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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第六章 きくは我

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6-19.山査子の家

 セドリックは早々に寝室に籠ってしまった。

 カーター邸の台所には、いつの間にかヴィタリー専用のウィスキーの瓶が持ち込まれていた。湯()み用に沸かした湯の残りで、彼はお湯割りを作った。


「ボビーのところで飲みたい気分ですが、こんな状況ですから、一応は慎まないといけませんね。アミュウさんも何か飲みますか」


 ヴィタリーは、アミュウが酒を飲めないことをよく知っている。そんな彼がアミュウに飲み物を勧めるというのは、何か話したいことがあるということだ。湯浴みを終え、既に寝間着となっていたアミュウは、小さなたらいの湯を捨ててから、大鍋に残った白湯を椀に注いだ。キッチンストーブの火は消えていたが、余熱で台所全体がじんわりと暖かかった。

 アミュウが作業台に丸椅子を引き寄せて座ったのを見計らってから、ヴィタリーは酒に口を付けて言った。


「……町長を恨まないでくださいね。アミュウさんたちのことが大切だからこそ、ああやって取り乱してしまうんです。それに、表の立て看板を見たでしょう。今はピリピリしていますからね、町長には冷静になるための時間が必要です」

「分かってます」


 アミュウがこっくりと頷くと、ヴィタリーはもう一口酒を含んで、時折カタカタと鳴る羽窓の方を見やった。


「町長はね、悔やんでいるんですよ。ミカグラ先生をナタリアさんに引き合わせたのは、ほかでもない町長自身でしたからねぇ。町長はミカグラ先生を見込んでいましたし、色んな事情があって、あの縁談を進めたかったのだろうと思います。でも、私見ではありますが」


 そこでヴィタリーは羽窓からアミュウへと視線を移して、言葉を続けた。


「ミカグラ先生にお似合いなのは、むしろアミュウさんの方だと見えますがね」


 アミュウは驚き、ヴィタリーの小さな目を見た。ヴィタリーの眼差しは陽だまりの中の羊のように、どこまでも優しい。しかしアミュウにはそれを受け止めることができず、ゆるゆると手元の白湯へと視線を落とす。


「……聖霊の申し子と運命の女の因縁の話を聞いたでしょう。聖輝さんにとっての運命の女は、ナターシャです」

「アミュウさんは、ミカグラ先生のことを愛しているんですね」


 アミュウが驚いたのは二度目だった。今度こそ仰天してヴィタリーの顔を見つめる。ウィスキーのためか、ヴィタリーの頬はうっすら上気していた。


「ただ『好き』なだけなら、もっとぐいぐい行くでしょう。でも、アミュウさんはなかなかナタリアさんより前に出ようとしない。それはきっと、ナタリアさんが家族だからという理由もあるでしょうが……アミュウさんが、ミカグラ先生の意志だったり、運命とやらを尊重しているからなんじゃないんですか。それだけ人を大事に思う気持ちを『愛』って呼ぶんじゃないかと、私は思いますがね」


 ヴィタリーの言葉をアミュウは反芻したのち、白湯とともに飲み込んだ。不思議と素直に受け止めることができた。聖輝に対する感情は、名前を得て、様々な記憶をアミュウに思い起こさせた。昨晩、スタインウッド教会で互いにもたれ合って眠ったこと。収穫祭のかがり火を見たこと。アミュウの小屋が燃え落ちるのを見たこと。頬に落とされた、乾いた口づけ。今、ヴィタリーとこうして話しているように、同じ台所で聖輝に夢語りをしたこと。

 アミュウは同時に、聖輝以外の様々な人から受け取った愛情を思い返していた。セドリックから受け取った、見えにくい愛情。アデレードから受け取った、記憶には残らなかった愛情。イルダやヴィタリーから受け取った、穏やかな愛情。メイ・キテラから受け取った、厳しくも温かな愛情。アルフォンスも、アミュウの身を案じて、あれほど夢中になった空間制御術の研究から身を引いてくれていた。

 ヴィタリーはぐいっと酒を飲み干してから言葉を続けた。


「まぁ、運命なんてものとはついぞ縁のなかった私から言わせて見れば、そんなものくそくらえですがね。アミュウさん。若い時間はあっという間に過ぎます。後悔なんて山のようにあるでしょうが、あとになって一番つらいのは、何かやりたいことがあったのにそれをしなかった後悔です……悔いのないようにしてくださいね」


 そう言ってヴィタリーは微笑むと、空になったグラスを柄杓の水ですすぎ、二階の客室へと引き上げて行った。

 羽窓は相変わらず震えている。

 アミュウは白湯の椀を両手で包んだ。ヴィタリーの言葉には聞き覚えがあった。アミュウ自身が口にした台詞だ。


(私には、できない理由を並べるよりも、できる筈のことをしなかったという後悔を抱えない方がよほど大切です)


 それは、スタインウッド郊外で狼を退けたときに、アミュウが聖輝に言い放った言葉だった。アミュウはガウンの上から両手で自分自身を強く抱いた。ナタリアを失いたくなかった。彼女が行方不明となった今、聖輝までをも失いたくない。


(明日、聖輝さんのお見舞いに行ったら、もう一度マッケンジー先生に血清の件を頼んでみよう。それに、南部の被害区域も見に行かなくちゃ)


 アミュウは白湯を飲み切ると、かつて自分の部屋として使い、つい先ほどまで聖輝が休んでいた部屋へと向かった。ベッドに潜り込むとすぐに睡魔が訪れた。


(聖輝さんは、無事宿に落ち着いたかしら……)


 眠りに落ちる寸前まで、アミュウは聖輝のことを考えていた。アミュウの寝間着はナタリアから勝手に借りたものだったが、夢ひとつ見ることなく、アミュウは熟睡した。




 翌朝、アミュウは店舗に残った在庫の薬草を合わせて、ハーブティーを作った。頭痛を和らげる薬草を選ぶ一方で、聖輝をさいなむ出血毒を考慮し、血行促進作用のないものを注意深くブレンドしていく。もちろん風味よく仕上げることも大事だ。ラベンダーを中心として、リンデンとメリッサでまろやかな味を組み立て、アクセントにミントを加えた。

 木綿の布を小さく切り分け、混ぜ合わせたハーブを中央にのせて糸で縛り上げていく。慣れた動作を手が自動的に繰り返すうちに、十個のティーバッグが出来上がった。アミュウは言霊をつむぎながらそれらを香の煙にくぐらせていく。


 涙雨が濡らす咲き初めの椿

 御手にすくわれなお麗しく

 痛み苦しみは雲のごと晴れて消えゆき

 花よわらえ陰のひとつだになく


 セドリックとヴィタリーは朝早くに役場へ向かった。アミュウはティーバッグの小瓶を帆布の鞄に詰め込むと、蓮飾りの杖にまたがって空へ舞い上がった。


 朝に弱い聖輝はまだ眠っている刻限だった。キャンデレ・スクエアの「ザ・バーズ・ネストB&B」へ向かう前に、アミュウは街東部のメイ・キテラの家に寄ることにした。

 海へと続く通りに降り立つと、昨日、閉店間際に飛び込んだ食料品店の主人が掃き掃除をしていた。彼は顔を上げてアミュウに挨拶を寄越す。


「ああ、おはよう。買い物かい?」

「いいえ、先生のおうちに風を入れようと思って」


 アミュウが答えると、主人は曲がりかけた腰をうんと伸ばしてからアミュウに訊ねた。


「僕も一緒に行こう。片付けなら人手がいるだろう」


 アミュウは困って首を傾げた。


「片付けるってほどではないんです。ちょっと様子を見ようと思っただけで」

「それならそれで構わないから。僕も中の様子を知っておきたいんだよ。メイ・キテラさんからは、何かあったときに後始末をするよう言われていたんだよ。何年も前から合鍵も預かってる。冗談だとばかり思っていたけどね……」


 そう言って主人は掃き集めた塵を片付けると、店の中から鍵を取り出してきて、メイ・キテラの家へと続く細道に入っていった。アミュウは仕方なく主人の後についていった。


 曲がりくねった道に数軒の家が並ぶ。メイ・キテラの家は突き当りだった。家の前には、「メイ」の呼び名の元となった山査子(メイフラワー)の木がある。葉を落としたその木の枝には、秋の収穫時に土地の精霊のために残しておいたいくつかの赤い実が、すっかり乾いていた。

 主人が玄関扉の鍵穴に鍵を差し入れる。アミュウは、メイ・キテラが弟子のアミュウのほかに食料品店の主人にも合鍵を預けていたという事実に、少なからず驚いていた。

 扉は軋んだ音をたてて開いた。懐かしい樟脳しょうのうとパチュリーのにおいがあふれ出す。木の実を連ねた暖簾のれんの脇に、師が愛用していた杖が立て掛けてあった。サラサラと涼やかな音を鳴らして暖簾をくぐると、一間きりの生活空間が広がる。部屋の中央の灰だらけの炉端に、手仕事をする師の後ろ姿が見える気がして、アミュウの息が詰まった。息苦しさを誤魔化すように窓を開けると、乾いた冬の空気が、メイ・キテラのにおいを押し流していった。


「案外、片付いていますね」


 部屋を見回しながら主人が言った。アミュウは主人に訊ねてみた。


「この家はどうなるんでしょうか」


 主人は薄くなった白髪を撫でて首を傾げた。


「メイ・キテラさんにはご家族がいなかったからねぇ。それを決めるのはお弟子さんのあなたじゃないだろうか」

「えっ?」


 アミュウは目を丸くした。主人は白髪の頭を繰り返し撫でつけて宙を見つめた。


「僕はあくまでも後始末を頼まれただけだからね。この家をどうするかまでは決められないよ。どうだろうか、お嬢ちゃんは確か町長さんのお宅でお店を開いていると聞いたけど、このままこの家に住んで、ここにお店を開いてもいいんじゃないかな」

「私が……ここに?」


 思いがけない言葉に、アミュウは主人を見返すばかりだった。


「あなたがここを継ぐのなら、誰も文句は言わないよ。空き家になったらあっという間に朽ちてしまうからね、それよりずっといい」


 主人はにっこりと笑ってから、アミュウに合鍵を差し出した。


「これは、僕よりもあなたが持っている方が良い。さあ、僕はもう店に戻るよ。何かあったらいつでも相談においで」


 家を出て行く主人の背中を見送りながら、アミュウは鍵を握りしめた。脳裏に浮かぶのは、カーター・タウン西部職人街の空き店舗だった。まだソンブルイユ行きが決まる前、アミュウは実家から独立し店を持つことに憧れていた。その夢の色彩がにわかに蘇る。

 アミュウの足元には、メイ・キテラが愛用していた頭巾がきちんと畳まれていて、その上には一揃いの耳飾りが置いてあった。

「月下のアトリエ」は本話で200話となりました。

ご愛読くださる皆様に心から感謝申し上げます。

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