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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第六章 きくは我

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6-23.ヤマカガシ毒

 蓮飾りの杖に乗ってカーター邸上空に戻ると、レッドロビンの生垣の前に、見慣れない男の姿があった。ひょろりとした風情のその若者は、今まさに立て看板を設置しようとしているところだった。アミュウは男のそばに舞い降りた。


「ちょっと! うちに勝手に妙な看板を立てるのはやめてください!」


 突然空から降ってわいたアミュウに男は一瞬怯んだが、すぐに開き直って言い返してきた。


「妙とはなんだ、これは民意だ」

「民意?」


 アミュウが訊き返すと、男は堰を切ったように話し始めた。


「そうだ、民意だ。去年の害獣騒ぎのころから柵が必要だって、みんな何度も役所に申し入れてきたんだ。でも、ことごとく無視された。結果、どうだ? 今回の被害は町長の不作為による人災だよ。町長は任期満了を待たずに辞めるべきだと思うね」


 男はずり落ちそうな眼鏡の鼻山を押し上げて言った。アミュウはため息をついた。


「……だからと言って、勝手に個人宅に看板を立てていいわけ? ここは私有地よ。意見があるなら、しかるべき形の文書を役所宛てに送ってください」


 男は舌打ちののち、固定用の針金を取り除くと、恨めしそうな視線をアミュウに投げて寄越し、看板を抱えてどこかへ行ってしまった。

 アミュウはレッドロビンの生垣を見わたした。両手に余るほどの数の看板が残っている。これを取り外すのは相当骨が折れるだろう。

 ひとまずアミュウは実家に入り、台所へ直行した。食堂へ行くのももどかしく、作業台で残っていたパンを平らげ茶を飲むと、ようやく少し気持ちが落ち着いてきた。立て看板を設置しようとしていた若い男への怒りが鎮火すると、あとにくすぶるのは後悔だった。


(あんなこと、言わなければよかったな……)


 カーター・タウンに留まった方がいいなどと、傷つき臥せった聖輝に言うことではなかった。だが、口に出したことではっきりと分かったこともある。アミュウの本懐は、聖輝とともにナタリアを取り戻すことにある。発言を後悔していることこそが、その証左だ。同時に、アミュウには、医療の担い手不足の故郷を放り出してナタリア探しに奔走するほどの覚悟もない。


(結局、私は卑怯だったんだ。自分の迷いを棚に上げて、聖輝さんに引き留めてもらうことで背中を押してもらいたかっただけなんだ)


 アミュウは作業台に突っ伏した。木の天板の冷たさが額の熱を奪う。昨晩ヴィタリーは、この作業台で酒を飲んでいた。酒が飲める体質なら、飲んで酔っぱらってしまいたい気分だった。今までも憧れから何度か酒を飲みたいと思ったことはあったが、やけくそでそう感じたのは、アミュウには初めてのことだった。


 アミュウは台所の流しで顔を洗い、両手で自らの頬をバチンと叩く。衝撃と水の冷たさで頬も手のひらもじんじんした。

 そして店舗へ向かい、いまだ(むしろ)に包まれたままの大蛇の頭を、背負子しょいこに括りつけた。背負ってみると、まるで子どもをおんぶしているかのように重い。手ぶらで教会まで行って、空間制御術で取り出してしまえば楽だが、アミュウはあえて担ぐことを選んだ。ただし、足で歩けば人の目に触れる恐れがある。アミュウは大蛇の頭を背負ったまま庭に出て、蓮飾りの杖にまたがって宙へ飛び上がった。肩にかかる重量の分、余計に魔力を消耗する。よろよろと曇り空の方へのぼると、教会への直線距離を辿っていった。

 モーリスは教会の前庭を掃き清めていた。アミュウは彼の名を呼びながらその近くへ着地する。


「わわ! ……アミュウさん⁉」


 アミュウの飛ぶ姿を初めて見たモーリスは随分と驚いた様子だったが、アミュウの背負う大荷物を見るや否や、彼女を施療室へと案内した。


「ちょうどオーウェン司祭は外出中です。留守のうちに、早くそれ(・・)から毒を採取してしまいましょう」


 モーリスはアミュウから背負子を受け取ると、自ら背負い、施療室の扉を開けた。彼の後に続いて施療室に入る。室内はストーブが焚かれていて暖かい。温もりを演出するのは火だけでなく、木の壁も一役買っていた。ラ・ブリーズ・ドランジェの施療室には三台のベッドがあったが、ここカーター・タウンの施療室にはベッドが一台と長椅子があるのみだ。衝立の向こうのベッドでは誰か眠っているらしい。モーリスはストーブの火をランプに移すと、戸棚からひょいと鍵束を取り出した。そしてもう片方の手に道具箱を抱えた。


「こちらです」


 モーリスは背面の壁にある幅の狭い扉を、鍵を使って開けた。アミュウは、その扉の向こう側を見たことがなかった。そこは狭く薄暗い倉庫になっていた。


「初めて入りました……薬品庫になっているんですね」

「強い薬や麻薬もあるので、普段は施錠されています。保冷庫は地下ですよ」


 モーリスは倉庫の片隅にある、狭く急な階段を降りていった。モーリスの掲げるランプの灯りを頼りに、アミュウもそろりそろりと降りていく。階段は二度折れた。先ほどの施療室のぬくもりはどこへやら、石壁で形作られた地下の空気は冷たい。下りきったところにはスチールの扉がある。この扉も施錠されている。モーリスは錠前を外し、扉を開けた。


「私、こんなところに入っていいんでしょうか……」


 忍び込むなどと言って息巻いていたのはつい昨日のことだ。その勢いをすっかり失ったアミュウは、心細くなってモーリスに訊ねた。モーリスは振り返って笑顔を見せた。


「そりゃあ、褒められたことではありませんよ。でも、どうやって血清を作るか、興味があるでしょう?」

「ええ、それはもちろんですが……」


 スチールの扉の内部は上階の倉庫よりもさらに狭い小部屋で、小さな机と椅子が一組あるだけだった。モーリスは背負子をどさりと床に下ろす。足を踏み入れたアミュウは思わず二の腕を抱いた。寒いのだ。

 左右を見回すと、脇の石の壁に、子どもがようやく通れるかどうかという大きさの扉があるのを見つけた。その扉にも錠前がついていた。モーリスは鍵束の中で一番小さな鍵を取り出し、開錠した。中は戸棚になっていて、最上段には山の湖から切り出してきた氷が収められている。氷からは溶けた水が滴り落ちていた。この棚が保冷庫らしい。その下の段には、低温管理を要する薬が、水滴を避けるため硝子容器に収められている。モーリスはそれらの中のひとつ、小さな瓶を取り出してアミュウに見せた。その小瓶のラベルには「ヤマカガシ」の文字があった。


「これが聖輝さんに投与したヤマカガシの抗毒血清です。もうほとんど残っていませんが……血清の製造方法をご存知ですか?」


 モーリスの問いかけに、アミュウは正直に答えた。


「いいえ。特定の種の生物から採取した毒が必要としか……」


 モーリスは頷いてみせると、(むしろ)を広げて大蛇の頭を取り出した。生臭い悪臭が狭い部屋に充満する。アミュウが思わず顔をしかめると、モーリスは苦笑しながら血清を保冷庫にしまい、扉を閉じた。


「今が冬で良かったです。夏なら腐乱して、どうにもならなかったでしょう」


 彼は道具箱からゴーグルとマスク、グローブ、ガウンを取り出して装着すると、アミュウに後ろへ下がるよう指示した。アミュウが充分な距離を取ったのを確認すると、大蛇の上顎に手を、下顎に足をかけて、蛇の大口をぱっくりとこじ開けた。アミュウが目を丸くしているうちに、彼は右の毒牙の下にガラス瓶をあてがい、右手で口腔内の毒腺を刺激して毒液を絞り出す。毒牙から滴り落ちる琥珀色の毒液を、左手の瓶に受ける。それはほんの少量に見えたが、モーリスは感心したように呟いた。


「さすが大型獣だ。よく採れます」


 モーリスは左側の毒牙からも同じように毒液を採取すると、瓶の蓋を閉めた。そしてゴーグルとグローブを外して、今日の日付とヤマカガシ毒と記したラベルを瓶に貼付した。


「採取した毒はどうするんですか」


 アミュウが訊ねると、モーリスは保冷庫に毒の瓶をしまいこみながら答えた。


「薄めて馬に投与します」

「馬⁉」


 アミュウは仰天した。モーリスはうんうんと頷いた。ガウンとマスクを外した彼は柔和な笑みを浮かべていた。


「驚かれるのも無理からぬことです。もちろん馬が死なないよう、少しずつ馬に投与します。すると馬の身体の中で毒に対する抗体が作られます。数か月後に馬から血液を採取し、分離ろ過して精製したものが、先ほどの抗毒血清です」


 アミュウはため息をついた。


「随分と手間がかかるんですね。道理で高価なわけです」

「そう。一番骨が折れるのが、薬の元となる蛇を見つけることです。血清を作るのに同種の蛇が山ほど必要なので。こうして届けて下さったおかげで、また新しく血清を作ることができます」


 モーリスが頭を下げたので、アミュウも慌てて頭を下げた。


「いいえ、こちらこそ。本当に助かりました。……でも、そのことでベルモン先生の立場が悪くなったりしませんか? マッケンジー先生にこのことが知れたら……」

「ただのベルモンです。先生ではありませんよ」


 モーリスはにこやかに訂正してから、ヤマカガシの頭を元通り(むしろ)に包んだ。


「私は聖職を退いた身です。いつまでもオーウェン司祭の厄介になるわけにはいかないと考えているのですが、どうにも身の振り方を決めきれなくて……迷っているのが実際です。だから、あまり私とオーウェン司祭の関係については心配しないでくださいね」


 モーリスは筵にくるんだ大蛇の頭を、今度は背負わずに抱きかかえた。ランプと道具箱はアミュウが持った。


「さてと……これは後で落ち葉と一緒に燃やしてしまいます。誰かに見つかると大ごとになるので、筵ごと処分してしまって構いませんか?」

「ええ、お願いします」


 二人は地下室を後にして、施療室に戻ってきた。ストーブの暖気が、冷えた手足を優しく包む。モーリスは衝立の奥の患者の様子を確認した。


「よく眠っています」


 ほっとしたような顔を見せると、モーリスは屋外へ出た。


「荷物はどうしましょう」


 施療室の中からアミュウが訊ねると、大蛇の頭を抱えたモーリスは前を見たままアミュウに言った。


「道具箱はその辺に置いておいて、ランプだけを持ってこっちへ来てください」


 モーリスは教会聖堂の裏側に大蛇の頭を下ろした。そして先ほどまで掃き集めていた落ち葉を運んできて、大蛇の筵を隠すように山にした。アミュウがランプの火を差し出すと、モーリスは落ち葉焚きを始めた。煙が曇天を上っていく。


「燃やせるでしょうか……」

「完全に燃やし尽くすことはできないでしょうが、そのまま置いておくよりは随分とマシです」


 そしてモーリスはアミュウに笑顔を向けた。


「さぁ、これで後始末はおしまいです。貴重な検体を持ってきていただき、助かりました。これで未来の患者さんが救われるわけです。聖輝さんには、くれぐれも安静にするようお伝えください」


 アミュウは胸の奥に痺れを感じた。普段医療者として振舞っているアミュウが、こうして医療者の心配りを受けるのは、なんともいえずこそばゆい。本来ならモーリスは、今ごろラ・ブリーズ・ドランジェ教会の助祭として日々忙しく過ごしているはずだった。彼の未来に伸びていた聖職者としての道が閉ざされたことについては、ドロテに恋のまじないを教えたアミュウにも責任の一端がある。モーリスがアミュウに差し出す善意は、アミュウの良心をさいなんだ。

 しかしアミュウは、まじないの件については何も口にすることができなかった。アミュウは再度モーリスに礼を述べ、カーター邸への帰路についた。




 セドリックとヴィタリーが帰ってきたのは、その日の深夜だった。

 アミュウは作っておいたスープを温め、麦粥に買い置きのトマトソースを添えて二人に供した。二人は食堂ではなく、台所の作業台で食事をかき込んだ。ものの数分で平らげる父親たちを見ながら、アミュウは毎度スープしか作っていないことを胸中で詫びた。料理上手のナタリアならば、もっとバリエーションに富んだメニューを出したことだろう。

 しかし、食事が済んだところでセドリックが語ったのは正反対の言葉だった。


「アミュウがいてくれて良かったよ……うまかった」


 アミュウは喉元まで出掛かった「ナタリアの方が上手よ」という言葉を飲み込んだ。アミュウが黙っていると、セドリックはぽつりと語った。


「お前が帰ってきてくれて本当に良かった……アミュウ。これからどうするつもりなんだ」

「どうするって……」


 虚を突かれてアミュウは再度黙り込んだ。ずっと考え続けていることだが、まだこれといった考えがまとまっていない。答えに窮したアミュウを見かねて、ヴィタリーが助け舟を出した。


「まぁ、慌てることはありませんよ。ゆっくり考えればいいんです」


 セドリックが続けた。


「街の雰囲気がぎすぎすしているだろう。この家はお前にとって必ずしも良い環境ではないかもしれない。そうも思うんだ――無論、俺はここでナターシャの帰りを待ち続けるつもりだが」


 父親の言葉を聞いたアミュウの目に、今朝足を踏み入れたメイ・キテラの家が浮かんだ。


「……今はまだ混乱しているの。考えさせて」


 そう言ってアミュウはセドリックとヴィタリーの食事を片付けた。二人は気まずそうに顔を見合わせていたが、アミュウはそのまま背を向けて洗い物に集中した。湯浴みのために沸かした湯が、すぐ脇のキッチンストーブでもうもうと湯気を立てていた。湯気はカタカタと鳴る羽窓の向こうへと流れていく。セドリックもヴィタリーも、たらいの湯を持って自室へと戻ったきり、部屋から外へは出てこなかった。朝早くから夜遅くまで働きづめの二人だ。疲れが溜まっているのだろう。アミュウも湯浴みをした後、すぐにベッドに入った。今日もナタリアの寝間着を借りていたが、例の王女の夢は見なかった。別の夢を見ながら、アミュウはどこか覚醒した頭で、もうアモローソ王女の夢を見ることはないのだろうと確信していた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 貴方はとても人間らしい人だ、セドリックさん。 アミュウちゃんを愛してもいるだろう。 ……けれどナタリアちゃんのほうを愛している。 だから聖輝くんに対して寛容な態度も示せなかった。 セドリ…
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