6-16.墓参り
アミュウと聖輝は真っ先に街西部の教会を目指し、マッケンジー・オーウェンを訪ねた。居住棟の前で、折しも外回りから引き上げてきたばかりの彼を捕まえることができた。
「マッケンジー先生、お久しぶりです」
アミュウは頭を下げる。カーター・タウンを発つときに挨拶して以来だったが、よく考えてみれば、出立からまだ一月も経っていない。アミュウにとっては「久しぶり」だが、マッケンジーにとってみればそうでもないかもしれないのだ。
案の定マッケンジーはちょっとのけぞって驚いて見せた。
「あれ、街を離れたんじゃぁなかったでしたっけ」
「事件があったと聞いて、帰ってきたところです」
「あぁ……カーターさんは、メイさんとこのお弟子さんでしたねぇ」
マッケンジーは目をしょぼつかせて十字を切り、墓地の方へと目を向けた。
「あっちに眠ってますよ。案内しましょう」
マッケンジーが墓地を指したことは、少なからずアミュウの胸を抉った。話で聞いていただけのメイ・キテラの死が、急に生々しい現実感をもってアミュウの前に立ち上がってきたのだ。しかしアミュウは、胸に広がる痛みを無視してマッケンジーに切り出した。
「いえ……先に聖輝さんを診ていただきたくて」
アミュウはマッケンジーにことの次第を説明しながら、師の墓参りより聖輝の治療を優先する自分をマッケンジーがどう思うか、若干の不安を覚えた。彼も医療者の端くれだ。生きている怪我人を第一に考えてくれるものと信じたいが、一方でアミュウは、彼が保守的な――より直接的に言えば、体面を気にする性格であることも知っていた。そのくせ、「死者を敬え」とはっきり言うことのできない小心者であることも。
「……というわけなんです。先生、こちらにヤマカガシの血清はありますか」
アミュウが訊ねると、マッケンジーは「いやぁ」と言葉を濁し、うなじにぽりぽりと掻き首を傾げて呟いた。
「ありましたっけねぇ、そんなもの……」
極端に口数の減っていた聖輝が、そのとき初めて口を開いた。
「地下の保冷庫で、ヤマカガシと書かれたラベルの瓶を見たことがあります」
「えっ、ああ、そういえば、そうだったかも……そうだ! あれは古くなっていたから、年末に廃棄したんでした!」
言い淀んだ末にポンと手を打った彼を、アミュウは胡乱な目で見た。明らかに怪しい。アミュウは押してみることにした。
「……その保冷庫、見せていただけませんか?」
「いえ、門外不出の薬もありますから、いくらカーターさんでも、よその方にお見せするわけには……」
「聖輝さんなら部外者じゃありませんよね? この前の流行り病のときに、こちらの施療室に詰めていたでしょう」
「や、あのときは緊急事態でしたから……」
「今も緊急事態です!」
前のめりになったアミュウから逃れるように、マッケンジーは両手を前に突き出してぶんぶん振る。ところが、もう一押ししようとアミュウが口を開いたのを、聖輝が制止した。
「もう結構です、アミュウさん」
「聖輝さん!」
アミュウが非難の声をあげるが、聖輝は静かに言った。
「こちらに血清が無いのはよく分かりました。なるべく安静にしているしかない。そういうことですね?」
「え、ええ……その通りです……」
毒気を抜かれたようにマッケンジーは頷く。
「お忙しい中、ありがとうございました。さあ、アミュウさん。メイ・キテラ師の墓前へ参りましょう」
そう言って聖輝はアミュウの手を引き、墓地の方へと足を向けた。
「あ、あの……案内は……」
「お心遣いに感謝しますが、先生のお手を煩わせるまでもありません」
マッケンジーの申し出をきっぱり断ると、聖輝は墓地へとアミュウを引っ張っていった。木々の向こうでは、夕暮れの赤い光に墓石のシルエットが浮かんでいる。墓地を囲む樫の木の群れを超えたところで、アミュウは聖輝の手を振りほどいた。
「どうして引き下がったんですか⁉ あの人、絶対に何か隠してるでしょう!」
聖輝は前方を向いたまま答えた。
「マッケンジー司祭は、私のことが邪魔なようですね」
「国王派だから?」
アミュウの問いかけに、聖輝は目を伏せて答えた。頭痛のためか、頭を動かすのが億劫なようだ。
「それもありますが。カーター・タウン教会は、そう遠くない将来、司教座聖堂となる予定です。つまり司教のポストが増えるということになります。どうも彼は、その座を私が横取りすると考えている節があります」
「そんな……流行り病のとき、あんなに聖輝さんのお世話になったのに?」
「残念ですが、彼にとってそれはそれ、これはこれのようですね」
「最低!」
アミュウはこみ上げてくる憤りの勢いのままマッケンジーをなじったが、思い直して付け加えた。
「確かに、あの人はそういう人かもしれませんね。こっそり忍び込んで血清を持ち出してしまえないかしら」
「物騒なことを言いますね。保冷庫には鍵がかかっているから無理ですよ――ああ、きっとあちらですよ。行ってみましょう」
聖輝は苦笑いを浮かべると、流行り病による死者たちの眠る、新しい墓の方へと向かった。
目当ての墓標はすぐに見つかった。真新しい墓石は少しの埃もかぶっておらず、夕日を照り返している。墓穴を覆う土は黒々として柔らかそうだ。
アミュウは墓石に刻まれた「メイ・キテラ」の名前を、誰か知らない他人の名前のようだと感じた。そもそも「メイ・キテラ」は師の本名ではない。「キテラ」というのもファミリーネームではないらしい。はるか昔、彼女が魔術師としての修行を始めるときに捨てられた本当の名を知る者は、今はいなくなってしまった。
享年六十八歳。
アミュウは墓前に立ち尽くしたまま、師の人生に思いを馳せた。名を捨て、家族もなく、ひたすら街の人々のために尽くす人生だった。その気難しさと手厳しさから誤解を受けることも少なくなかったが、彼女の芯にある優しさや懐の深さは、案外多くの人に届いていたのではないかと、アミュウは考える。マッケンジーがこの街に赴任するよりもずっと前から、メイ・キテラはカーター・タウンのよろず屋魔術師として、困りごとを抱える住人たちに寄り添い続けてきた。何かトラブルがあったとき、教会よりも彼女を頼る人々が一定数いるのだ。そういう人たちを助けながら、彼女はひっそりと生き続けた。そしてほんの子どもだったアミュウを見出し、何を思ったか、彼女の知識と技術を授けたのだった。
(私、まだまだ先生に教えてもらいたいことがたくさんあった)
アミュウの思索は、やがてメイ・キテラから自身の身の上へと移っていく。アミュウは、王都の魔術学校で学びたいと言ってメイ・キテラを困らせたことを思い返した。あのとき、彼女は断固として反対した。今なら、精霊魔術の使えないアミュウにとって魔術学校がどれだけ不向きな場所であるか、よく分かる。しかし当時のアミュウは子どもならではの無邪気さと無謀さを発揮して、わがままを通した。彼女から学ぶべきことは、山ほどあったというのに。
王都からカーター・タウンに戻ってからというもの、師はしきりに「もっと顔を出せ」と言った。手土産を持って行くと「社交辞令はよしな」と言った。老いた独り身の彼女は、ひょっとして寂しかったのではないだろうか。そんな彼女の元から、アミュウは二度も離れたことになる。
アミュウは、まだ柔らかい黒土の上に膝をついた。土の匂いが鼻を刺す。この土の下に、師が眠っている。いつの間にか辺りを夕日が赤く照らしていた。聖輝の革鞄が肩からずるりと落ちて、地面についた。重さから解放され、肩や腕に血が通い始めるのが感じられた。
手向ける花もなかった。
祈りの文句も知らなかった。
手土産もなく、社交辞令もなく、身一つで訪れた自身のことを、メイ・キテラは「遅かった」となじるだろうか。
そっと肩に手が置かれて、アミュウは我に返った。聖輝がすぐ後ろで、アミュウと同じように屈んでいた。
涙が一筋こぼれ落ちたが、それっきりだった。
アミュウは冷静な声で聖輝に語った。
「この街の医師は、マッケンジー先生ただ一人です。街の医療で、マッケンジー先生の手の回らない部分は、メイ先生と私が担っていました。それに先生は、体の不調を見るだけじゃなく、街の人たちの精神の深い部分を支えていました」
「偉大な方を失いました……」
聖輝が低く相槌を打つ。静寂が墓地を満たした。昼間のわずかな暖気の残滓が消えていくのを肌で感じながら、アミュウは聖輝に頼んだ。
「イアン君じゃないけど、こういうとき、なんて言ったらいいか全然分からないんです。お願い、聖輝さん。先生に祝福を授けてください……マッケンジー先生じゃ、頼りないもの」
聖輝は、アミュウの小脇の革の鞄から小瓶を取り出し、朗々と歌い始めた。
いざ仰ぎ見よや 天なる星々を
輝く流れは 円かなる月より出でたり
瞬く星の導きにより 恐れ迷いなく
我らが父母の御許へ 彼方なる御許へ
いと高き月よ 地に連なる光の家を
雲払い 風吹き頻かせ 清かに照らしませ
夜ごとの憂いは露と消えたり 恵みの御業よ
再び御国の成る日まで また会う日まで
聖輝の歌声を聞きながら、アミュウはカーター・タウンの医療について考えていた。カーター・タウンは田舎町ではあるが、それなりの人口を抱えている。マッケンジーがたった一人で面倒を見られる規模ではない。
(私……ここを離れるべきではないのかもしれない)
聖輝は小瓶の蓋を開け、中身の水を墓石へと注いだ。聖水らしい。墓石を濡らす幾筋かが、アミュウの頬と同じく、雲間から覗く一番星の光を受けてわずかに輝いた。




