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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第六章 きくは我

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6-17.カーター邸

 セントラルプラザを抜けると、すぐにカーター邸が見えてきた。灯りはともっていない。夕闇に浮かぶカーター邸の姿に、アミュウは違和感を覚えた。近付くと、すぐにその違和感の正体が分かった。

 カーター邸の顔とも言えるレッドロビンの生垣に、幾つもの立て看板が括りつけられているのだ。無数の手紙も結び付けてある。

 看板にはこう書いてあった。


――一日も早くカーター・タウンに街壁を!

――死者に口なし、生者の声を聞け!

――無能町長は席をあけろ!


 アミュウは目を点にして、口を手で覆った。


「何、これ……」


 聖輝は生垣に結わえつけられた紙を取り外し、開いて目を通した。


「……ソンブルイユのような街壁の設置を求める声、ですね。セドリック町長がその責務を果たさないのなら、即刻ケインズ会頭に町長の座を譲れとも書いてあります」


 アミュウは手紙を見せるよう頼んだが、聖輝は手紙を丸めてしまった。


「見るに堪えるものではありません」


 立て看板や手紙の類は、生垣の端から端までを埋めつくしていた。


(こんなところで、お父さんは寝起きしているの……?)


 セドリックやヴィタリー、そしてイルダのことを思うとアミュウの胸は詰まったが、首を振って、ひとまず今見た光景を頭の中から追い出すことにした。とにかく今は聖輝を休ませなくてはならない。アミュウは重い鞄を背負い直して、聖輝を正面玄関へと引っ張って行った。ノッカーを鳴らしても、何の反応もない。セドリックもヴィタリーも、役所に詰めているのだろう。アミュウは勝手口の店舗の方へ向かった。

 合鍵で扉をあけると、ハーブやお香のにおいに混じって、生臭いにおいが鼻をついた。店の床に描いた魔法陣の真ん中に、むしろで覆われたままのヤマカガシの頭が転がっている。


「マッケンジー先生にこれを差し出したら、血清を分けてくれないかしら」


 アミュウが呟くと、聖輝は感情のこもらない平板な声で答えた。


「あの人にとっては私自身が邪魔なのです。薬そのものが惜しいわけではないのでしょう」


 アミュウは適当な木箱をストッパーにして扉を開け放し、空気を入れ替えることにした。

 そのまま廊下へ出て、二階の客室に聖輝を案内する。二室ある客室のうち、もとからある一室にはヴィタリーが泊まりこんでいるようで、床には旅行鞄が、壁のフックには特大サイズのスーツがかけられていた。もう一室はもともとアミュウが使っていた部屋で、今は客用の部屋となっている。こちらは使われている様子がなかったので、聖輝を押し込んだ。ベッドに座らせ、ガーゼと包帯を交換するあいだ、聖輝は見るからにぐったりとしていて、声を出すのもつらそうだった。アミュウ自身も黙って聖輝の手当てにあたった。


 そのまま聖輝を寝かせると、アミュウは一階の台所へ下りていった。聖輝に何か滋養のあるものを食べさせてやりたかったが、あいにく食料庫にはまともな食材がなかった。

 買い出しに行くべきか、カーター邸にとどまるべきか、アミュウは少しの間迷った。アミュウが出かけている間にセドリックが帰ってきたら、聖輝が寝ているのに驚くだろう。

 外はすっかり日が暮れている。市場は既に終わり、商店もそろそろ閉じる頃合いだ。迷っている時間はなかった。アミュウは蓮飾りの杖をひっつかみ、宵闇の庭へ飛び出した。


 地面を蹴って宙へ舞い上がり、東部地区の入口にある小さな商店街目がけてまっすぐに飛行した。セントラルプラザが眼下を流れていく。役場にも、プラザホテルにも、煌々と灯りがともっていた。事後処理に追われるセドリックの椅子を、ケインズは虎視眈々と狙っているのだろう。ケインズを推す街の人々の声は、アミュウがカーター・タウンを出た頃に比べて格段に大きくなっているのかもしれない。

 食料品店の前に滑るように降り立つと、アミュウはドアベルを鳴らして店に入った。灯りを最小限に落とした薄暗い店内では、ちょうど主人が店じまいの支度をしているところだった。


「滑り込みでごめんなさい!」


 アミュウが主人に声をかけると、老齢の主人は眼鏡の奥の目をしばたたかせてアミュウを見た。


「おぉ、メイ・キテラさんのところの……」

「弟子のアミュウです。おじいさん、ベーコンに卵、あとそっちのピクルスを。野菜はありますか」

「ああ、そっちにあるよ。このたびは本当に残念だったね」


 主人は神妙な顔で野菜かごを指差す。玉ねぎとにんにく、芋を手に取ったアミュウは、主人に訊ねてみた。


「あの……事件のときはどちらに?」

「ずっと店におったよ。ほら、メイ・キテラさんのお宅はすぐそこだろう。事件のあとにマッケンジー先生がやってきて、葬儀の日取りを教えて下さってね」

「お葬式に出られたんですか?」

「ああ。大勢の人に見送られていたさ。そういえばお嬢ちゃんは見かけかったね」


 アミュウは小さな声で「街の外にいたので」と話した。主人は数秒間宙を見つめてから、ためらいがちに言った。


「猟友会の人たちがね、すごくショックを受けていたよ。お嬢ちゃんも色々と大変だろうから、落ち着くまではあの人たちに会わない方がいいかもわからないね」


 アミュウは驚いて主人を見た。猟師たちに会わないほうがいいというのはどういうことか。アミュウは、猟師たちが大鹿を仕留めるのに手こずり、メイ・キテラが前線で結界を張ったことで結果として命を落としたと聞いていた。両者にそれ以上の因果関係があるということなのかと訝しんだが、考えてもことの真相は分からない。分からないなら、関係者に直接話を聞くまでだ。


「私、この街を離れていたので、どうしてメイ先生が亡くなったのか、全然知らないんです。だからまず、現場にいた人たちから話を聞いて、先生がどういう風にこの街を守ったのかが知りたいです」


 アミュウがはっきりとした声で応えると、主人は目を丸くし、次にその目を細めた。


「あの人の弟子らしい。しっかりしているね……ベイカーストリートから仕入れたパンが余っているよ。おまけにどうぞ」

「ありがとうございます」


 主人はアミュウの購入した品物を大きな紙袋に入れて、入れ口を三つ折りにしてアミュウに持たせた。


「メイ・キテラさんのお宅がそのままになっているはずだから、落ち着いたら訪ねてみてごらん」


 アミュウは再度お礼を言って、商店を出た。既に外は真っ暗で、頬を打つ風がきんと冷たかった。

 アミュウは小脇に紙袋を抱えたまま蓮飾りにまたがり、片手運転でカーター邸へ戻った。聖輝に初めて会ったときも、こうして片手に紙袋を抱えて飛んでいたのだった。あのときアミュウの胸を支配した、聖輝に対する訳の分からない不安感は消えつつある。不安の消えた理由が、彼の正体がはっきりと知れたからだけではないのを、アミュウは知っていた。聖霊の申し子と運命の女の因縁について知らされるずっと前から、アミュウは不信と信頼の間を行ったり来たりながら、確かに信頼の方へと傾いていったのだった。聖輝を信じることが、ナタリアを裏切ることになりやしまいか――ナタリアがそのように受け止めることはないだろうか。アミュウは、自分自身が二人の間の架け橋にならなければならないことを強く自覚した。


(ひとまず今は、聖輝さんの快復が最優先だわ)


 セントラルプラザをひとっ飛びして、アミュウはカーター邸上空へと戻ってきた。二階の、聖輝の寝ている部屋のカーテンは開いていた。窓から垣間見える聖輝の寝顔をランプの弱い灯りが照らしていた。呼吸で胸が浅く上下するたび、陰影がゆらめく。アミュウはそのまま庭へ着陸した。

 アミュウは開けっ放しの勝手口から屋内へ入ると、さっそく買い込んだ食料で料理を始めた。

 台所はイルダとナタリアの聖域だった。キッチンストーブを見れば、火加減を見てああだこうだと言い合う二人の姿が浮かぶようだった。火室に薪を組みながら、その炉の冷たさにアミュウの心は震えた。秋にはナタリアが、このオーブンから熱々のポテトグラタンを取り出してくれたのだった。今、鋳物の躯体は冷え切っている。


(ナターシャは、今どこで何をしているのかしら……)


 アミュウに聖輝、セドリックとヴィタリー。四人分のスープとサンドイッチを拵えながら、アミュウは聖輝の快癒とともに姉の無事を祈った。

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