6-25.猟師は語る
キャンデレ・スクエアから南部まで足を伸ばすと、家並みが間遠くなるあたりから、界隈の雰囲気が変わってきた。カーター・タウンならではののんびりとした雰囲気は一転して重苦しくどんよりとしたものに変わる。
物置小屋が吹き飛ばされ、大根や蕪、キャベツといった冬野菜の植えられた畑が、無残にも踏み荒らされている。その爪痕は、まるで荷車がひっくり返ったような規模なのだ。アミュウはその大きさから、鹿の身体の大きさを逆算した。そして身震いした。
アミュウと聖輝の前を、花束を提げた男が歩いていた。真冬に花束を用意するのは難儀だっただろう。初雪起こしとシクラメンを合わせたささやかな花束に目を引かれたアミュウは、ふと思い立ってその男に話しかけてみた。
「綺麗な花束ですね」
背後から声をかけられて、男は驚いた様子だったが、すぐに応えてくれた。
「魔女様に供えるんだ」
「メイ先生に?」
「先生? あんたが、メイさんの弟子か?」
男は今度こそ驚いてアミュウをまじまじと見てから、隣の聖輝と見比べて、「ああ!」と声をあげた。
「あんたら、もしかして大イノシシを仕留めたやつらか! 俺、あのイノシシを解体したんだ。牡丹肉を届けに行ったんだけど、覚えてないかな」
アミュウは男の髭面を見た。口を丸く覆う豪快な髭のために強面に見えるが、顔の中央寄りにちょこんと集まった目は人が好さそうだ。アミュウは記憶を洗ったが、あの日は色々なことがあり過ぎて、目の前の男が来たかどうか思い出せなかった。しかし、猟友会の連中が現場でイノシシの肉を解体し、関係者に届けて回っていたことは覚えている。アミュウは聖輝のほうをちらりと見たが、聖輝も男を覚えていない様子だ。聖輝はあのとき力を使い果たして倒れてしまったので、無理もない。
「ひょっとして、猟友会の方ですか?」
アミュウが訊ねると、男は神妙に頭を下げた。
「ああ。メイさんのことでは、俺らが不甲斐ないばっかりにあんな目に遭わせちまって、本当に申し訳なかった……」
「事件の様子を見ていたんですか?」
アミュウの問いに男は頭を上げると、野菜畑の向こう側を指さした。
「本来だったら俺らが仕留める手筈だったんだ……でも獲物があんまりにもデカすぎて、全然歯が立たなかった。そんなとき、メイさんが飛んで来てくれたんだ。あっちの畑だよ」
「案内してもらえますか」
男はアミュウの頼みを二つ返事で引き受けた。
「もちろんだ。ちょうどこいつを供えに行くところだったんだ」
男は細い農道へと折れ曲がり、野菜畑の合間を進んだ。踏み荒らされた畑の、倒れた株の根元にツグミが見え隠れする。アミュウたちが脇を通ると、ツグミはぱっと飛び去った。地上に露出した大根が、潰れてしなびていた。遠くの畑では、夫婦と見える男女が荒らされた畑から駄目になった作物を引き抜き、無事だった作物の世話をしていた。もっと遠くの麦畑のほうには、昨日成り行きでモーリスとともに立ち入った、あの農家が見える。
いくらも経たないうちに、農道は行き止まりになった。高さのある農道が真横から突き崩されているのだ。道は十メートルほど向こうまで途切れていた。
「ここだよ」
男は崩れたところから畑に降りて、少し離れた場所に小さな花束を置いた。アミュウの一歩後ろで、聖輝が十字を切る。アミュウは目を閉じて黙祷した。男は畦道に上がり、途切れた道を黙って見つめていたが、やがて唇をぺろりと舐めて口を開いた。
「……秋のイノシシ事件の後、町長は俺ら猟友会の仲間を集めて言ったんだ。すぐに街を柵で囲うことはできないから、次に大型獣が現れたときのために備えていてほしいって」
男は語った。
セドリックはハード面よりも、ソフト面の対策を重視した。具体的には、猟友会のメンバーに森方面の警備を委託したとのことだった。猟師たちは日夜交替で、精肉場に併設された事務所に詰めた。
そして、森から大鹿が姿を現したとの報せを受け、現場へ急行したのが一週間ほど前。初動は万全だった。連絡員が非番の猟師たちの元へと走り、大鹿の元に多くの猟師が集まった。しかし、猟師たちの放つ矢も仕掛けも、常識を逸脱した鹿の巨体には歯が立たなかった。猟師たちは毒矢を用いたが、巨大な鹿の質量の前には、何の役にも立たなかった。集まった漁師たちは、鹿は暴れ続け、家屋を破壊し畑を荒らしていくのを見ながら、わずかな期待をかけて毒矢を放ち続けるしかなかった。
誰もが諦めかけたとき、空を颯爽と駆けてメイ・キテラがやってきた。腑抜けてるんじゃないよ、マタギども! 喝を入れる声に奮い立ったと、男は目尻をぬぐって語った。アミュウの耳にも師の怒声が聞こえた気がして、思わず身震いした。
メイ・キテラは孔雀石をあしらった杖にまたがり、眠気を催す煙の上がる香炉を掲げ、大鹿の周りを何度も滑空した。飛び回りながら葉っぱや石ころをまき散らし、何やらぶつぶつと声を上げていたが、男をはじめ、猟師たちにはその意味するところは分からなかった。
そうしてメイ・キテラが何週か大鹿の周りを回ったとき、突如として大鹿を光が覆った。結界が立ち上がったのだ。光の壁に取り囲まれて、大鹿は身動きが取れなくなった。メイ・キテラは空中で声を張り上げた。そら! 今のうちに捕獲しちまいな!
猟師たちは総出で毒矢を仕掛けた。雨のように降る矢を受け、ようやく大鹿は倒れた。猟師たちは歓声を上げ、メイ・キテラは結界を解いて宙にホバリングしたまま深く息を吐いた。
だが、男は油断できないと考えた。大鹿の動きが鈍っているうちにその移動手段を断つべく、男は骨切鋸を持ち出して倒れた大鹿に近付き、後ろ脚の腱を叩き切った。その途端、意識が混濁しているかのように見えた大鹿は、まるで人間の女のような悲鳴を上げて暴れ回り、男を蹴り上げた。男は後方へ吹っ飛ばされ、白菜畑の柔らかな畝へ突っ込んだ。蹴られた脇腹と打ちつけた腰をさすりながら起き上がった男が目にしたのは、けものが頭上に戴く、大樹の枝ぶりを思わせる角が、未だ宙に浮かんでいたメイ・キテラを直撃するところだった。メイ・キテラは砲弾のように畑へと叩きつけられた。
すぐさま猟師たちがメイ・キテラへ走り寄り、数人で彼女を担ぎ上げて大鹿の元から引き離した。男も、猟師仲間に手を引かれて大鹿から離れた。
大鹿は野菜畑でのたうち回ったが、いくらも経たないうちに今度こそ動かなくなった。
そして、教会からマッケンジー牧師が駆け付けるころには、メイ・キテラも動かなくなっていた。
「すまねえ……俺が早まったばかりに、メイさんを巻き込んじまった。俺が殺したようなもんだ……」
そう言って男は歯を食いしばり、だらりと下げた腕の先でこぶしを握った。その節くれだった手が震えているのを見て、アミュウはかける言葉を見失った。黙り込んだアミュウを横目に、聖輝が男に冷たく言い放った。
「それで? あなたはメイ・キテラ師の弟子であるアミュウさんに許してもらって一安心したいというわけですか?」
「なっ……」
男は目を丸くして聖輝を見た。聖輝は構わずに言葉をつづけた。
「否定できるのですか? 良い大人が、師匠を失って心を痛めている少女に馬鹿正直に語って聞かせる話でしたかね」
聖輝は抑揚なくまくしたててからにっこりと笑った。
「失礼。つい口がすべって『馬鹿』正直と言ってしまいました」
「聖輝さん!」
アミュウは非難の声をあげたが、振り向けられた聖輝の目が存外にも柔らかく労りに満ちていたので、拍子抜けした。同時に、アミュウは悟った。
(聖輝さんは、私の代わりに怒ってくれたんだ……)
アミュウは聖輝をたしなめるのをやめて、何も言い返せずにいる男に向き直った。
「私は先生ではありませんから、そもそも許す権利なんてありません。でも、これだけは言えます」
アミュウはちらりと聖輝を見た後、男をまっすぐに見据えた。右肩にそっと聖輝の手の重みが加わる。男は今にも泣きだしそうな目でアミュウを見下ろしていた。
「本当のことを教えてもらってよかったです。私、町を離れていて事件のことが何にも分からなかったけど、先生が街を守るために毅然と立ち向かったんだって知ることができました。あなたの口から聞けてほんとうに良かったです」
男の目から大粒の涙が零れ落ち、口からは嗚咽が漏れた。アミュウは、ほほ笑みを描いた口角の裏で歯を食いしばった。今は自分が泣くときではないと涙を堪えた。肩に置かれた聖輝の手に力が加わった。その力は、アミュウがほほ笑みを保つ支えとなった。
男は、メイ・キテラの墓ではなく最期の場所に花を供えた。アミュウはその点に、男の自罰意識をみとめていた。メイ・キテラの死の直接の原因を作ったのが自分であると感じているからこそ、墓所に立ち入ることができなかったのではないか。そんな男を、責められるはずもない。
やがて男が泣き止み、再度詫びてその場を立ち去るまで、アミュウは静かなほほ笑みを湛えていた。そうして男の姿が見えなくなってから、花の供えてあるところへアミュウも下りていった。畦道は崩れて途切れている。それはそのまま、宙に浮かんでいたメイ・キテラをたたき落とした大鹿の威力を物語っていた。アミュウはその場にしゃがみ込み、少しだけ泣いた。泣きながら、男の前で涙を見せずに済んだことにほっとするとともに、随分涙もろくなったものだと、我がことながら呆れた。
アミュウが泣き止むまで聖輝は黙って待っていた。アミュウが落ち着いたのを見てとると、彼は点在する家屋のうちのひとつを指さした。
「あれは、イアン君の家じゃありませんか」
アミュウは立ち上がり、畦道に上がって聖輝の指す方を見た。壁が半分崩れ落ち、屋根のつぶれた無残な姿ではあったが、確かにタルコット家だった。
「ひどい……全壊ね」
「誰かいますよ。片付けでしょうか」
聖輝の言葉通り、低い垣根の向こうに人の頭が動いているのが見える。どちらからともなく、二人の足はタルコット家へと向いた。




