーは立ったまま、食後のワインを注いだ木の椀を傾けた。アミュウもなんとなく引き寄せられ、彼らの近くに腰を下ろす。


「これからどうするんですか」


 聖輝がジョンストンに訊ねる。タルコット親子の今後については、アミュウも気になっていたところだ。イアンとジョシュアは離れた垣根のほうでおしゃべりしていて、こちらには気が付かない様子だ。ジョンストンは柿の枝を見上げて答えた。


「なに、また家を建てますよ。時間はかかるかもしれませんがね」

「ここに……ですか?」


 質問を重ねたのはアミュウだった。おぞましい呪いを仕込まれた場所だ。どこか別の土地へ移ろうとは思わないのだろうかと、疑問に思ったのだ。

 ジョンストンは頷いて見せた。


「……俺とかみさんは、駆け落ち同然の結婚でした。着の身着のまま式を挙げて、空き家だったこの家に転がり込んだんです。そのとき、この柿の木には枝が曲がりそうなほど実がついていました。二人で毎年たらふく柿を食べようって約束をして、畑を担保に入れてこの家を買って……でも、実際は鳥すら食べない渋柿だったんですがね」


 ジョンストンは苦笑いを浮かべて話を続けた。


「この家に暮らし始めて最初にやったことが、干し柿づくりでした。この木と家には、思い出がたくさん詰まってるんです。時間がかかっても、ここでやり直すつもりです」


 ジョンストンの話にマイラが出てきて、アミュウと聖輝は顔を見合わせた。ヘンリーは遠い目をしてワインを舐めた。


「健気な子だったよなぁ……行商をしながらお前の畑仕事が終わるのを待ってた姿が今でも目に浮かぶよ。あの子があんな物騒なことをするなんて、俺にはまだ信じられないね」


 兄の言に関しては、ジョンストンは肯定も否定もせずに、あいまいに相槌を打つのみだった。


「俺にはずっと昔に家同士が決めた婚約者がいました。でも俺は一方的に婚約を破棄して、かみさんと一緒になることを選んだ。それで婚約者は、かみさんをひどく恨むようになったんです……恨むなら、俺を恨めばよかったのに」


 ジョンストンは淡々と語った。目に苦渋の色をにじませたのは、むしろヘンリーの方だった。ヘンリーも、その婚約者とやらに面識があったのだろう。家族ぐるみの付き合いがあったのかもしれない。

 アミュウの脳裏に、マリー=ルイーズ・ドゥ・ディムーザンの付き人ルシール・スカーレットの、どこか疲れたような諦観の顔つきがひらめいた。彼女は、自分がラ・ブリーズ・ドランジェにいることは、ジョンストンにもイアンにも知らせないでほしいと言っていた。アミュウはちらりと聖輝の方を見た。聖輝も何やら考え込んでいる表情だった。

 アミュウは迷いながらジョンストンに訊ねてみた。


「その婚約者さんは、どんな方だったんですか?」


 アミュウの質問に、ジョンストンは答えを詰まらせているように見えた。代わりにヘンリーが答える。


「明るくて可愛い子だったよ。いつもフワフワしてて、こいつのことが好きで好きでたまらないって感じでさ。傍から見てても微笑ましかった」

「隅に置けませんね、ジョンストンさん」


 アミュウは軽い調子で応じながら、胸中で首をひねった。ヘンリーの言葉は、アミュウの知る物静かなルシールとは全く結びつかない。


(やっぱり、考えすぎかな……)


 ジョンストンの婚約者がルシールだったのではないかという己の考えを否定しかけたアミュウは、続くヘンリーの言葉に殴られたような衝撃を受けた。


「今頃、ルシールちゃんは元気にしてるかな……」


 ヘンリーが呟くと、ジョンストンが重そうに口を開いた。


「あいつが継ぐはずだった葡萄畑を強引にかっさらったのは俺たちタルコットだ。もうあいつに顔向けできるはずがない」


 アミュウは絶句してジョンストンの方を見た。彼はアミュウの視線に気が付き、気まずそうに補足した。


「婚約破棄するタイミングで色々ゴタゴタして……兄貴が婚約者の畑に手伝いに出ていたんだ。それを口実にして、親父たちはそいつの畑を接収しちまった。親父の横暴を、俺たちは止めることができなかった……そういう色んな恨みを、あいつはかみさんにぶつけたんだ。でも俺は、受け継いだ畑を盛り立てるのに精いっぱいで、なんのフォローもしてやれなかった」


 そこでジョンストンは息子の方を振り返った。イアンは不安そうな表情で父ジョンストンを見ていた。ジョンストンは「これでこの話は終わりだ」とでも言うように首をすくめてみせた。ヘンリーも場を取り繕うように、立ち上がって言った。


「さて、雨も降りそうだし、もうひと頑張りだ」


 その言葉を皮切りに、集まった面々は瓦礫の片付けを再開した。しかし一時間も経たずに雨が降り始め、作業を打ち切らざるを得なくなった。みな、外套を着込んでめいめいの帰途についた。

長岡更紗様主催の小説家になろう「第三回イラスト交換企画」中級者バッチコイ部門で、星影さき様にナタリアとピッチを描いていただきました。

輝く秋の森の落ち葉は、ジークフリートの髪の色。

星影さき様、ぬくもりあふれる一枚をありがとうございました!


挿絵(By みてみん)

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Copyright(C)2018-志茂塚ゆり
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